「まえ」の概念について…
先日、一年生の算数の授業で「前から何人・何人め?」の勉強をしていた。
子供達全員が、先生の方に向いて立っている姿を横に書いている絵を見ながら…
前から、二人目に〇をしましょう。
前から、二人に〇をしましょう。
そんな練習をした後、以下のような黒板にどんぐりの絵を数枚横一列に貼り、質問した。
まえ ●●●●●●●
先生―「まえから、二つ目のどんぐりは…」
最前列二人の児童―「左から、二つ目は…」
先生―「まえから、二つ目のどんぐりは…」
最前列二人児童―「左から、三つ目は…」
その児童二人だけが、先生の「まえ」に対して「ひだり」と言い換え続けていた。
先生は、その言葉を無視して続けていたので…
私も、彼らに言わせていたが…
授業が終わって、改めて考えてみた。
私は、黒板に「まえ」と、書かれているから「まえから…」を理解したが…
見方によれば、子供二人が言っていた通り「ひだり」とも言える…
更に…よくよく考えてみるなら…
人間やトラック…のような前がハッキリしている絵…
全部が同じ方を向いている 人間やトラックの絵なら「まえ」は確かに正しい。
しかし…どんぐりを横並びにしても、そこに「まえ・うしろ」の区別はない。
だから~ まえ ●●●●●●●● この「まえ」には、現実的な「まえ」にはなり得ない・
正しくは、 ひだり ●●●●●●●● と いう事だとハッキリ認識できた。
教師も大人なら「書かれている」から「まえ」と思えるし…
人間やトラックのように、まえ方向も連想・想起可能であるが…
あの最前列の二人の児童には、
私達大人のようには思えなかった…とう事だろう~
このような子供の直観の正確さに、新たな発見ができた…
実に勉強になった「算数授業」だった。
因みに、上記のような結論に達するのに…
1-2の担任と、上記のような話し合いをしたから…であった。
この担任は、結婚・出産で退職して、今年再雇用された40代の女性。
「驚き・発見の日々の連続」と言っている、柔軟な心持ち主である。
上記の授業は、少人数算数の担当教員で年配の方なので、
私の話を「ふん~そう…」的に無言で聞いていただけであった。
個人の認識を発展的に変化・運動させるには、「現実・事実」との関り・格闘…も不可欠であるが…
そこには、更に他人の力・認識・関わり合い…「対立物の統一」「切磋琢磨」…
互いに「共通の目標・目的」を持った話し合い・議論・討論も必要であろう。