しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「ゲド戦記Ⅲ さいはての島へ」 アーシュラ・K・ル=グウィン  

2006年04月12日 | 読書
ア-スシーの世界。その中心のハブナーの王・マハリオン亡き後800年、ハブナーに王はいなかった。
〈エレス・アクベの腕環〉が戻った後、世の中は良くなったが、17、8年もするとまた悪くなり始めた。
そして、魔法が効かなくなり、魔法や詩人の言葉が失われ始める。
それを危惧した、王の血筋・モレド家を遠く引き継ぐエンラッド公は息子のアレンをローク島の賢人たちの知恵を借りたいと使者に送る。
大賢人のゲドはアレンを伴い、その不安の種を見つける為に〈はてみ丸〉に乗り、あてのない旅に出る。
そして、死者と生者の扉が開かれ、均衡が破れている事を知る。
竜の導きで、セリダーを訪れた2人は黄泉の国に足を踏み入れる。


「さいはての島へ」のテーマは生と死。
永遠の生を望み、死を否定したら、生も否定してしまう事になる。生と死は共にあるものだから。

話の中で、死ぬ事が出来る人生は喜ばしいものだと言うのがあった。
そう言えば、最近永遠の生を持ってしまった為に死を望む話を2つ観た。死ねない人生の辛さを感じるのはどれ位だろう。
人間にとって80年くらいはきっと短いのだろう。
不死を願う話が多いのは、きっとそのせい。150年から200年くらいだったら・・・今度は300年を望んでしまうかな。

大賢人・ゲドに若いアレンがどう感じるかも面白い。尊敬しつつ、時には理解に苦しみ、苛立ちを感じる。
でも、また話される事に納得して守らなくてはと思う。いつの時代でも、若者が老人に感じるものなのかも知れない。
後、竜が見事に書かれているのが、この話で、ル=グウィンの描く竜はかなり魅力的で、好きだ。


ことばは沈黙に
光は闇に
生は死の中にあるものなれ
飛翔せるタカの
虚空にこそ輝ける如く
―『エアの創造』―

この言葉が、Ⅰの始めにある。
この言葉が、ゲド戦記の世界を表していたのだと、Ⅲまで読んで分かった。
世界で大切な物は均衡。どちからだけを求めるのはその均衡を崩す事になる。

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