今日5日は、「伊賀市消防出初式」!

2014-01-05 01:22:28 | つれづれ思うまま
 広報いが市(25.12.15号より)


思い起こせば合併前、我が地域(上野地区)では「西小学校運動場」で行われてました、ね。

遠い昔、幼子たちを連れて、よく見に行ったもんです。
子どもたちの目は、消防自動車や操法の手練手管に、ぎんぎらぎん だったような、、、(笑)。(子どもより、ワタシの方が見に行きたかったのかもしれないけど…)

昔の話はさておき、2008年1月7日ブログ記事から抜粋、、、(これも十分古い記録だけど

【昨日は伊賀市の消防出初式でした。
上野運動公園競技場で行われました。

そもそも出初式とは何ぞや?
というわけで、出初式の起源について。

『江戸時代は1659年(万治2)にさかのぼります。
その当時、江戸の町は1657年(明暦3)に発生した明暦の大火により2年経ってなお焼け野原状態。
そんな中、苦しい復興作業にあたる町民は絶望的な状態にありました。
このような状況のもと、1月4日、時の老中稲葉伊予守正則が定火消総勢4隊を率いて、上野東照宮前で「出初」を行い気勢をあげたことが、市民に大きな希望と信頼を与えました。
これが契機となり、お正月の恒例行事として現在まで受け継がれています。

また、定火消の誕生から約60年後の1718年(享保3)に設置された町火消にも、定火消の「出初」をまねる習わしが伝わりました。
定火消のそれと区別して「初出」と称し、1月4日に木遣歌を歌い、はしご乗りなどを、それぞれの組の町内で行っていました。
1875年(明治8)1月4日、東京警視庁(現在の警視庁)は、東京市内のすべての消防組を丸の内の旧東京都庁舎付近にあった東京警視庁練兵場に集め、第1回東京警視庁消防出初式を挙行しました。』
これが今の出初式の基礎となっているようです。

晴天の下行われました伊賀市消防署員の勇姿をどうぞ(順不同)













日頃の訓練の賜物!
いついかなるときも、我々市民の安全を見守ってくださいます、感謝そして感動を有難う。】


極寒の時、消防に関わる人たち、地域のために尽くしてくれる諸青年たちに“おかげさま”を再確認する日でもありましたね。

伊賀市という大きな組織になったおかげで、伊賀市一円から集まりたくても集まれない(各地区一部の消防団員しか参加できないとか)、“おらが村”単位で、同時間に「放水」を行うのが精いっぱいなど、、、

全市一斉に!!同じ場所で! というのは難しい時代になりましたね、、、

でも、頼りにしてまっせ

いざという時の、伊賀市消防関係署々は、伊賀市HPに掲載されています。

・消防本部並びに中消防署
伊賀市平野山ノ下380-5

・中消防署・島ヶ原分署
伊賀市島ヶ原5891-1

・中消防署・西分署
伊賀市治田3547-21

・東消防署
伊賀市下柘植734-1

・東消防署・阿山分署
伊賀市馬場1128-2

・東消防署・大山田分署
伊賀市平田644-1

・南消防署
伊賀市青山羽根41-1

・南消防署・丸山分署
伊賀市下神戸1232

そうそう、こんな記事もありましたっけ「特別表彰・まといの話&ラッパ隊」のこと。




コメント
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