新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「まえ」の概念について…

2023-05-20 11:21:05 | ♬~我が悟りへの道程~♬

「まえ」の概念について…


先日、一年生の算数の授業で「前から何人・何人め?」の勉強をしていた。


子供達全員が、先生の方に向いて立っている姿を横に書いている絵を見ながら…
前から、二人目に〇をしましょう。
前から、二人に〇をしましょう。


そんな練習をした後、以下のような黒板にどんぐりの絵を数枚横一列に貼り、質問した。

まえ  ●●●●●●●

先生―「まえから、二つ目のどんぐりは…」
最前列二人の児童―「左から、二つ目は…」

先生―「まえから、二つ目のどんぐりは…」
最前列二人児童―「左から、三つ目は…」

その児童二人だけが、先生の「まえ」に対して「ひだり」と言い換え続けていた。

先生は、その言葉を無視して続けていたので…
私も、彼らに言わせていたが…

授業が終わって、改めて考えてみた。

私は、黒板に「まえ」と、書かれているから「まえから…」を理解したが…
見方によれば、子供二人が言っていた通り「ひだり」とも言える…


更に…よくよく考えてみるなら…
人間やトラック…のような前がハッキリしている絵…
全部が同じ方を向いている 人間やトラックの絵なら「まえ」は確かに正しい。

しかし…どんぐりを横並びにしても、そこに「まえ・うしろ」の区別はない。
だから~    まえ   ●●●●●●●●  この「まえ」には、現実的な「まえ」にはなり得ない・
正しくは、   ひだり  ●●●●●●●●  と いう事だとハッキリ認識できた。


教師も大人なら「書かれている」から「まえ」と思えるし…
人間やトラックのように、まえ方向も連想・想起可能であるが…


あの最前列の二人の児童には、
私達大人のようには思えなかった…とう事だろう~

このような子供の直観の正確さに、新たな発見ができた…
実に勉強になった「算数授業」だった。


因みに、上記のような結論に達するのに…
1-2の担任と、上記のような話し合いをしたから…であった。
この担任は、結婚・出産で退職して、今年再雇用された40代の女性。
「驚き・発見の日々の連続」と言っている、柔軟な心持ち主である。

上記の授業は、少人数算数の担当教員で年配の方なので、
私の話を「ふん~そう…」的に無言で聞いていただけであった。

個人の認識を発展的に変化・運動させるには、「現実・事実」との関り・格闘…も不可欠であるが…
そこには、更に他人の力・認識・関わり合い…「対立物の統一」「切磋琢磨」…
互いに「共通の目標・目的」を持った話し合い・議論・討論も必要であろう。











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「弁証法的」とは?

2023-05-20 10:38:24 | ♬~我が悟りへの道程~♬
「弁証法的」とは?

弁証法とは、全てのモノ・コトの変化・運動性(弁証法性)の法則化…

弁証法的とは、法則的…法則として意識していなくても、法則にようになっている。
弁証法的とは、「臨機応変」と言えようか…。

この弁証法的に対して、形而上学的とは、「杓子定規」と言えよう。
真の形而上学が、優れていても、その理解が、当て嵌め方が、対象に即していなければ…ピント外れになり得よう。


例えば…諺の「急がば回れ」を、現実・現象的に理解して、
今日は「急いでいるから、回り道をしていこう」と、回り道したら「遅刻」…ではダメ!

今日は、「急いでいる=慌てている」から、いつもと同じ道でも、いつもと違う認識=慌てず・落ち着いて行こう…なら〇!

弁証法的・臨機応変とは、いつもと同じ道を行くにも、
その時々の認識・感情・気持ち・体調・健康状態に対応した「行き方」で実行。

例えば、「善は急げ」は、「善い事」は「急いで始める」と理解して、
「さあ~今すぐ始めよう」ではなく…
先ずは、「急がば回れ」的に「今すぐ出来るか否か」を落ち着いて考える事から「始めよう」が「臨機応変」。


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