明治の鉄道「まぼろしの大仏鉄道遺構」車で巡る 後編…木津川市加茂にて

2024-11-22 00:04:01 | 関西本線木津亀山間活性化
大仏鉄道遺構巡りコース」に挑み、
次なる目的遺構は…公園の近くらしく、無料駐車場あり、までは調べました。
加茂町の「城山台公園(大仏鉄道公園ともいう)」へ。(※「城山台」ってどんな街?/不動産屋さん情報です💦)
 
google naviを頼りに無事に着きましたが、さてどうやって行けば遺構に着くのか?
少し悩みました、どの方向に歩いて行けばいいのかな、と…
ここは平成に出来た新しい住宅地のようで、
田舎の城下町に住んでる身としては、便利そうだなぁとは思うものの、さて、
引っ越すか?と問われれば多分ないんだろうなぁ、なんて一人勝手なことむにゃむにゃと…

歩道もある二車線道路を少し歩くと、ちゃんと説明版がありました。
傍にはゴルフ場、そして綺麗な道路から外れ案内版通りに進むとなんと田園風景!
大仏鉄道遺構の親切な案内版のおかげで迷う事なく進めて安心です。

では、見学順に
 
『赤橋』の説明版と網の向こうにボヤっと見える橋台。
道路と同じ目線で見えるあそこにきっと鉄路が敷かれていたんだろうなぁと…
ロマンをかきたてられる風景ではありますね、そしてなんたって高い。
早く傍で見たいではありませんか。
金網沿いに歩くと次の説明版。
梶ケ谷隧道
 
宅地とは対照的な田園風景にむしろ郷愁を覚えます…
きっとこの畦道は軽トラックか農耕車しか通らないんだろうなぁ、と歩いていると
目の前に現る隧道(いわゆるトンネルですが)、じゃ~ん!
  
アーチ部分は煉瓦でイギリス積み、側壁等は御影石、なんと贅沢な!
そして長さは16mほど。
通り抜けて反対側から
  
今来たところを振り返りつつ次の遺構へ行きましょう。

そのまま道なりに進めばすぐそこです、『赤橋』、煉瓦造りの橋台。
  
歩いて通り抜けられ、上を見上げてビックリ。
数本の木材と石材の基礎の上に鉄路を敷いていたんですね。
人を乗せた列車がこの構造の橋を通っていたのかと思うと、
当時の技術者は一生懸命研究しつつ、しかも早く開通させなければと必死だったんだろうなぁと思いを馳せます。
でもね、隅の花崗岩の石積みを見ているとやっぱり「石垣でしょ、算木積みだよね」と。
これはきっと丈夫だし、廃線になったとはいえこれからもずっと残るよね、と確信しておりました。
日々「上野城の石垣」を見ているもんだから、もう自慢したくなるわけですよ(笑)。

ここの道は今は生活道路、もちろん通れます。
  
橋台を脇で支えるのもやっぱり「石垣」、スゴイですね、石工さんの技です。

高~い橋台を見て(そっかここをあの赤い「いなづま号」が走っていたのか)
カッコイイよね、前回のCGを見て、(木津川の渓谷を走ってほしいと、また夢みちゃいました(笑))。
そのまま道なりに歩いて行くと車を止めた「城山台公園」に出ます。

さぁ、もう一つ、今回のミニ遺跡巡り最後になりますが…
鹿背山橋台』ですが、戻るルートの途中になるのかなぁ。
心細くなるような細い道を通りましたが、ほぼ一本道なので迷いません。
前から車よ来ないでね、と祈りつつでしたが、
「見学の人以外は来ることはなさそう」な場所でした。
  
水路の上を通っていたようです。
上にはもう鉄路はありません、細い水路を渡る石橋を叩いて?渡りましたが大丈夫でした。
でもその先は進めません、水路は続けど崖のような感じだったので。
  
直角の石積みはやはり丈夫な「算木積み」。
この遺構も傍らを支えるのは石垣、立派です。何度も書きますが丈夫なんです。

なんだか珍道中のような迷える遺構巡りみたいですが、今度来ることがあれば
残りの遺構を踏破してみたいです、できることなら最後は佐保川沿いの桜など見てみたいとも思ったり…夢は見るもの、残すもの(笑)。

ぼちぼち帰る時間となりました。
いつものように国道163号線いづみチャーミングロードを戻ります。
もう恒例になった「山城国分寺跡(恭仁京跡)」経由で
  
晩秋の大きな柿の木、秋桜を見て、海住山寺のある山を眺め、

帰路に着きました。

いい旅でした、実質9年間は走っていて、
大仏様詣でのお客様を運んでいた路線がそこにあったんだということ、
しっかり目に焼き付けてきました。

地図を眺めていたらまだまだ行きたいところは数知れず、
いつかはきっとJR各種路線や私鉄にもお世話になって、
そこここに行きたいなぁと考える今日この頃です。

ではまた

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5 コメント

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ドリームランド伝説 (moni5187)
2024-11-22 19:58:43
大仏鉄道跡は、後に道路に転用されて、奈良ドリームランドへのアクセス道にもなったのは、往年の廃線マニアには知られたところだと思います。CGに出てくる黒髪山トンネルは、開園した1961年には道路用として往時のままで残っていたそうです。
その当時、敷居が高かったのか連れて行ってもらったのは、電車汽車と歩きで行ける あやめ池遊園地ばかりでした。国鉄奈良駅から油阪駅へ乗換え一回でしたし。伝説の油阪駅は、近鉄奈良線が関西本線を越える高架上にあって、近くて便利だったのですが、昭和万博の前年末には、大宮駅か近鉄奈良駅になってしまいました。
ドリームランドへは、1980年頃に車で行って、屋外リンクでスケートしたのとスクリューコースターに乗ったきりです。

という訳で、奈良の今昔写真Webの遊園地を紹介してみます😭。当方も、あやめ池で撮ってもらった写真があった筈です。
https://www.library.pref.nara.jp/supporter/naraweb/yuuenti.html
返信する
人口増加地区ですね (dawn)
2024-11-22 19:59:33
城山台は、関西文化学術研究都市木津地区の一画に位置付けられているので、JR木津駅からの通勤通学の利便性も相俟って、人口が増え発展してきたものと思います。

私は、まだ若いころ奈良へ行くとき、よくこの近くの梅美台あたりを通っていました。近頃通りがかったときには、店舗が大きく変動して驚いたものです。

もう少し関西文化学術研究都市が伊賀に近ければ、国立国会図書館関西館などに頻繁に行けてよいのですけどね。

このあたりの各地を訪問するには、どうしても車利用になりがちですが、私としてはできるだけ関西本線を利用したいという思いがあって、今日は笠置と月ケ瀬口へ関西本線で行ってきました。
「“行ってよかった”がここにある 心ほどける旅 お茶の京都 忍びの里伊賀 デジタルスタンプラリー」は、うまくスタンプを集められると、なかなか達成感があります。
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訂正です (moni5187)
2024-11-22 20:43:32
誤 大宮駅
正 新大宮駅
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コーヒーカップで (kuro&hana)
2024-11-22 22:37:32
>moni5187 さんへ
>ドリームランド伝説... への返信
酔ってしまった息子を思い出しました。
昭和から平成にかけて何度か遊びに行ったのは「あやめ池」ばっかりだったような気がしていますが…
ドリームランドは家族全員で行くには少々お高かった、かな(笑)。
戦時中の写真もあったりして近代の歴史を感じますね。

moni5187さま、珍しい写真集ありがとうございます。お話を伺うきっかけ作りになってよかったです。
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ワタシは🚙で、今日も (kuro&hana)
2024-11-22 22:52:15
>dawn さんへ
>人口増加地区ですね... への返信
通ってました、ちょっと書くのも恥ずかしい出来事があって、です。
でも嬉しい連鎖があったのでまた書こうかな、とも思っています。
さて、興味あるイベントをご紹介いただいたので
https://www.nta.co.jp/maas/ocha2425sr/
ゆったり時間をとって行ってみたいですね。

dawnさま、楽しい企画のご紹介ありがとうございます。知らないことをいっぱい教えていただき嬉しい限りです。
引き出しを増やしておきますね。
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