一気呵成の弁証法化
三日ぶりにパソコンを開いたら、
相変わらずの空海お宅コメントが三本、
そして何と超・嬉しい事にtada氏からもコメントが届いていた。
早く読みたいtadaさんコメント!
ジックリゆっくり反論を書きたい空海コメント!
でも…忘れないうちに・今の私の認識が変化して、
今書いておきたい事が、書けなくなる前に、今日の記事を書く事にした。
ここ暫く「旧・悟りを求めて…」ブログを再アップしていた。
旧ブログの2013年・10年前の記事を読んでいて私は痛感した!
あの頃は、「書きたい!」、「書くのが楽しい♪」、「書けない事さえ理由に書けていた!」
そんな10年前の私認識と浸透させる中で…私に急激な変化が起こり得た。
もっとも…今の私の変化・状態は「家内を亡くした孤独の中で私認識の変化・運動」状態も大きく関係するが…
私は勝手に確信している。
「これは、弁証法の急激な量質転化であろう」(と信じたい・信じている・確信した・確信している)
そんな中一つ気付いた事は、「野球ボールが止まって見える」事の論理構造である。
それは、同じスピードで横並びに入っている自動車では、乗車者は互いに止まって見えている原理。
野球ボールが、視界に入った瞬間から、
バッターは、視ているボール像の一瞬・一瞬の視覚像を脳内で認識可能に像化している。
これを南郷氏の例えから考えるなら、
「認識が超薄いパンに一切れ」とするなら、
「普通の人は一切れが薄すぎて味わえない(数枚、人によっては数十枚で初めて味を感じ得る)
しかし、訓練・修業・修行の結果、超薄い一切れ、一切れを味わえる実力を養成したなら、普通と違ってくる。
認識像の場合、超スピードで変化している「ボール位置」の一つ一つが薄いパン片。
ボールが止まっている認識像とは、脳内でそのパン片が味わえる・一つ一つの位置を見て取れている事。
それは、昔の八ミリ映画なら、その動画を映画ではなく、一枚一枚のフィルムとして認識可能レベル、だろう。
師範曰く、
止めた像なら、当然また動かせる。
認識内の像を停める事が「思う」なら、像を動かす事が「考える」。
問題は、停めた思う像を、如何に目的意識的に動かすか…である。
仮にバッターが「ボールを止めて」見えたとても、
問題はバッティングが、その変化スビートに付いていけるか…であろう。
大谷翔平の凄い理由は、空手に例えるなら、一流の攻撃技・防御技を両備しているから、
一流・最高のスピードボールと一流・ホームラン可能なバッティングを持ち得ている二刀流だから。
もっとも…「二刀流」は分りやすい例えであるが…
確かにピッチャーにとって、スピード・変化ボールは、相手を倒す武器。
また、バッターにとって、バッティングは、投手を倒す武器。
なので、二刀流は、攻撃・武器が二つ。
それでも…
空手の突きが、相手に当てる・当てればよい(当てるだけの一重)。
空手の受けは、攻撃技に当てて、その技を無効にする(当てて無効化の二重)。
投手は、ボールを投げたら終わり(投げるだけの一重)の攻撃技。
打者は、ボールに当てて飛ばしヒット・ホームラン(当てて飛ばす二重)の防御技。
他に…今日の朝の柴犬マロン散歩で、道端で2023年の手帳とGATSBYを拾った。
「交番に届けようか?」、「でもたかが手帳やめようか?」そんな迷いの中で、
過去の私の拾得物対応の数々を想い出した。
その中で、道で幼稚園・保育園・小学生がする名札?(名前・住所もあった)を拾った事を思い出した。
その時、相手が子供だと分かったので、わざわざ封筒に入れて送った。
そこに敢えて、私の住所氏名も書き込んで。
すると数日後、丁寧な感謝の手紙を頂いた。
そんな想いの中で、今回の手帳は、文字からして大人だろう事は確か…
失礼な事を承知で中身を見たら、「Personal Data」を発見したので…
今回も郵送つるつもりで…
帰宅して封筒を見たら「長形3号/定型内最大」には、「GATSBY」は入らない事が判明した。
そこで…手帳だけを送る事にした…
この他、今回の取得物体験から、過去の私の拾得物体験の数々が想起された…
初めての拾得物は、一、二年生の頃、自宅近くの道端で拾った「使い古した櫛」だった。
見つけて拾った事?が嬉しくて母に見せたら「汚いから捨てなさい!」だった。
嬉しい私は、一瞬で不愉快…だったのだろうか…
また二、三年生頃、学生寮近くの道端で財布を拾ったら20円入っていたので、寮長先生に届けた事…
まだまだ想い出が湧いてきた。
それは、正に「私の拾得物の弁証法性」
師範が「風」という文字を見たら、無風・微風…強風・台風…」と
無限に想起するのが弁証法性、といった事を書いている。
私には現実界の自然・風体験が少ない事からか…「風」での想起はでき難い。
しかし、今回の「拾得物体験」からは、まだまだ、
今の自宅近くの公園前の道路で6万円入りの財布、
パチンコ屋で千円札二枚、一枚を一緒だった後輩に上げた、
一万円チャージ済のスイカー裏にディズニーシールが貼ってあった、
道路の真ん中に落ちていた車の修理器具一式入ったバック、
スーパーで拾ったクレジットカード、
電車の棚に忘れた通勤バック、
電車の中の雨傘…
横浜元町のチーミングセールの福引補助券、
福引の外れの10円金券、
当然に私の落とし物体験もある。
過去最大の落し物は、クレジット数枚と現金の入った財布、
最大に困った落し物は、自宅の二階マンションの鍵である。
40代の頃~
「鍵」で困った理由は、塾のバイト前に、公園トレーニングへ、その時に紛失。
必死に探しても見つけられず、息子は学校、家内は仕事。
仕方ないので、マンションの裏から、壁伝いで二階のベランダへ登った。
窓を開けようとしたら…なんと鍵がかかっていたダメ!
絶体絶命…塾バイトに遅刻!と焦ったが…
よく見ると…鍵のかけ方が浅い~
そこで、窓枠をグラグラしたら…何とラッキーな事に鍵が外れた。
その日の夜、家内に話したら「警察へ行ってみたら!」
正直、私は、鍵を交番に届けた事はなかった。
で…なんと警察に届けられていた。
そうそう財布の翌日、交番で尋ねたら、届けられていた。
内心、「クレジットカードの停止しなければ…」と悔しい想いが…゜
確かに、私は、鍵もよく拾った、でも、その時は、落ちていた傍に目立つように置いていた。
カギの紛失~
そう数年前、コロナ全盛の頃、柴犬マロン散歩でカギを落とした。
帰宅して気付いて、慌てて自転車で探しに行ったら、
なんとグッドタイミング、道で、どこかのおばさんが、落ちている私の鍵をみていた。
慌てて拾った私に、おばさん曰く、「触るのが怖くて、拾おうか・どうしようか…考えていた」。
そう当時はコロナで、モノを触る事はNG。
そんなこんな…まだまだ…あるが、今日はここまでにしよう
そうそう思い出しました!
急速な量質転化化=「一気呵成」の弁証法化、でしたね。
今やっと思い出しました。
「一気呵成」を想い出せなかった。表題は、今書きました。
三日ぶりにパソコンを開いたら、
相変わらずの空海お宅コメントが三本、
そして何と超・嬉しい事にtada氏からもコメントが届いていた。
早く読みたいtadaさんコメント!
ジックリゆっくり反論を書きたい空海コメント!
でも…忘れないうちに・今の私の認識が変化して、
今書いておきたい事が、書けなくなる前に、今日の記事を書く事にした。
ここ暫く「旧・悟りを求めて…」ブログを再アップしていた。
旧ブログの2013年・10年前の記事を読んでいて私は痛感した!
あの頃は、「書きたい!」、「書くのが楽しい♪」、「書けない事さえ理由に書けていた!」
そんな10年前の私認識と浸透させる中で…私に急激な変化が起こり得た。
もっとも…今の私の変化・状態は「家内を亡くした孤独の中で私認識の変化・運動」状態も大きく関係するが…
私は勝手に確信している。
「これは、弁証法の急激な量質転化であろう」(と信じたい・信じている・確信した・確信している)
そんな中一つ気付いた事は、「野球ボールが止まって見える」事の論理構造である。
それは、同じスピードで横並びに入っている自動車では、乗車者は互いに止まって見えている原理。
野球ボールが、視界に入った瞬間から、
バッターは、視ているボール像の一瞬・一瞬の視覚像を脳内で認識可能に像化している。
これを南郷氏の例えから考えるなら、
「認識が超薄いパンに一切れ」とするなら、
「普通の人は一切れが薄すぎて味わえない(数枚、人によっては数十枚で初めて味を感じ得る)
しかし、訓練・修業・修行の結果、超薄い一切れ、一切れを味わえる実力を養成したなら、普通と違ってくる。
認識像の場合、超スピードで変化している「ボール位置」の一つ一つが薄いパン片。
ボールが止まっている認識像とは、脳内でそのパン片が味わえる・一つ一つの位置を見て取れている事。
それは、昔の八ミリ映画なら、その動画を映画ではなく、一枚一枚のフィルムとして認識可能レベル、だろう。
師範曰く、
止めた像なら、当然また動かせる。
認識内の像を停める事が「思う」なら、像を動かす事が「考える」。
問題は、停めた思う像を、如何に目的意識的に動かすか…である。
仮にバッターが「ボールを止めて」見えたとても、
問題はバッティングが、その変化スビートに付いていけるか…であろう。
大谷翔平の凄い理由は、空手に例えるなら、一流の攻撃技・防御技を両備しているから、
一流・最高のスピードボールと一流・ホームラン可能なバッティングを持ち得ている二刀流だから。
もっとも…「二刀流」は分りやすい例えであるが…
確かにピッチャーにとって、スピード・変化ボールは、相手を倒す武器。
また、バッターにとって、バッティングは、投手を倒す武器。
なので、二刀流は、攻撃・武器が二つ。
それでも…
空手の突きが、相手に当てる・当てればよい(当てるだけの一重)。
空手の受けは、攻撃技に当てて、その技を無効にする(当てて無効化の二重)。
投手は、ボールを投げたら終わり(投げるだけの一重)の攻撃技。
打者は、ボールに当てて飛ばしヒット・ホームラン(当てて飛ばす二重)の防御技。
他に…今日の朝の柴犬マロン散歩で、道端で2023年の手帳とGATSBYを拾った。
「交番に届けようか?」、「でもたかが手帳やめようか?」そんな迷いの中で、
過去の私の拾得物対応の数々を想い出した。
その中で、道で幼稚園・保育園・小学生がする名札?(名前・住所もあった)を拾った事を思い出した。
その時、相手が子供だと分かったので、わざわざ封筒に入れて送った。
そこに敢えて、私の住所氏名も書き込んで。
すると数日後、丁寧な感謝の手紙を頂いた。
そんな想いの中で、今回の手帳は、文字からして大人だろう事は確か…
失礼な事を承知で中身を見たら、「Personal Data」を発見したので…
今回も郵送つるつもりで…
帰宅して封筒を見たら「長形3号/定型内最大」には、「GATSBY」は入らない事が判明した。
そこで…手帳だけを送る事にした…
この他、今回の取得物体験から、過去の私の拾得物体験の数々が想起された…
初めての拾得物は、一、二年生の頃、自宅近くの道端で拾った「使い古した櫛」だった。
見つけて拾った事?が嬉しくて母に見せたら「汚いから捨てなさい!」だった。
嬉しい私は、一瞬で不愉快…だったのだろうか…
また二、三年生頃、学生寮近くの道端で財布を拾ったら20円入っていたので、寮長先生に届けた事…
まだまだ想い出が湧いてきた。
それは、正に「私の拾得物の弁証法性」
師範が「風」という文字を見たら、無風・微風…強風・台風…」と
無限に想起するのが弁証法性、といった事を書いている。
私には現実界の自然・風体験が少ない事からか…「風」での想起はでき難い。
しかし、今回の「拾得物体験」からは、まだまだ、
今の自宅近くの公園前の道路で6万円入りの財布、
パチンコ屋で千円札二枚、一枚を一緒だった後輩に上げた、
一万円チャージ済のスイカー裏にディズニーシールが貼ってあった、
道路の真ん中に落ちていた車の修理器具一式入ったバック、
スーパーで拾ったクレジットカード、
電車の棚に忘れた通勤バック、
電車の中の雨傘…
横浜元町のチーミングセールの福引補助券、
福引の外れの10円金券、
当然に私の落とし物体験もある。
過去最大の落し物は、クレジット数枚と現金の入った財布、
最大に困った落し物は、自宅の二階マンションの鍵である。
40代の頃~
「鍵」で困った理由は、塾のバイト前に、公園トレーニングへ、その時に紛失。
必死に探しても見つけられず、息子は学校、家内は仕事。
仕方ないので、マンションの裏から、壁伝いで二階のベランダへ登った。
窓を開けようとしたら…なんと鍵がかかっていたダメ!
絶体絶命…塾バイトに遅刻!と焦ったが…
よく見ると…鍵のかけ方が浅い~
そこで、窓枠をグラグラしたら…何とラッキーな事に鍵が外れた。
その日の夜、家内に話したら「警察へ行ってみたら!」
正直、私は、鍵を交番に届けた事はなかった。
で…なんと警察に届けられていた。
そうそう財布の翌日、交番で尋ねたら、届けられていた。
内心、「クレジットカードの停止しなければ…」と悔しい想いが…゜
確かに、私は、鍵もよく拾った、でも、その時は、落ちていた傍に目立つように置いていた。
カギの紛失~
そう数年前、コロナ全盛の頃、柴犬マロン散歩でカギを落とした。
帰宅して気付いて、慌てて自転車で探しに行ったら、
なんとグッドタイミング、道で、どこかのおばさんが、落ちている私の鍵をみていた。
慌てて拾った私に、おばさん曰く、「触るのが怖くて、拾おうか・どうしようか…考えていた」。
そう当時はコロナで、モノを触る事はNG。
そんなこんな…まだまだ…あるが、今日はここまでにしよう
そうそう思い出しました!
急速な量質転化化=「一気呵成」の弁証法化、でしたね。
今やっと思い出しました。
「一気呵成」を想い出せなかった。表題は、今書きました。