重層弁証法について…
今年の四月からの私の仕事内容は以下~。
午前中は、通常級の学習指導補助員で、
午後は、特別支援学級の学習指導補助員。
どちらも同じ「学習指導補助員」だが…
その補助する学年の範囲・対象児童が異なる。
通常級では、主に一年生から三年生まで対象はクラス全員。
特別支援学級では、一年生から六年生まで対象は支援学級児童一人か二人。
今回のテーマ「重層弁証法」を一年生の国語の学習過程を通して考えてみた。
国語授業での平仮名の形・書き方の学習について~
一、「線の書き方練習」―点線・直線・曲線・ギザ技サ線・〇線…
初めに、手本の線をなぞり書き
次に自力で書く
二、「平仮名の書き方・書き順・型」の練習
初めに、先生と一緒の正しい筆順に沿った書き方の指練習
次に、手本の指と鉛筆なぞり書き、
次に、自力で同じ平仮名を数個書く。
三、書かれた単語・短文・言葉のなぞり書き。
四、自力で言葉・単語を考え書く。
正しい文字の形を書くには、
先ずは、鉛筆の持ち方・使い方を学ぶ。
その練習が、「正しく持った鉛筆」での「線の書き方練習」。
その為には、指の使い方・動かし方、体の制御―正しく座って書く…
次に文字の正しい書き順に沿っての動かし方、正しい形の書き方…
それには、手本のなぞり書きの書き方の学び…
ここで「平仮名の書き方学習の弁証法」を考えるなら…
現実は、読み方の学習も同時進行であるが…ここで省略…
先ず弁証法性とは、モノ自体の生々・生成・発展・衰退・消滅…性質で
それを弁証法とするなら~
モノ自体の実態・平仮名の今後の変化・運動は、国語の学習のどの過程か?
言うなれば、
この平仮名の書き方・学習の国語学習全体での位置づけを考える。
国語の学習の目的・ゴールは、自由自在な文字・言葉による認識表現であり、
理想の文字言葉は、知っている人なら絶対的に誰もが読める文字。
理想の音声言葉は、知っている人なら絶対的に誰もが聞き取れる・分かる発音。
この「平仮名学習」は、認識表現である文字・言葉習得への弁証法での「生々」過程とするなら。
ならば、目標は、理想「平仮名の形」、「理想の書き順」であろう。
その実践が「手本」のなぞり書きの書き方である。
それは、「手本」との完全一致のなぞり書きを通しての学び、
理想の鉛筆の持ち方、理想の書き順で鉛筆の動かし方での手本との完全一致(を目指す)。
これば「生々」過程の弁証法なら、次は「生成」過程の弁証法が…
それは、「言葉」・文章の学び…
弁証性は現実・事実の中に、弁証法は人間・認識の中に、
弁証法性は、自然・社会・(世界)精神の関わりで続いていくモノ。
弁証法は、自然・社会・精神(世界)と関わった人間が、その目的達成の為に駆使するモノ。
この「生々」過程以前には、
鉛筆は、使えなくても、自由自在でなくても、
最低限の、身体コントロール能力と目的意識が必要である。
文字がきれいな児童は、二年生になっても、
手本の完全一致を求めているように
…ゆっくりしっかり一致で書いていた(私の見られた事実の範囲内で)…
そういう児童は、物静かで、控えめで、大人しい…ようである(私の見られた範囲内で…)
今の小学一年生…殆どの子供が平仮名を読めて書けていた。
でも…その子供達の多くは、自分の書ける・知っている形で書き、手本の線がズレていた。
今年の四月からの私の仕事内容は以下~。
午前中は、通常級の学習指導補助員で、
午後は、特別支援学級の学習指導補助員。
どちらも同じ「学習指導補助員」だが…
その補助する学年の範囲・対象児童が異なる。
通常級では、主に一年生から三年生まで対象はクラス全員。
特別支援学級では、一年生から六年生まで対象は支援学級児童一人か二人。
今回のテーマ「重層弁証法」を一年生の国語の学習過程を通して考えてみた。
国語授業での平仮名の形・書き方の学習について~
一、「線の書き方練習」―点線・直線・曲線・ギザ技サ線・〇線…
初めに、手本の線をなぞり書き
次に自力で書く
二、「平仮名の書き方・書き順・型」の練習
初めに、先生と一緒の正しい筆順に沿った書き方の指練習
次に、手本の指と鉛筆なぞり書き、
次に、自力で同じ平仮名を数個書く。
三、書かれた単語・短文・言葉のなぞり書き。
四、自力で言葉・単語を考え書く。
正しい文字の形を書くには、
先ずは、鉛筆の持ち方・使い方を学ぶ。
その練習が、「正しく持った鉛筆」での「線の書き方練習」。
その為には、指の使い方・動かし方、体の制御―正しく座って書く…
次に文字の正しい書き順に沿っての動かし方、正しい形の書き方…
それには、手本のなぞり書きの書き方の学び…
ここで「平仮名の書き方学習の弁証法」を考えるなら…
現実は、読み方の学習も同時進行であるが…ここで省略…
先ず弁証法性とは、モノ自体の生々・生成・発展・衰退・消滅…性質で
それを弁証法とするなら~
モノ自体の実態・平仮名の今後の変化・運動は、国語の学習のどの過程か?
言うなれば、
この平仮名の書き方・学習の国語学習全体での位置づけを考える。
国語の学習の目的・ゴールは、自由自在な文字・言葉による認識表現であり、
理想の文字言葉は、知っている人なら絶対的に誰もが読める文字。
理想の音声言葉は、知っている人なら絶対的に誰もが聞き取れる・分かる発音。
この「平仮名学習」は、認識表現である文字・言葉習得への弁証法での「生々」過程とするなら。
ならば、目標は、理想「平仮名の形」、「理想の書き順」であろう。
その実践が「手本」のなぞり書きの書き方である。
それは、「手本」との完全一致のなぞり書きを通しての学び、
理想の鉛筆の持ち方、理想の書き順で鉛筆の動かし方での手本との完全一致(を目指す)。
これば「生々」過程の弁証法なら、次は「生成」過程の弁証法が…
それは、「言葉」・文章の学び…
弁証性は現実・事実の中に、弁証法は人間・認識の中に、
弁証法性は、自然・社会・(世界)精神の関わりで続いていくモノ。
弁証法は、自然・社会・精神(世界)と関わった人間が、その目的達成の為に駆使するモノ。
この「生々」過程以前には、
鉛筆は、使えなくても、自由自在でなくても、
最低限の、身体コントロール能力と目的意識が必要である。
文字がきれいな児童は、二年生になっても、
手本の完全一致を求めているように
…ゆっくりしっかり一致で書いていた(私の見られた事実の範囲内で)…
そういう児童は、物静かで、控えめで、大人しい…ようである(私の見られた範囲内で…)
今の小学一年生…殆どの子供が平仮名を読めて書けていた。
でも…その子供達の多くは、自分の書ける・知っている形で書き、手本の線がズレていた。