歴史の重み、その2

2014-01-27 01:06:57 | つれづれ思うまま
訪れるご縁があって、今日は旧青山町・種生(たなお)・博要地区へ、、、
二日続けて、タイムトンネルでタイムスリップ

前日から「足湯」の準備に馳せ、その時に見た景色、、、
その時は、写真に撮る余裕はなかったのですが


26日、再びここを訪れて、
この「校舎」

どこかで見たような…と、微かな記憶を辿ってました…


 上野高校の明治校舎の趣ですね。

実はココ、結構有名地なんです。
博要の丘」。(上野商工会議所HP・NAVIGAより)

今は廃校になってしまって、子どもたちの姿は見えませんが、「博要地区市民センター」として使われていたり、「NPO法人・博要の丘」事務局があったり、歴史あるこの地域を残すべく活動されてます。

正面玄関を入ると  校歌が掲示され、

 
博要のあゆみが掲示され、

本校舎から上の校舎に行くには、こんな階段があります


この光景も、昔どこかで見たような~~

幼いころの記憶が次々と蘇る場所です。

さて、教室をリニューアルしたここでは、地域の人たちの「集い」があり 

 舞台もあって、

その舞台の上には、古いけれど立派な、
 ピアノがあって、
時折「演奏会」など催されているようです。

冊子などで紹介されるほど有名地になってますが、まだまだ「知る人ぞ 知る!」ってかんじかな。
でも、地域の人たちが「残したい!」「残さねば!」と踏ん張る素敵な建物なんですね、、、


 多目的施設として借りることもできますので、(ご参考に)

地域の人たちが集まって、何やらせっせと作ってますね、、、

「何を作ってるんですか?」

昔から伝わる「しらもち」とのこと。
餅粉と米粉の割合を、約1:1にして、粉を熱湯でこね 皮をつくり、あんこを入れてお餅の形にしたものを鉄板で焼くんです、ね。いわゆる「郷土食」風な食べ物。
素朴な「お餅」でした。

 雨模様で、底冷えのする一日でしたが、「」喜んでいただけた、かな



明治からの歴史を辿る木造建築物と、昭和高度成長期に建てられそのほとんどがなくなってしまったコンクリート打ちっぱなし建造物とは、比較にならぬほどの重みを感じました、、、
どっちを残すべきか!?
地域の人の「不便だけど残したい!思い」と、「一部の人たちだけの!残したい思い」とのギャップは、歴然!!でしょ。








コメント
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