新しい「旗」が揚げられています、見に行きましょう!
高旗山登山は6/12決行、その2日前ちょっと残念なことが…
と下見をしてくれた人から連絡。
「登山道はとてもきれいに整備されていていました。一カ所、沢のようなところがあり、
少しじめついていました。登ったり下ったり、階段があったりですが、山頂からの眺望は素晴らしいです。
ただ一つ予想外のことがありました。それは、6/5に新調したばかりの旗が強風に煽られ、ボロボロに。
市民センターに問い合わせたところ、今回旗に使った生地の材質を変えたことが原因のようです。残念!」とのこと。
でもね、せっかくのチャンスを逃すわけにもいきません、頑張りましょう!
ボロボロとはいえ、ちゃんと「旗印」は立っていましたよ、
昔のように次の山に届くかどうかは別にして
景色もサイコー、ここで知ったこと「昔の人の知恵と工夫は素晴らしい!」
では、おさらい。
【旗振り山】各地への通信所要時間
『大坂堂島の米相場は、江戸中期から大正前期にかけて、
見通しの良い山から山へ旗振り信号によって伝達されました。
その山を旗振り山という。 明治の初め、高旗山中継所からの手旗信号を、
上野西町にあった米穀取引所の櫓の上から遠眼鏡で見て相場の変動に対処していたとのことです。
この米穀取引所は、今は西町の集議所の隣あたりのようです。
各方面への通信所要時間は、堂島から和歌山へは3分で伝わったそうです。
(十三峠経由、天保山なら6分)、
京都まで4分、大津まで5分、神戸まで7分 (3~5分とも)、
桑名まで 10分。 岡山まで15分、広島まで40分足らず。
大坂から江戸までは8時間、但し箱根越えは飛脚を用いたとのことです。
昭和56年に面白い実験をしています。大阪岡山ルートの旗振り再現実験です。
この実験では大阪岡山間、およそ2時間前後かかっています。
中継地点が倍増、スモッグの影響がある点などを考慮しなければなりませんが。
明治の旗振りでは15分かかりましたが、昭和の旗振りは2時間前後かかったのだということです。
もう一つ同時進行でやった実験があります。
電報を同時に打っています。 20分で届いたそうですが、明治の旗振りのほうが5分早い!
旗の色は、伊賀・伊勢地方では赤と白を主に使っていた、ということです。
サイズは、 一畳から一畳半くらいだったとのこと。 黒色もあり、色やサイズは地方により天候によりさまざまだった。
昼間は旗を振っていましたが、夜は火振、 松明でした。
伊賀の場合、国見山(奈良市)→高旗山→塔の峯(土橋)→旗山(柘植)と伝達されていたようです。』
「山の白旗」恐るべし!
高旗山に登って東から西へ連なる山々を見ていると、満更の話ではなく、
木津川の水運も然り、「秘蔵の国・伊賀」の情報と物流は「山と川」が頼りだったのでは…
下りは、別ルート(大方の人が登ったルート)、
ここを下る
熊笹が異常に高くて大きい
この地点に降りてきました(笑)。
本日、ここまで
いよいよ「仕置き場」「西山の阿弥陀摩崖仏」へ
ではまた
高旗山登山は6/12決行、その2日前ちょっと残念なことが…
と下見をしてくれた人から連絡。
「登山道はとてもきれいに整備されていていました。一カ所、沢のようなところがあり、
少しじめついていました。登ったり下ったり、階段があったりですが、山頂からの眺望は素晴らしいです。
ただ一つ予想外のことがありました。それは、6/5に新調したばかりの旗が強風に煽られ、ボロボロに。
市民センターに問い合わせたところ、今回旗に使った生地の材質を変えたことが原因のようです。残念!」とのこと。
でもね、せっかくのチャンスを逃すわけにもいきません、頑張りましょう!
ボロボロとはいえ、ちゃんと「旗印」は立っていましたよ、
昔のように次の山に届くかどうかは別にして
景色もサイコー、ここで知ったこと「昔の人の知恵と工夫は素晴らしい!」
では、おさらい。
【旗振り山】各地への通信所要時間
『大坂堂島の米相場は、江戸中期から大正前期にかけて、
見通しの良い山から山へ旗振り信号によって伝達されました。
その山を旗振り山という。 明治の初め、高旗山中継所からの手旗信号を、
上野西町にあった米穀取引所の櫓の上から遠眼鏡で見て相場の変動に対処していたとのことです。
この米穀取引所は、今は西町の集議所の隣あたりのようです。
各方面への通信所要時間は、堂島から和歌山へは3分で伝わったそうです。
(十三峠経由、天保山なら6分)、
京都まで4分、大津まで5分、神戸まで7分 (3~5分とも)、
桑名まで 10分。 岡山まで15分、広島まで40分足らず。
大坂から江戸までは8時間、但し箱根越えは飛脚を用いたとのことです。
昭和56年に面白い実験をしています。大阪岡山ルートの旗振り再現実験です。
この実験では大阪岡山間、およそ2時間前後かかっています。
中継地点が倍増、スモッグの影響がある点などを考慮しなければなりませんが。
明治の旗振りでは15分かかりましたが、昭和の旗振りは2時間前後かかったのだということです。
もう一つ同時進行でやった実験があります。
電報を同時に打っています。 20分で届いたそうですが、明治の旗振りのほうが5分早い!
旗の色は、伊賀・伊勢地方では赤と白を主に使っていた、ということです。
サイズは、 一畳から一畳半くらいだったとのこと。 黒色もあり、色やサイズは地方により天候によりさまざまだった。
昼間は旗を振っていましたが、夜は火振、 松明でした。
伊賀の場合、国見山(奈良市)→高旗山→塔の峯(土橋)→旗山(柘植)と伝達されていたようです。』
「山の白旗」恐るべし!
高旗山に登って東から西へ連なる山々を見ていると、満更の話ではなく、
木津川の水運も然り、「秘蔵の国・伊賀」の情報と物流は「山と川」が頼りだったのでは…
下りは、別ルート(大方の人が登ったルート)、
ここを下る
熊笹が異常に高くて大きい
この地点に降りてきました(笑)。
本日、ここまで
いよいよ「仕置き場」「西山の阿弥陀摩崖仏」へ
ではまた
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