「1000g=1.000㎏」の話
今回の「1000g=1.000㎏」を見て、何を思いますか?
昨日、上記の式を三人の教員に見てもらったら、三者三様の感想を頂けた。
今年新規採用、20代前半の四年生担任、女性教諭A、
今年から高学年の算数担当(昨年までは低学年、その前は高学年クラス担任)の30代~40代の経験豊富な女性教諭B、
低学年算数担当のベテラン(60代だろう)男性講師C、
そもそも…何故に私が、「1000g=1.000㎏」の表記を思いついたのか?
それは、今週の水曜日に四年生の少人数算数のCクラスの補助に入ったから~
そこで、整数の「g」表記を、小数の「㎏」表記に変換する方法の説明・教えるのに苦戦したから~
私の説明では、Cクラスの児童達には、なかなか納得・分かって貰えなかったから…
そして…その後に突然に「「1000g=1.000㎏」表記が思い浮かんだ…
普通は、「1000g=1㎏」表記であるが…
「1000=1」という表記より、「1000=1.000」表記の方が~
「1」「0」「0」「0」=「1」.「0」「0」「0」小数点はあるが、同じ数字化三つで、対応させやすい。
この~
「1000g」⇔「1.000㎏」から
「1001g」⇔「1.001㎏」となり、
「0001g」⇔「0.001㎏」となる。
言うなれば、「グラム⇔キログラム」表記の為の変換公式とも言えよう。
数字を代入すれば、ほぼ自動的に変換可能。
「1」「0」「0」「0」(g)=「1」.「0」「0」「0」(㎏)
左右の「」の中に、同じ数字を代入すれば、小数点「.」が、自動的に変換してくれる。
ただ…数学・算数の計算・表記では、左側一番端の整数の前の「0」は書かない!
また、小数点の位の最後の整数の右の「0」は斜線で消す・省略!…が原則。
「0001」は、必ず「1」表記で、「1.000」も、必ず「1」表記である。
それでも…この原則を確りと自覚・忘れないでの~
「1000g=1.000㎏」の表記・変換は、非常に役立つという確信があった…
そこで、昨日まず初めに「経験豊かな・教諭B」に話してみたら~
開口一番「1.000」とは書きません…この表記だと「これだと…子供が混乱するかも…」
その後、私が上記のようなメリットを説いたら~
「う~分かるかも…」とか「どのような説明・解説でも最終的に分かればいい・同じ…」とか~
そんな感想・反応…でした。
そう~「あまり乗り気・使う気は、なかった」ようだ…
次に「若く経験が浅い・教諭A」に伝えたら、、パっと明るい表情で「今度、授業で使ってみます!」。
私が入った水曜日の授業の補助が彼女の担当したCクラスで、そこでの彼女の苦戦姿を観て知っていた…
最後に、算数教科専任のベテラン講師Cに見せたら~ 「この、小数点の後ろの『.000』は(斜線で)消します」~
それでも…私が上記のようなメリットを説いたら…なんとなく分かってくれた、ようです。
この式・表記は、言うなれば、過去の私の体験・経験から、思いついた式・表記であり…
これは自前のモノ、と言えよう…
確かに私的には、有用・簡単・楽…であろうが…その理由は「私が自力で創出したモノ」だから
果たして…児童達は、どのように、感じ取るだろうか…
本当は、自分で実際に、児童達に教えてみたい!のだが…
それは、上記の「教員」三人の感想・言葉から…想像するなら…
全く、児童達が、初めての「g・㎏」を用いた「小数変換」の学習なら~
「若手教諭A」的なこの式は有効・分かり易い…「使える」
でも、過去に既に「学習した結果」、その児童なりの変換方法を体得している児童には、
「経験豊から教諭B」の分かり難い・「混乱するかも…」
そして、算数・数学的な思考に優れている児童なら~
「ベテラン講師C」のような「納得しても使う必要なし…」
教師も人間である。
教員として、初心レベルで、算数・数学が不得手な教師の気持ち・感想。
経験豊富で、その指導法・教え方に自信ある教師なら、そのレベル気持ち・感想。
数学専任・ベテラン教師なら、その有効性・有用性・メリット・デメリットが分かる。
ここでの問題は?or今後の課題は?
上記のような、認識・観念的な考察でなく、
現実に実際の授業・学習の中で~
この「1000g=1.000㎏」表記が役立つか?否か?
試してみて~初めて分かる唯物的効果・有効性!
ここまでは、観念的・私の観念内でも「有効性・有用性」にしか過ぎない…
仮に、以下の~
>「ここでの問題は?or今後の課題は?
上記のような、認識・観念的な考察でなく、
現実に実際の授業・学習の中で~
この「1000g=1.000㎏」表記が役立つか?否か?」<
という上記の私的な思考・言説…が、思いつかない私なら~
~それは観念的であり、観念論的でもある~
自己の認識・観念内中で、自己の否定認識・非観念を想起不能なら、それは観念論的世界観なのだろう。
自己の否定認識・非認識とは、他人の認識・他人の事実でもって…自己否定をする事なのだろう。
言うなれば、自己の観念論的世界観を常に自覚して、それを唯物論的世界観での唯物的に否定する事。
究極の「観念論的世界観」とは、自分は正しい!自分の思考・言動・行動は、絶対的に正しい。
その否定は、自分が信じられない他人の「観念論」で、徹底的に自己否定し続ける事。
真の正しいとは、自分を含めた全てである。
自分の「絶対的に正しい!が、絶対的に正しくない!」という事実を発見・自覚しつつ…
それでも…自分が正しい…へ変化・運動できる、ような認識・思考活動なのだろう…
今の「絶対的に正しい!」は、この先の今では「絶対的に正しくない!」へ
過去の今「絶対に正しくない!」が、今は「絶対的に正しい!」だったり…
そのなのです!
「今・絶対的に正しいと思える事は」、今すぐ実践して確認すべき!なのだろう。
空手の勝負で、相手の「隙発見!」即「攻撃」…正しければ「アタリ」。
相手に、逃げられ・避けられれば「ハズレ?」…
隙は分かっても、攻撃が間に合わない!
「時と場合・タイミング」and「勝負は時の運」
今回の「1000g=1.000㎏」を見て、何を思いますか?
昨日、上記の式を三人の教員に見てもらったら、三者三様の感想を頂けた。
今年新規採用、20代前半の四年生担任、女性教諭A、
今年から高学年の算数担当(昨年までは低学年、その前は高学年クラス担任)の30代~40代の経験豊富な女性教諭B、
低学年算数担当のベテラン(60代だろう)男性講師C、
そもそも…何故に私が、「1000g=1.000㎏」の表記を思いついたのか?
それは、今週の水曜日に四年生の少人数算数のCクラスの補助に入ったから~
そこで、整数の「g」表記を、小数の「㎏」表記に変換する方法の説明・教えるのに苦戦したから~
私の説明では、Cクラスの児童達には、なかなか納得・分かって貰えなかったから…
そして…その後に突然に「「1000g=1.000㎏」表記が思い浮かんだ…
普通は、「1000g=1㎏」表記であるが…
「1000=1」という表記より、「1000=1.000」表記の方が~
「1」「0」「0」「0」=「1」.「0」「0」「0」小数点はあるが、同じ数字化三つで、対応させやすい。
この~
「1000g」⇔「1.000㎏」から
「1001g」⇔「1.001㎏」となり、
「0001g」⇔「0.001㎏」となる。
言うなれば、「グラム⇔キログラム」表記の為の変換公式とも言えよう。
数字を代入すれば、ほぼ自動的に変換可能。
「1」「0」「0」「0」(g)=「1」.「0」「0」「0」(㎏)
左右の「」の中に、同じ数字を代入すれば、小数点「.」が、自動的に変換してくれる。
ただ…数学・算数の計算・表記では、左側一番端の整数の前の「0」は書かない!
また、小数点の位の最後の整数の右の「0」は斜線で消す・省略!…が原則。
「0001」は、必ず「1」表記で、「1.000」も、必ず「1」表記である。
それでも…この原則を確りと自覚・忘れないでの~
「1000g=1.000㎏」の表記・変換は、非常に役立つという確信があった…
そこで、昨日まず初めに「経験豊かな・教諭B」に話してみたら~
開口一番「1.000」とは書きません…この表記だと「これだと…子供が混乱するかも…」
その後、私が上記のようなメリットを説いたら~
「う~分かるかも…」とか「どのような説明・解説でも最終的に分かればいい・同じ…」とか~
そんな感想・反応…でした。
そう~「あまり乗り気・使う気は、なかった」ようだ…
次に「若く経験が浅い・教諭A」に伝えたら、、パっと明るい表情で「今度、授業で使ってみます!」。
私が入った水曜日の授業の補助が彼女の担当したCクラスで、そこでの彼女の苦戦姿を観て知っていた…
最後に、算数教科専任のベテラン講師Cに見せたら~ 「この、小数点の後ろの『.000』は(斜線で)消します」~
それでも…私が上記のようなメリットを説いたら…なんとなく分かってくれた、ようです。
この式・表記は、言うなれば、過去の私の体験・経験から、思いついた式・表記であり…
これは自前のモノ、と言えよう…
確かに私的には、有用・簡単・楽…であろうが…その理由は「私が自力で創出したモノ」だから
果たして…児童達は、どのように、感じ取るだろうか…
本当は、自分で実際に、児童達に教えてみたい!のだが…
それは、上記の「教員」三人の感想・言葉から…想像するなら…
全く、児童達が、初めての「g・㎏」を用いた「小数変換」の学習なら~
「若手教諭A」的なこの式は有効・分かり易い…「使える」
でも、過去に既に「学習した結果」、その児童なりの変換方法を体得している児童には、
「経験豊から教諭B」の分かり難い・「混乱するかも…」
そして、算数・数学的な思考に優れている児童なら~
「ベテラン講師C」のような「納得しても使う必要なし…」
教師も人間である。
教員として、初心レベルで、算数・数学が不得手な教師の気持ち・感想。
経験豊富で、その指導法・教え方に自信ある教師なら、そのレベル気持ち・感想。
数学専任・ベテラン教師なら、その有効性・有用性・メリット・デメリットが分かる。
ここでの問題は?or今後の課題は?
上記のような、認識・観念的な考察でなく、
現実に実際の授業・学習の中で~
この「1000g=1.000㎏」表記が役立つか?否か?
試してみて~初めて分かる唯物的効果・有効性!
ここまでは、観念的・私の観念内でも「有効性・有用性」にしか過ぎない…
仮に、以下の~
>「ここでの問題は?or今後の課題は?
上記のような、認識・観念的な考察でなく、
現実に実際の授業・学習の中で~
この「1000g=1.000㎏」表記が役立つか?否か?」<
という上記の私的な思考・言説…が、思いつかない私なら~
~それは観念的であり、観念論的でもある~
自己の認識・観念内中で、自己の否定認識・非観念を想起不能なら、それは観念論的世界観なのだろう。
自己の否定認識・非認識とは、他人の認識・他人の事実でもって…自己否定をする事なのだろう。
言うなれば、自己の観念論的世界観を常に自覚して、それを唯物論的世界観での唯物的に否定する事。
究極の「観念論的世界観」とは、自分は正しい!自分の思考・言動・行動は、絶対的に正しい。
その否定は、自分が信じられない他人の「観念論」で、徹底的に自己否定し続ける事。
真の正しいとは、自分を含めた全てである。
自分の「絶対的に正しい!が、絶対的に正しくない!」という事実を発見・自覚しつつ…
それでも…自分が正しい…へ変化・運動できる、ような認識・思考活動なのだろう…
今の「絶対的に正しい!」は、この先の今では「絶対的に正しくない!」へ
過去の今「絶対に正しくない!」が、今は「絶対的に正しい!」だったり…
そのなのです!
「今・絶対的に正しいと思える事は」、今すぐ実践して確認すべき!なのだろう。
空手の勝負で、相手の「隙発見!」即「攻撃」…正しければ「アタリ」。
相手に、逃げられ・避けられれば「ハズレ?」…
隙は分かっても、攻撃が間に合わない!
「時と場合・タイミング」and「勝負は時の運」