「天才少年」のデビュー戦 羽生善治vs宮田利男 1986年 王将戦

2022年11月27日 | 将棋・名局

 羽生善治九段王将戦の挑戦者になったとなれば、ここは当然「羽生特集」を組まねばなるまい。

 羽生と王将戦と言えば、やはり「七冠王フィーバー」が思い出されるので、「七冠王達成」の一局を取り上げようか。

 とは思ったのだが、このときの王将戦七番勝負は谷川浩司王将不調もあって、内容的には残念なことに、あまり見どころがないものであった。

 あらためて並べてみても、4連勝で決着だし、どうもなー。といって、その前年のあと一歩だった「七冠王ロード」はもう書いちゃってるし、どうしたもんか。

 と、そこでふと思い出したのが、羽生と言えばたしか「デビュー戦」も王将戦だったはず。

 調べてみたら、そうでした。はー、なんか色々とがある棋戦なんやねーとか、なつかしくなりながら今回はこの一局と、あとはせっかくなので、いくつかにわけて低段時代の将棋も見ていきたい。

 羽生をはじめとするトップ棋士は藤井聡太五冠について、

 

 「あの年齢にして、完成度の高さがすごい」

 

 そう評することが多いが、羽生の若手時代の戦いぶりと、くらべてみるのも一興ではないでしょうか。

 


 

 デビュー戦というのは、注目を集めるものである。

 藤井聡太四段のように開幕29連勝という、はなれわざを見せる人もいれば、囲碁の中邑菫初段のように、注目を集める中敗れて、悔しい思いをする棋士もいる。

 1986年の王将戦。

 羽生四段は、宮田利男六段と対戦することとなり、これがプロ一戦目。

 プロ入り前から「名人候補の逸材」との呼び声の高かった羽生少年だったが、これは将棋界だけでなく、鼻の利くマスコミにも伝わっていたよう。

 河口俊彦八段の『対局日誌』によると、『毎日グラフ』『フォーカス』といった一般誌も取材にかけつけたというのだから、その注目度も、なかなかのものだったのである。

 将棋は宮田が先手で、相矢倉

 

 

 

 図は先手が▲74銀成としたところ。

 から攻めようという後手だが、が少ないのが悩みどころ。

 角取りでもあり、ただ逃げてるだけでは▲84成銀とか▲82角成といった「B面攻撃」に悩まされそうだが、ここで羽生がキレのいい攻めを見せる。

 

 

 

 

 

 

 △96歩、▲同歩に△98歩と打ったのが宮田が軽視した攻め。

 ▲同香と取って歩切れの後手に手がなさそうだが、そこで△45歩と、こちらの歩を取る手がある。

 ▲同桂△97歩できれいに攻めが続く。

 

 

 盤上を広く見た、リズミカルで気持ちの良い手順だ。

 だが宮田も、かつては王座戦挑戦者決定戦に出たことのある実力者。

 相手の攻めが一段落したところで、▲44歩と取りこみ、△同金に▲24歩と手筋の突き捨て。

 △同銀に▲71角と飛車金両取りに打って、△43金引に▲44歩、△42金引、▲26桂、△33銀、▲45桂

 

 

 

 

 このあたりの宮田の指しまわしは、矢倉戦お手本のような流れ。

 非常に綺麗な手順で、見ていて参考になるところだ。

 を利かすだけ利かして、△92飛と逃げたところで、▲82角行成ともたれておく。

 後手が指せそうだが、勝負はまだ先といったところ。

 おもしろい戦いだが、その後、宮田に一矢あって羽生が優勢になるも、先手も必死に食いついてこの局面。

 

 

 

 ▲41銀が、これまた絶対におぼえておきたい手筋中の手筋。

 後手玉は、次に▲32銀成と取って△同金▲34桂

 ▲32銀成に△同玉は、▲43銀から詰みになる。

 これには「逆転か」の声も出たそうだが、次の手がしぶとく、そう簡単ではない。 

 

 

 

 

 

 △12玉と寄るのが、しのぎのテクニック。

 「米長玉」と呼ばれる形だが、戦いのさなかに、サッと寄るのが玄人の技。

 ここまでの手順が、将棋の基本編だとすれば、これは応用編

 今度はアマ有段者クラスが、参考にする手筋である。

 これで後手玉に王手がかかりにくくなり、絶対に詰まない「ゼット」の形を作りやすく、かなり、ねばりのある玉形なのだ。

 一気の攻めがなくなった宮田は、▲47銀と一回受けるが、羽生は△46馬と取って▲同銀に、△36桂の王手飛車。

 ▲57玉△28桂成▲32銀成、△同金、▲34桂と詰めろが入るが、そこで△33銀と打って盤石。

 

 

 

 宮田は▲72飛と打つが、△48銀、▲47玉、△42歩で攻めは届かない。

 足の止まった先手は、ここで▲55歩

 

 

 

 

 空気穴をあけ、なんとか上部脱出をもくろむが、ここでいい手がある。

 

 

 

 

 

 

 

 △45銀と打つのが、さわやかな決め手。

 ▲同銀には△37飛と打って、▲48玉には△38成桂

 △37飛▲56玉だと△67飛成と取るのがうまい。

 

 

 

 

 ▲同玉に△57金と打てばピッタリ詰み。

 デビュー戦で見事な絶妙手を放った羽生は、さすがのスター性だが、ここでおもしろいのは周囲の反応。

 △45銀に感嘆した河口八段が、島朗五段(当時24歳)に

 


 「羽生君をどう思う?」


 

 訊いたところ、

 


 「みんなたいしたことない、と言ってますよ」


 

 △45銀への反応も、

 


 「いい手ですけどね。あのくらいは……」


 

 まあ、プロレベルなら指せるでしょうと。

 「島研」についてや、のちの独特ともいえる韜晦趣味的発言とくらべると、ずいぶんとトガッていておもしろいが、それだけトップ棋士を意識させているともいえる。

 現代だと、こういう発言は下手すると「炎上」を生みかねないが、それでも血気盛んな若手というのは、時代は変わっても、こんなもんかもしれない。

 今のキャラクターからは想像しにくい、島のこういうつっぱりを、私はどこかほほえましく感じるのである。

 

 (続く

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遠すぎた橋 中原誠vs森内俊之 2003年 第16期竜王戦 挑戦者決定三番勝負 第2局

2022年11月19日 | 将棋・名局

 前回の続き。
 
 2003年の第16期竜王戦で、挑戦者決定三番勝負に進出した、中原誠永世十段
 
 ここで森内俊之九段に勝てば、本人のみならずファンも熱望した、


 
 「中原誠vs羽生善治」


 
 というタイトル戦が実現するのだ。
 
 ただ、当時の森内はすぐ後に、棋士人生最大ともいえる大爆発を起こすことになるほど絶好調で、まさに今の王将リーグにおける羽生と豊島将之と同じく、公平に見て「年配者不利」な予想は自然な流れだった。
 
 その通り、初戦森内が順当に取るが、そこはを期待するギャラリーからの


 
 「空気を読め」


 
 という無言のには悩まされたようで、精神的には大変な戦いだったよう。
 
 その「ホーム」の利もあったのか、第2戦では中原が逆襲を見せる。
 
 得意の相掛かりから、中原らしい軽快な手が各所に見られて、おもしろい将棋になる。

 
 
 

 図は森内が、△62飛と転換して、先手の玉頭をねらったところ。
 
 手番をもらった先手は、なにか先攻したいところだが、の打ちこみもなく、具体的には手が見えない局面だ。
 
 だが、相掛かりのスペシャリストである中原は、目のつけどころがちがうのだ。

 

 

 


 
   
 
 
 
  ▲95歩、△同歩、▲93歩が意表の手作り。
 
 ふつう、相居飛車の端攻めと言えば、▲15歩とこちらを突き捨てるものだが、中原流はこっちから。
 
 たしかに、△同香▲85桂から手を作れそう。

 △同桂も好機に▲94歩と打たれると、タダで取られそうとなれば、この歩は相手にしにくいが、それにしても見えないところだ。
 
 森内は無視して、△66歩、▲同歩、△同飛、▲67歩、△62飛と、歩を補充して手を渡すが、そこで▲25飛が、また軽快なゆさぶり。


 
 
 
 
 
 
 次に▲35飛から、飛車に使って暴れていこうということで、このあたりは横歩取りなど、空中戦にも強みを発揮する中原の腕の見せどころか。
 
 後手は△33銀と形を整え、▲35飛△65歩と横をシャットアウトする。
 
 中原はかまわず▲65同桂と取るが、△44銀で飛車がせまい。

 

 
 
 
 
 
 飛車を逃げるようだと、▲65がいつかタダで取られることが確定しており、先手が苦しいが、中原はここでワザを披露するのだ。

 

 

 


 ▲53桂不成と捨てるのが、ハッとする勝負手。

 △同銀でタダだが、ヨコのラインが開いたことで、▲85飛と大きくさばいていく。
 
 
  
 
 駒損の攻めなので手順としてはやや強引だが、これで飛車の働きに差があるため、先手が指せるという読みだ。
 
 流れは中原にあるが、森内も△63角と先手でしのいで、▲83飛成△64桂と反撃。


 
 

 

 先手はこそ作ったが、▲81竜のような暴れまわる手がないと、一気の攻略はむずかしい。

 こういうとき、あせりは禁物で、ここで中原は渋い指しまわしを見せるのだ。

 

 

 

 

 


 
 
 ▲22歩、△同金、▲77銀が落ち着いた対応。
 
 ここは一発▲22歩とタタくのが、筋中の筋という手。
 
 △同金壁形を強要させてから、▲77銀と一転、自陣に手を戻すのが絶妙の呼吸。
 
 この2手は、アマ高段クラス以上なら、おそらく一目であろうが、まさに緩急自在で「強い人の指す手」という感じ。

 この局面、△64の桂で銀を取られると丸々銀損になるのだが、それで先手もやれるという大局観がすばらしい。
 
 リズム的にも美しく、中原の充実度がうかがえるというところだ。


  
 
 
 
 最終盤のこの図をみれば、▲22歩のタタキが、いかに効果的かわかろうというものだろう。
 
 大強敵の森内を、得意の軽妙なさばきから押しこんでタイに戻し、見ている方は、


 
 「これは来たんちゃう?」


 
 期待はますます高まったが、残念ながら中原の進撃もここまでだった。
 
 第3局では、得意の落ち着いた指しまわしを見せ、森内が横歩取りの激しい戦いを制する。
 
 結局、中原は期待された羽生とのタイトル戦を、一度も実現することはできなかった。
 
 大声援を受け、図らずも敵に「アウェー」の戦いを強いたこの竜王戦は、ある意味では最大のチャンスだったかもしれないが、終わってみれば森内の精神力の強さが光った形となった。

 その後、森内は4連勝羽生から竜王を奪うと、王将戦名人戦でも、やはり羽生から奪取

 一気に三冠王を達成するのだから、森内にとっても大きな勝利となったわけで、皆が必死な中「空気を読め」とかホント「余計なお世話」なんだなあとか、思ったものであった。

 

 

 ■おまけ

 (中原誠、渾身の名人防衛劇はこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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最高峰の横歩取り 丸山忠久vs谷川浩司 2001年 第59期名人戦 第7局

2022年11月11日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 横歩取り「中座流△85飛車戦法」の出現は衝撃的だった。

 画期的な新戦法は常にそうであるが、出た当初はなかなか理解されず、

 

 「これでホントにうまくいくの?」

 「こんなやり方に負けるわけない」

 

 なんて甘く見られたりしがちだが、逆に言えばそのスキを突いて白星を稼げる「ブルーオーシャン」が広がってるケースも多く、使いこなせば大きな武器となるのだ。

 そんな△85飛車戦法が、まさに棋界の最高峰である「名人」を決定づける一番で登場したのだから、本当に出世したものだった。

 しかも、前回「珍形」として紹介した△55飛角筋に回る指し方だ。

 

 

 

 2001年、第59期名人戦第7局

 丸山忠久名人と、谷川浩司九段の決戦。

 この△55飛はもともとは、浦野真彦八段が感想戦で、

 

 「こんな手も考えてんけど」

 

 と示したものだという。

 この将棋は丸山も、別のすごい手を披露しており、それがこの局面。

 

 

 

 

 先手の谷川がを打って、を作りに出たところだが、ここで丸山が指したのが、度肝を抜かれるシロモノだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 △45桂と飛ぶのが、おどろきの一手。

 ただを捨てるだけでなく、先手の桂馬を▲45好位置に跳ねさせる、お手伝いに見えるからだ。

 当然の▲45同桂に、△46角と打って、▲58金△19角成を取る。

 

 

 

 これで駒損は回復できたが、相手のをさばかせておいて、自分はこんな働いてないを取るのは、なんとも率が悪く見える。

 この手順に丸山は、名人位をかけたのだ。

 谷川は相手の構想を逆用すべく、▲23歩△31銀▲33桂打▲45を土台に反撃。

 激戦だが、ここはうまく先手が手をつなげたようで、「谷川優勢」の流れとなったが、丸山もただ引き下がるわけにもいかない。

 

 

 

 

 図は▲35銀と打って、にアタックをかけたところ。

 先手は△22が不安定なのを見越して、馬を責めながら、うまく飛車を成りこんでいきたいところ。

 だが、次の手が谷川や控室で検討していた佐藤康光九段など、並み居る面々が気づかなかった1手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 △23香と打ったのが、丸山が名人位に懸けた乾坤一擲の勝負手

 ここでは△24歩と打つのが自然だが、それでは弱いと見ての香打。

 この手に意表を突かれた谷川が、ここで間違えてしまった。

 ▲24歩と打ったのが、自然に見えて疑問で、ここでは飛車取りにかまわず、▲44銀と取るのが谷川「前進流」で正解だった。

 以下、△25香飛車を取るのは、攻め駒が後手玉に近すぎてとても持たないから、△44同飛とするが、▲35飛△34歩と止めたところで、▲53桂成と成り捨てるのが、取られそうな飛車にする好手。

 

 

 

 

 △同銀▲75飛と軽やかに展開し、△64銀打▲45歩△54飛▲74飛と飛車を助けておけば、先手優勢をキープできるのだ。

 ▲24歩と打たせて、先手の攻めを渋滞させることに成功した後手は、そこで△45馬と桂馬を取り、▲23歩成△65桂打と反撃。

 

 

 

 激しい攻め合いとなるが、最後は丸山が勝って防衛

 かくして、この中座流△85飛車戦法は、その革新性によって従来の将棋観をゆるがし、様々な新手新手筋を生み出してきた。

 こういうのを見ると、ホントに将棋というのは、いろんなアイデアがあるもんだと、楽しい気分になってしまう。

 今、AIの出現によって、中堅以上のプロが困惑しているという話をよく聞く。

 けどまあ、皆さんも若いころ、「藤井システム」や「中座飛車」の新手でベテラン勢を、

 


 「異次元の感覚が理解できない」

 「情報社会の今にはとてもついていけない」

 


 なんてボヤかせ、

 


 「今の将棋は知識ばかりが優先されてつまらなくなった」

 


 とかブツブツ言うのを冷たく聞き流していたんでしょうから、まあ、こういうのは、おあいこなんじゃないでしょうか。

 

 

 ■おまけ

 (「丸山名人」の名人初防衛劇はこちらから)

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「早石田」退治の名手 久保利明vs郷田真隆 2012年 第37期棋王戦 第2局 

2022年10月23日 | 将棋・名局

 「自分では絶対に思いつかない手」

 これを観ることができるのが、プロにかぎらず強い人の将棋を観戦する楽しみのひとつである。

 前回は「早石田」における、鈴木大介九段の斬新すぎる新手を紹介したが、それで思い出したのがもうひとつの将棋。

 

 2012年、第37期棋王第2局

 久保利明棋王郷田真隆九段の一戦。

 鈴木大介と並んで「振り飛車御三家」と呼ばれた久保が得意の石田流を選択すると、郷田は棋風通りそれを正面から受けて立つ。

 久保は▲76歩、△84歩、▲75歩、△85歩にすぐ▲74歩と行く「鈴木流」ではなく、一回▲48玉として、△62銀▲76飛△88角成、▲同銀、△22銀と進めてから▲74歩と突く。

 △同歩に▲55角と打ち、△73銀▲74飛と出る強い手は部分的には定跡形

 郷田は△64銀と迎え撃って、この局面。

 

 

 

 飛車がせまく、逃げ回っているようだと手に乗って押さえこまれそうだが、ここで久保にねらっていた手があった。

 

 

 

 

 

 

 ▲84飛とぶつけるのが、「さばきのアーティスト」ならぬ、ずいぶんとゴツイ頭突き

 △同飛の一手に▲22角成と飛びこむ。

 

 

 

 先手はができているうえに、自陣は飛車の打ちこみに強く、桂香を回収して駒損を回復できれば指せそうに見える。

 久保が一本取ったかに見えたが、これは実が無理筋だった。

 といっても、それはここからの後手の指しまわしが見事だったからで、そうでなければ充分成立していたかもしれない。ここは郷田をほめるべきだろう。

 ▲22角成には一回△44角と合わせて、▲同馬、△同歩に▲22角ともう一度打ちこむ。

 そこで、△86歩と方向転換。▲同歩に、やはり佐藤康光棋聖と同じく△12飛と打つ。

 

 

 

 ▲44角成が切れた筋に、△46歩と頭からこじ開けていくのが、後手のねらいだった。

 

 

 

 

 

 ▲同歩と取るが、△86飛が次に△46飛王手馬取りを見て、すこぶる気持ちの良い手。

 それはたまらんと△86飛に▲77馬と引くが、幸便に△46飛王手して、▲47歩△42飛と大駒を敵玉頭の急所に格納。

 

 

 「さばきのアーティスト」のお株をうばう、見事な空中アクロバットだ。

 ▲95馬の王手に△73歩と受け、▲58金△35歩▲77桂△32飛コビンにも大砲のねらいをつけて、これではいかにねばり強さが身上の久保棋王でも、いかんともしがたい。

 

 以下、▲66歩△36歩▲同歩△46歩から気持ちよく攻めて後手快勝

 その勢いで一気に棋王位奪取するのだが、乱戦ねらいの大暴れを、しっかり受け止めた郷田の強さが、光った一局であった。

 

 (久保利明の石田流からの珍型編に続く)

 

 ■おまけ

 (郷田の振り飛車退治の名手はこちらから)

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「さばき」の大サーカス 久保利明vs羽生善治 2007年 第65期A級順位戦

2022年10月10日 | 将棋・名局

 久保利明のさばきは将棋界の至宝である。

 ということで、前回は「さばきのアーティスト」こと久保利明九段の、芸術的な振り飛車を紹介したが、今回も久保のさばきを見ていきたい。 

 

 2007年の第65期A級順位戦

 羽生善治三冠(王位・王座・王将)と久保利明八段の一戦。

 名人挑戦をかけた戦いは、羽生がここまで4勝2敗で、5勝1敗首位を走る郷田真隆九段を追っている。

 一方の久保は波に乗れず、ここまで1勝5敗降級のピンチ。

 ここで敗れれば、ほとんどA級陥落が決定するという、双方ともに負けられない戦いなのだったが、この将棋は久保の芸術的指しまわしが冴えまくったのだった。

 後手になった久保のゴキゲン中飛車に、羽生は▲36銀型急戦で対抗し、むかえたこの局面。

 

 

 

 羽生が飛車を成りこんで、次に▲41角のねらいなどがあるが、ここから久保のワンマンショーがはじまる。

 

 

 

 

 

 

 △14角と打つのが、さばきのファンファーレ。

 金取りを見せつつ、△32連絡をつけている振り飛車らしい攻防手。また、遠く▲69にあるにもねらいをつけているのもポイントだ。

 羽生は▲36歩と軽く突いて、△同歩▲58歩角道を遮断する。

 ならばと久保は△22銀と打って、一転して先手の飛車を殺しにかかる。

 

 

 玉形に差があるため、飛車をただ取られるわけにはいかない羽生も、▲43角と強引に刺し違えにかかるが、△31金▲同竜△同銀▲52角成△同金▲33銀成の総交換に。

 

 

 

 先手は金桂2枚替え駒得になり、敵の囲いも乱しているが、後手はを先に好位置に設置し手番ももらっている。

 このあたりの攻防で、どちらが得したかはむずかしいが、後手は△37歩成▲同金△57歩成▲同銀と軽く成り捨てを入れてから△28飛と打ちこみ。

 このままでは△58角成があるし、飛車のタテの利きで▲21飛の打ちこみも消されている。

 そこで先手は▲25歩の手筋で、大駒の効果を半減させようとする。

 

 

 

 

 角のブランチャーを防ぎながら、次に▲21飛のねらいもあって、まだまだねじり合いは続きそうに見えたが、ここからの久保のがすさまじかった。

 と、その前に、まずは渋い手をここで見せておくのが、振り飛車の呼吸。

 

 

 

 

 

 

 

 △51歩底歩で固めておくのが、「ザッツ振り飛車党」という先受け。

 これで自陣は相当耐えられる形になり、攻めに専念できる。

 羽生は▲21飛と反撃するが、そこで△32銀とぶつけるのが、△51の底歩と連動してピッタリの返球。

 

 

 

 

 ▲同成銀と取るしかないが、△同角▲22飛成△76角と気持ちよすぎるさばき。 

 

 

 

  これまで△58の地点をねらっていたが、ジェットコースターのような大回転で、今度は先手陣の急所である△87に照準を合わせている。

 とはいえ、ここで▲39金と飛車を殺す手があり、それで先手が優勢なように見える。

 

 

 

 本譜も羽生はそう指したが、その次の手が久保のねらっていた快打だった。

 

 

 

 

 

 

 ▲39金△34角と打つのが、盤上この1手ともいえる、またもやピッタリの第二弾。

 ▲79桂と受けるしかないが、△25飛成と死んでいたはずの飛車が生還しては、後手も笑いが止まらない。

 

 

 

 

 2枚の「筋違い角」による、あざやかな空中ブランコで、まさに「加古川大サーカス」とでもいうような、さばきの大嵐。

 あの最強羽生善治が、ここまで好き勝手かきまわされるとは、なんたることか。

 この将棋は、決め手も見事だった。

 

 最終盤、先手が▲53金と打ったところ。

 次に▲62銀や、が入れば▲71竜からトン死をねらう筋などあるが、ここで感触の良い良い決め手がある。

 

 

 

 

 

 

 

 △21竜と交換をせまるのがトドメの一着。

 ▲同竜の一手に△同角と取って、を逃げつつ、遊んでいるが手持ちの駒になっては後手の勝ちは決定的だ。

 以下、▲51飛△61香▲52銀という、元気も出ない重い攻めに、△75桂と打って決まった。

 

 

 

 以下、考えるところもなく△87から殺到して圧倒。そのまま押し切った。

 2枚角の躍動が、なんだかチェスビショップの動きみたいで、後手だけ違うゲームをやっているかのような錯覚におちいってしまいそう。

 会心の指しまわしで大敵を屠った久保は、8回戦で深浦康市、最終戦では佐藤康光と、やはり手強いところを連破し残留を決める。

 ひとつでも負ければお終いのところに、こんな名局を披露するのだから、久保の精神力も恐ろしい。

 まさに「さばきのアーティスト」の底力を見せた形と言えよう。

 

 ■おまけ

 (久保の芸術的さばきといえば、この将棋

 (久保将棋に魅せられたら、ぜひ大野源一九段の振り飛車も見てください)

 (その他の将棋記事はこちらから)
 

 

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さばかれた世界 久保利明vs羽生善治 2005年 第63期A級順位戦 その2

2022年10月04日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2005年の第63期A級順位戦

 羽生善治四冠久保利明八段の一戦は双方5勝2敗という、名人挑戦をかけた直接対決

 生き残りのためには、負けるわけにいかない大一番だが、序盤は「さばきのアーティスト」の魔術が冴えまくり、久保がペースを握ることに成功する。

 

 

 △14角と打って、振り飛車がこれ以上ないほど、うまくいっている。

 平凡な▲21竜△58角成から殺到され、寄せられてしまう。

 かといって飛車を渡すわけにもいかず、進退窮まっているように見えるが、ここでアッサリとあきらめるようでは四冠王の名が泣く。

 ましてや順位戦ともなれば、そう簡単に投げるわけにいかないということで、あれこれと手を尽くすのだが、ここからは羽生の腕の見せどころだ。

 まず▲37金と打って、△同竜と取りの形にしておいてから▲14竜と、逆モーションでこちらのを取るのが、いかにも「ひねり出した」という手順。

 

 

 

 

 △14同歩▲37桂で、駒損が残りるうえに遊んでいたもさばかせて、これは後手がおもしろくない。

 そこで△26竜とかわすが、▲16竜とぶつけるのが、またも不思議な形。

 

 

 

 

 こんなところで竜交換を求めるなど、見たこともないやりとりで、なんだか「不思議流」と呼ばれた中村修九段の将棋みたいだ。

 △29竜と駒を補充しながら敵陣に入るが、そこで▲45角と放つのが、また面妖な手。

 

 

 

 攻守ともに、利いているのかどうか微妙だが、このふんわりした感じが、羽生将棋の真骨頂で、依然後手が優勢ながら簡単には土俵を割らない。

 クライマックスはこの場面。 

 

 

 やはり久保優勢な局面で、一目は後手が勝ちである。

 次に必殺の一手があるからだ。

 

 

 

 

 

 △89角と打つのが、カッコイイ寄せ。

 ▲同金△69飛成と取って、▲同玉△68金まで詰み。

 ▲同玉しかないが、やはり△69飛成と取られて、▲同金頭金だから取れない。

 決まったようにしか見えないところだが、まだ勝負は終わってないのだから、将棋を最後まで勝ち切るのは、本当に大変な作業である。

 ましてや、相手があの羽生善治となれば。

 次の一手が、これまた実にしぶといのだ。

 

 

 

 

 ▲78飛と、この日2度目の自陣飛車で耐えている。

 大駒を自陣で受けに使うときは、「飛車」のイメージでというが、まさにそんな形だ。

 羽生玉をここまで追いつめ、あと一歩、それこそ指一本分でも伸びればそれで倒れているような王様だが、そのわずかが届いていない。

 なにかはありそうなこの場面で、久保は残り4分になるまで懸命に考えたが、ついにとどめをさせず△19竜とゆるむ。

 それでもまだ後手が優勢だったが、玉頭戦のもみ合いの末、ついにうっちゃられてしまった。

 以下、羽生が逆転で勝利し2敗をキープ。その後、藤井が敗れ、最終戦も勝った羽生が名人挑戦権獲得を果たした。

 久保には残念だったが、敗れたとはいえ序中盤を圧倒したさばきは、まさに神業級のすばらしさ。

 そこからの羽生の曲線的なねばり腰と合わせて、両者の力が存分に発揮された、名局と言っていいのではあるまいか。

 

 

 (久保が魅せた「さばき」の大サーカス編に続く)

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さばくのは俺だ 久保利明vs羽生善治 2005年 第63期A級順位戦

2022年10月03日 | 将棋・名局

 久保利明のさばきは将棋界の至宝である。

 よくスポーツ選手などがインタビューで、リオネルメッシロジャーフェデラーのようなあこがれのアスリートについて熱く語ったあと、

 

 「でもプレーの参考にはしません。すごすぎて、とてもマネできないので(笑)」

 


 なんて締めることがあるが、将棋界だとそれは「久保のさばき」にあたるのではあるまいか。

 あれはねえ、ホントにマネなんてできませんぜ。

 

 2005年の第63期A級順位戦

 羽生善治四冠久保利明八段の一戦。
 
 名人挑戦をかけたリーグ戦は、羽生と久保の双方5勝2敗という直接対決

 2敗にもうひとり藤井猛九段もいるため、生き残りをかけた大一番だ。

 後手の久保が得意のゴキゲン中飛車に振ると、羽生は▲36から速攻でくり出して行く。

 むかえたこの局面。

 

 

 


 ▲35歩と打って、一目後手が困っている。

 飛車の行く場所がないし、かといって△同角▲同銀△同飛▲36歩と一回受けてから▲21飛成で先手が大優勢。

 後手が困っているようだが、実はこれが久保のしかけたで、すでに振り飛車のさばけ形

 羽生はレールの上に載ってしまった自覚こそあったが、気づいた時にはすでに軌道修正が不可能だったそうだ。

 

 

 

 

 

 △27歩、▲同飛、△26歩、▲同飛、△23歩できれいに受かっている。

 ▲同銀不成△35飛▲36歩△55飛を取って、▲同角には△26角飛車を取られて駒損してしまう。

 本譜は▲34歩と取るが△26角と取って、包囲網を突破することに見事成功。

 

 

 

 

 敵の駒を引きつけるだけ引きつけて、戦線が伸び切った瞬間、一気にを仕掛ける。
 
 まるでドイツ軍の名将エーリヒフォンマンシュタインが得意とした「機動防御」のようであり、もうシブすぎる指し回しなのだ。

 ▲24にあるの処置に困った羽生は▲28飛自陣飛車を打つが、後手から△49飛がきびしい打ちこみ。

 以下、▲26飛△47飛成▲58角が、いかにも苦しいがんばり。

 

 

 

 

 △38竜▲23銀成△57金と打って▲59歩の受け。

 そこから△58金、▲同歩、△23金▲同飛成とわかりやすく清算して△14角と打つのが指がしなる一着だ。

 

 

 

 将棋の本をサクサク読むコツ

 「むずかしい手順はどんどん飛ばす

 ことだが(お試しあれ)、ここをあえて載せてみたのは、流れるような久保のさばきを味わってほしいから。

 あの完封されそうだった飛車が、気がつけば先手陣のド急所をねらう位置にいるのだから、もう笑いが止まらない展開ではないか。

 四冠王だった羽生相手に、ここまでかきまわせる「さばきのアーティスト」も見事だが、ただ順位戦はここからが長い

 これまでは久保のワンマンショーだったが、ここからは羽生が魅せるターンで、そう簡単に勝負は終わらないのだ。

 

 (続く

 

 

 

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素晴らしきヒコーキ野郎 羽生善治vs広瀬章人 2011年 第52期王位戦 第6局

2022年09月18日 | 将棋・名局

 が乱舞する将棋は楽しい。

 角という駒は、同じ大駒でも、わかりやすく攻撃力が高い飛車ほどには、使いやすくないところがある。

 だが、その分というわけでもないが、急所に設置すれば、その「位置エネルギー」によって、爆発的な威力を発揮し、一撃で相手陣を破壊できることもある。

 

 「飛車のタテの攻めは受けやすいが、角のナナメのラインは受けにくい」

 

 という格言もあるほどで、ある意味「腕の見せ所」が試される駒でもあるのだ。

 そこで今回は、そんな角が激しく舞う空中戦を見ていただきたい。

 

 2011年の第52期王位戦

 広瀬章人王位に、羽生善治王座棋聖が挑戦したシリーズは、広瀬の2連勝スタートから、3勝2敗と防衛に王手をかける。

 むかえた第6局も、序盤から広瀬が巧みな指しまわしを見せ、作戦勝ちに持っていくことに成功。

 

 

 

 図は羽生が△45銀と進出させたところだが、ここで広瀬が巧みな構想を披露する。

 

 

 

 

 

 

 ▲64歩と突いたのが、筋のよい好手。

 後手が進撃させてきたにねらいをつけた、見事なカウンターだ。

 羽生は△33桂とヒモをつけるが、▲65銀とこっちも繰り出していく。

 △64歩に、さらに▲74銀と出て、△73歩と打たせた形は、後手のがまったく使えなくなり、気持ちいいことこの上ない。

 そこから、数手進んで、この場面。

 

 

 

 

 △82がヒドイ形で、羽生がいかにも苦しそうだが、実は後手陣には、もうひとつ不備があったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲78角と打つのが、あざやかな遠見の角。

 これで、後手は△23の地点を受ける術がない。△22飛には▲34歩が、きびしすぎるのだ。

 まるで、天野宗歩升田幸三という、見事な角使いで広瀬が才能を見せ、これには控室も、

 

 「早い終局もあるのでは」

 

 広瀬防衛が濃厚のような空気になったそうだが、なかなかどうして、羽生はそんなやわなタマではない。

 広瀬によると、一見妙手の角打ちは悪手で、ここからの羽生の構想に舌を巻くことになる。

 

 

 

 

 △94歩と、裏窓からのぞいていくのが、しぶとい手。

 以下、▲23角成に、△93角と活用し、▲79飛△66角とぶん回していく。

 ▲77桂△56歩と突いて、いやらしくカラんで、先手も気持ち悪い。

 

 

 

 

 あの眠っていたを、ここまで活用できる腕力はさすがの羽生。

 以下、▲56同歩△25桂と跳ねて、やや不利ながらも、これで後手も勝負形に持ちこむことができた。

 

 

 

 

 そこからも熱戦は続いて、この△37角とブチ込んだのもスゴイ手。

 この手が好手かどうかや、実際の形勢判断などまったくわからないが、羽生の「負けてたまるか」という、ド迫力な戦いぶりは伝わってくる。

 そこからも、ねじり合いを制して、羽生がタイスコアに押し戻す。

 最終局でも「振り穴王子」の穴熊を、木っ端みじんに吹き飛ばし、23歳で王位を獲得し、「神の子」と呼ばれた広瀬章人からタイトルを奪取するのだった。

 

 ■おまけ

 (「振り穴王子」と「広瀬王位」誕生まではこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

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「勝率」よりも「勝負強さ」 鈴木大介vs羽生善治 2006年 棋聖戦挑戦者決定戦

2022年09月12日 | 将棋・名局

 


 「勝率が高い棋士よりも、勝負強い棋士になりたい」


 

 そんなことをいったのは、将棋のプロ棋士である鈴木大介九段であった。

 勝負の世界では、たくさん勝つというのが当然大事だが、それと同じくらい、いやむしろそれ以上に、

 「ここ一番で勝つ」

 ということが重要になってくる。

 もともとは島朗九段が言っていた言葉らしいが、年齢の違いはあれ、ポジション的にトップを走る「羽生世代」に挑む形の「追走集団」にいた棋士たちからすれば、特にその気持ちは強いだろう。

 実際、鈴木大介は、

 


 「僕が羽生さんと戦ったら、10番やって2、3番入るかどうか」


 

 そういうリアルな告白の後、こう続けたのだ。

 


 「でも、その勝ちを決勝戦とか挑戦者決定戦で当てることをイメージして戦っている」


 

 勝率では劣っても「いい位置」で勝てれば、その差は埋められるという鈴木流の勝負術であろう。

 今回は、その鈴木大介の思惑が、ピタリとハマった一番を紹介したい。

 

 2006年、第77期棋聖戦挑戦者決定戦

 相手は2年連続の挑戦をねらう羽生善治三冠

 鈴木のゴキゲン中飛車に、羽生は「丸山ワクチン」で対抗。

 角交換型の将棋によくある、おたがい仕掛けるのが難しい中盤戦だったが、鈴木が好機にを打ちこんで局面を動かす。

 を作られ、押さえこみの態勢に入られそうな羽生は、あれやこれやと手をつくして局面の打開を図るが、歩切れにも悩まされ、なかなか好転の兆しがない。

 

 

 

 この▲53金と打ったのもすごい手で、羽生の苦心のあとがうかがえる。

 △53同金なら、▲45に取られそうなを跳ね出して勝負ということだろうが、いかにも強引だ。

 鈴木は冷静に△27と、と取り、先手も▲52金△同金くらいでも攻めにならないから、▲62金、△同飛に▲53角成

 

 

 

 苦しいながらも懸命の食いつきで、玉の薄い後手も気持ち悪く見えるが、ここで鈴木大介は自分でも会心と認める一手を見せる。

 

 

 

 

 △44角とぶつけるのが、振り飛車党なら手がしなる、あざやかな駒さばき。

 ▲62馬△同角と取って、自陣の飛車と後手のとの交換の上に、働きの弱かった△33も使えて、後手大満足だ。

 それでは勝ち目がないと見て、羽生は▲44同馬として、△同歩に▲53金

 △72金の受けに、▲62金と飛車を取り、△同金に▲85歩と突いて、勝負勝負とせまるが、△59飛と打ちこんで後手がハッキリ優勢。

 

 

 

 以下、玉頭でもみ合って、羽生が▲82歩と打ったところ。

 

 

 

 ▲81歩成からの一手スキで、「最後のお願い」という手だが、鈴木大介はすでに読み切っていた。

 

 

 

 

 

 △72桂と打つのが、とどめの一着。

 詰めろを防ぎながら、次に先手がどうやっても、△84桂根本を払ってしまえば後続がない。

 ▲92角成のような手にも、△52金寄で受け切り。

 手がなくなった羽生は▲81歩成から、▲74角成として以下形を作り、最後は鈴木が先手玉を即詰みに討ち取った。

 これで鈴木は、1999年の第12期竜王戦以来のタイトル戦登場。

 序盤、中盤、終盤と振り飛車側がどれも圧倒した、すばらしい将棋だった。

 本人も、

 


 「今後、これ以上の将棋が指せるかなあ」


 

 そう漏らすほどの最高傑作。

 この内容を、羽生相手の挑戦者決定戦で発揮したのだから、まさに鈴木大介の勝負強さが、見事に結実した一局であった。

 

 


 ■おまけ

 (鈴木大介が竜王戦で藤井猛を翻弄

 (鈴木大介が順位戦で見せた渾身の勝負術

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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「タテ歩棒銀」のたたき合い 羽生善治vs米長邦雄 1989年 棋王戦

2022年08月25日 | 将棋・名局

 「ねじり合い」の強さは、そのまま棋力に相当する。

 将棋の強さには序盤の知識やセンス、中盤の大局観、終盤の寄せの力などあるが、中でも試されることが多いのが「接近戦」での腕力。

 特にゴチャゴチャした未知の局面で、どんな手をひねり出せるかは才能が問われるところで、先崎学九段の言うところでは、

 

 「玉頭戦が強いことは、将棋が強いということ」

 

 そこで前回は豊島将之九段が見せた「魔術」を紹介したが(こちら)今回は天才同士の「ねじり合い」の熱局を見ていただきたい。

 

 1989年の棋王戦。米長邦雄九段羽生善治六段の一戦。

 先手になった羽生が、相掛かりから「タテ歩棒銀」という今ではあまり見ない戦法をえらぶ。

 端から果敢に仕掛け、米長がそれを受ける展開に。

 19歳と若さあふれるうえに、このころ竜王戦で初のタイトル挑戦を決めていた羽生は、とにかく勢いがあり、飛車銀交換の駒損ながら、角を大きくさばいていくという強襲を見せる。

 

 

 気持ちの良い前進だったが、米長も好機に作ったが手厚く、序盤のやり取りは後手がペースを握った印象。

 羽生は▲84香から猛攻を再開し、そこから6筋から8筋にかけて、力の入った攻防が展開され、むかえたこの局面。

 

 ねじり合いのさなか、△71玉△73桂△81玉と自陣を整備するタイミングが絶妙で、玉形の差があり一目後手が優勢である。

 馬をどこに逃げていいかも、ハッキリしないところだが、ここから見せる羽生の力業が本局の見どころである。

 

 

 

 

 ▲23角とつなぐのが、意表の受け。

 ただヒモをつけただけで、角桂交換の駒損も必至とあってはただの苦しまぎれのようだが、これで容易にはつぶれない。

 △67桂成▲同角成に後手は△44角と攻防の急所に据えるが、そこで▲61銀と打つのが、米長九段も感嘆したド迫力の追いこみ。

 

 △53角と金を取ったところで、今度は▲84歩と急所に平手打ち。

 

 このあたりは、こまかい手の意味よりも、ぜひ羽生の勢いを感じてほしい。

 苦しいながらも「勝負、勝負」とせまっていく様は、実戦的で実に迫力がある。

 △84同銀に▲72銀不成と取り、△同玉に▲69香と打つのが、「下段の香に力あり」という、またいかにも雰囲気の出た手。

 

 

 米長の感想では、どうもこのあたりで、ひっくり返っているよう。

 次に▲45馬がきびしいから、△66歩とタタくが、そこで▲63銀と打つのがまた強烈。

 

 

 △同玉には▲45馬から▲55桂で寄りだから、△83玉と逃げるが、▲66馬△65銀▲84馬、△同玉、▲85歩、△同桂、▲65香、以下先手勝ち。

 

 この将棋、△55桂▲23角のところでは後手優勢で、その後も米長にさしたる悪手があったとは思えないが、いつのまにか逆転していた。

 それは具体的な善悪がどうよりも、とにかく猛獣のような羽生の噛みつきが、どこかで米長の急所に喰いこんでいたのだろう。

 固い壁を、力ずくで引っぺがしてしまうような勝ち方であり、若いころ「攻め100%」と呼ばれた塚田泰明九段の将棋を評して、

 

 「塚田が攻めれば道理が引っこむ」

 

 と言われたが、まさにそんな感じ。

 まだ荒削りだった羽生の魅力と、米長のベテランらしい円熟味がよく出た、実におもしろい一局であった。

 

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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悪手のジェットコースター・ムービー 藤井聡太vs出口若武 2022年 第7期叡王戦 第3局

2022年05月26日 | 将棋・名局

 叡王戦の第3局はメタクソにおもしろかった。
 
 藤井聡太叡王(竜王・王位・王将・棋聖)に出口若武六段が挑んだ、第7期叡王戦五番勝負。
 
 挑戦者決定戦では「藤井のライバル」候補である服部慎一郎四段を破っての檜舞台で、日の出の勢いの出口だが、開幕からは2連敗。 

 まあ、相手が相手だから、そこはしょうがない(とか本当は言っちゃいけないんでしょうケド)としても、ストレート負けは本人的にも観戦している方としても、これはマズイわけである。
  
 結果はともかくも、まずは1勝しなければ、出てきた甲斐がないというものだが、その想いが通じたか剣が峰の第3局で、出口はすばらしい将棋を見せたのだ。
 
 終盤に入るところでも、両者評価値ほぼ50%と、「名局決定」な力の入り様なだけでなく、その後は出口リードを奪う展開に。
 
 いわゆる「藤井曲線」をくずしたのが、まず「すげえ!」といったところだが、最終盤では勝ちまで見えてきた。


 
 
 
 
 
 すさまじかったのがここで、まだ形勢的にはギリのところだが、後手とくらべて、わかりやすい指し手が見えないという意味では、先手が苦しいようにも見えた。
 
 その証拠に、ここから目が回ることになる。
 
 ▲21飛、△31金打、▲11飛成、△52銀、▲65香、△47銀成、▲75角、△43玉、▲31角成、△同金、▲同竜
 
 
 
 
 

 回転木馬のごとく、目まぐるしく局面が動いたが、信じられないことに、ここまで藤井叡王は悪手疑問手を連発している。
 
 あくまで、中継に映っていたAI基準だけど、▲21飛はまだいいとしても、まで読まれてあわてて指した▲65香は、素人の私が見ても、いかにもパッとしない手だ。
 
 ▲75角も疑問のようで、こう打つなら▲31角成は騎虎の勢いだが、どうも暴発のよう。

 △同金、▲同竜の場面はハッキリと後手に形勢の針はかたむいた。
 
 さあ、ここである。
 
 後手玉は簡単な詰めろだが、先手玉もアヤが多く、いかにも逆転のワザ攻防手がありそう。
 
 解説の藤森哲也五段が指摘する、△57成銀、▲同玉、△75角の王手飛車で竜を抜く筋が見えるけど、竜取ったあとが、先手玉も楽になって、これはむずかしいか。

 単に△75角もありそうだけど、▲35桂、△同歩、▲34金からの王手ラッシュもメチャクチャに怖いなあ。
 
 でも、ここを突破できないようだと、タイトルなんて取れないぞ!
 
 藤井聡太に恨みはないどころか、将棋界のためにもどんどん勝ちまくってほしいが、私は一応関西人であるし、なによりいい将棋はたくさん見たいのだ。
 
 なんで、とにかく、この一局は出口が取れ! 第4局や!
 
 なんて、こちらのテンションもMAXレベルに達したが、惜しむらくは、この場面。

 もし出口六段に残り5分でもあれば、きっと正解手を見つけ出し、シリーズはまだまだ続いたことだろう。
 
 だが、超絶難解な死線をくぐり抜け、さらにまた、次から次へと門番のように立ちふさがる難題難局面を突破するには、1分という時間は絶望的に短かった。
 
 秒に追われて選んだ△42銀が敗着で、これは受けになっていない。

 ここでのAI推奨手は△42角

 

 

 に当てながら▲42金を消し、かつ△86角の飛び出しを見た絶好手だったようだ。

 銀打には、▲22竜と逃げたのが冷静で、△88角の形作りに▲35桂から後手玉は詰み。
 
 これで3連勝となり、藤井叡王が初防衛に成功。堂々と五冠王をキープしたのだった。
 
 いやー、最後は本当に残念だったけど、でも、すんごいおもしろかった。久しぶりに燃えたよ。
 
 このところ、藤井叡王の将棋は勝っても負けても、こういう評価値でんぐり返りなジェットコースター将棋は少なかった。

 王座戦の大橋貴洸六段戦は、終盤にドラマがあったみたいけど、ブレが一瞬すぎて、わけがわからなかったし。
 
 やはり、将棋は悪手こそがおもしろいと考えるタイプの私には、この一局は大満足

 好局だったなあ。出口の出来も良かったし。ホレましたよ。

 泣くな、若武、キミには明日があるで!
 
 あと、この将棋でおもしろかったのは、△52銀の局面での最善手が▲22歩だったこと。
 
 
 
 
 
 
 
  これには、藤森五段と木村一基九段も、
 
 
 「いやー、これは人間には指せない」
 
 
 定番のうなり声をあげてましたが、たしかに。
 
 解説でも言ってたけど、この手自体がなんにもないし、次に▲21歩成と成っても、まだなんでもない。
 
 その次、▲31とと取って、はじめて攻めになるんだけど、その間完全な「ゼット」になってしまうというのが、オソロシすぎる。
 
 この2手の間、後手は自陣を見ずに攻めまくれるのだ。
 
 「ゼットからの猛攻
 
 は終盤で、だれもがヨダレをたらす勝ちパターンなのである。しかも、先手は歩切れと来たもんだ。
 
 たしか、似たようなケースで米長邦雄永世棋聖の将棋を、前に紹介したことあるから、よかったらそれも読んでいただきたいですけど、あれより全然、藤井玉は危険だし、相手は終盤力に定評のある出口若武だし。
 
 いやいやいやいや、あれは無理ですわ! こんなの全盛期の大山名人や、羽生さんでも、指せないんでねーの?
 
 藤井聡太といえば、これまで幾度も、
 
 
 「これは人間には指せない」
 
 
 という壁を軽やかに乗り越えてきたけど、ここで▲22歩はさすがに指せなかった。
 
 「完璧超人」というイメージはあるけど、できないこともあるんだなあと、ちょっと不思議な気分に。
 
 でもこれは、逆に言えばまだ「のびしろ」があるということでもあり、
 
 「藤井八冠王
 
 が誕生する一局では、もしかしたら成長の果てに、この▲22歩のような決め手が飛び出して、伝説を作るかもしれない。

 そういうことを考えていると、ますます未来に期待がかかってくるのであって、この青年からは目が離せなくなるのだ。 

 

 ★おまけ 米長邦雄永世棋聖が見せた「ゼット」での踏みこみは→こちら

 

 

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電光石火作戦 米長邦雄vs大山康晴 1986年 第44期A級順位戦 その2

2021年12月05日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 順位戦史上に残る大激戦の末、米長邦雄十段棋聖加藤一二三九段大山康晴十五世名人の3人のプレーオフとなった、1986年の第44期A級順位戦

 パラマス方式で、まずは大山と加藤一二三が戦って、これは大山が勝利。

 

 

 

 中盤で加藤にチャンスがあったが、なぜかその手に両対局者ともに気づかないという椿事があり、大山が優勢に。

 上の図は最終盤の局面だが、▲53銀とせまった手に、△66角、▲同角、△53金と、角を犠牲に攻め駒をクリーンアップするのが好判断。

 「受けの大山」の力を見せて、挑戦者決定戦にコマを進める。

 続けて、米長との最終決戦だが、当時の雰囲気では、これが相当に「米長有利」と思われていたらしい。

 大山は、たしかにリーグの星は走ったが、体調は万全ではないだろうし、逆に米長は死に体から天国まで、意地の大逆走した勢いがある。

 また、王将戦棋王戦などタイトル戦で勝っていたイメージもあり、米長の弟子であり、この将棋を観戦した先崎学九段いわく、

 


 「大山シンパと先生の親戚の人以外は世界中の誰もが米長先生が勝つと思っていた」


 

 この日は天候が有名で、3月だというのにものすごいになり、交通網が完全にストップ。

 なので、大一番なのに観戦者が少なく、控室の棋士やスタッフはヤキモキしたそうだが、この「大雪の決戦」で、大山康晴は一世一代の勝負術を見せつける。

 

 

 大山の三間飛車に、後手の米長はめずらしい矢倉で対抗。

 この局面、先崎の見立てによると、後手が指せそうと。

 次に△74飛とゆさぶれば、先手は▲77歩しかなく、これでは効かされすぎな上に、▲89桂が使えなくなりヒドイ。

 そこから△64銀とぶつけて、▲54の歩を奪回しながら、どんどん盛り上げていけば、これはもう、後手が自然によくなるでしょうと。

 ところがここで、大山からすごい手が飛んでくる。

 

 

 

 

 ▲25歩、△同歩、▲17桂が、まさかの奇襲

 当時の感覚では、振り飛車側からを跳ねて仕掛けるなど、まったくありえないことであった。

 ましてや大山と言えば、

 

 「最初のチャンスは見送る」

 

 という語録があるくらいな、石橋をたたいて渡らない慎重派のはずなのに……。

 控室も騒然となったそうだが、それ以上におどろいたのが米長だった。

 そもそもこの勝負自体、先も言ったが勢いは完全に米長にあり、『先崎学&中村太地 この名局を見よ!』という本の中でも先崎は、

 


 「片方は指し盛りで、もう片方はがん明け。米長先生は負けると思っていないわけだ」


 

 そこに、この「飛び蹴り」。

 ここで米長のペースは完全に狂わされ、ボロボロになってしまう。

 

 陣形の差がありすぎる上に、△73に取り残されたもひどく(大山もそこに目をつけての開戦だった)、後手が苦しげに見える。

 △43金と上がったのが、早くも敗着で、ここで先手に決め手が出る。

 

 

 

 

 ▲24角、△同金、▲52銀で先手必勝。

 △42金には▲53歩成が「ダンスの歩」のような小粋な手筋。

 

 

 △同金に▲41銀成で、角がきれいに死んでいる。

 米長はどうも、この歩成を見落としていたらしく、このあたりも、らしくないところ。

 以下まったくのノーチャンスで、米長は病み上がりだったはずの大山の軍門に下り、「63歳で名人挑戦」という大記録を達成させてしまう。

 『この名局』によると、▲17桂には△74飛▲77歩を利かせてから、△13桂と受ければこれからの将棋だったが、米長からすれば、せんない解説だろう。

 まさかのうえにも、まさかの結果だったが、敗因は先崎いわく、

 


 「生涯の油断」


 

 それを見抜いて、とっさに頭突きをカマした大山の勝負術も見事だった。

 このエピソードを読んだとき、米長邦雄のような百戦錬磨の男が、名人戦の挑戦者決定戦で「油断」することもあるのだなあと、不思議な気分になったものだ。

 これは余談だが、この日は名人挑戦のかかった一番ということで、開始前から深夜の決戦になることが予想されていた。

 そこで若手棋士や奨励会員が買い出しに出て、お弁当カップ麺を大量に購入し兵站を整えていたわけだが、それがなんと、まさかの「ワンパン」で午後9時には将棋が終わってしまった。

 熱局を期待したのにアテが外れたこと、師匠である米長邦雄の拙戦もあって、なんと先崎少年は買い置きのカップ麺を、4個も立て続けに胃の腑へと流しこむことに。

 おかげで、猛烈な腹痛に見舞われたそうで、今となっては笑い話だが、そのときのショックの強さが、うかがいしれるエピソードでもある。

 先チャンによると、局後にスナックまで歩いていたとき、一緒にいた米長が目に涙をためながら、こうもらしたそうだ。

 


 「今日は負けるとは思わなかった。俺の運命が変わったんだ」


 

 

   (羽生善治と谷川浩司の熱戦編に続く→こちら

   (63歳挑戦者、大山康晴の戦いぶりはこちら

 

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大雪の決戦と「生涯の油断」 米長邦雄vs大山康晴 1986年 第44期A級順位戦

2021年12月04日 | 将棋・名局

 「勝ったと思ったときが危ない」

 

 というのは、将棋を観戦していて、解説者などからよく聞くセリフである。

 私など子供のころは、

 「勝ったと思うということは、現実に【勝ってる】わけだから、別に危なくなくね?」

 単純にそう思っていたが、いざ自分が指してみたりすると、「勝ったかも」と邪念が入った瞬間に気がゆるんだり、緊張したりして、おかしくなってしまう。

 時間はあるのに、なぜか手拍子で指しそうになり、が出たせいでフルえて手が伸びなかったりと、ロクなことがない。

 でもこれは、自分のような素人だからなんだろうなあ、と感じていたわけだが、いろいろと将棋の本などを読んでいると、そういうことでもないらしい。

 かつて鈴木大介九段は、

 


 強い人は勝つまでよろこばず、負けるまで悲観しない。

 弱い人は勝つ前によろこんで、負ける前に悲観する。

 僕は勝つ前によろこんじゃう。


 

 

 「勝つ前によろこんで」散々辛酸をなめたであろう鈴木九段でも、自虐をふくめて戒めなければならない。

 A級棋士で、タイトル挑戦2回に、NHK杯優勝経験もあるダイチ君でもこうなのだから、そりゃ私なんかがゆるんだり、ブルブルになるのも当たり前だろう。

 ましてや対局前から「勝てる」と確信していては、思わぬ落とし穴が待っていることになる。

 前回は、伊藤沙恵里見香奈の入玉型の激戦を紹介したが(→こちら)、今回はそういう、痛恨の「油断」について。


 
 1986年の第44期A級順位戦は、かつてないほどの大盛り上がりを見せた戦いだった。

 その主役は2人いて、ひとりは大山康晴十五世名人

 通算1433勝。名人18期をふくむ、タイトル獲得80期

 棋戦優勝44回永世名人永世十段永世王位永世棋聖永世王将の称号も持つスーパーレジェンド大山も、すでに63歳でキャリアの晩年も晩年である。

 それでも、なにげにA級をキープしているのがすごいが、この年の順位戦は苦戦が予想されていた。

 というのも、1984年2月にNHK杯優勝するも(60歳越えてます!)同年5月にガンが発覚。

 すぐ入院し、手術を受けることになったが、翌年の第43期順位戦は休場を余儀なくされる。

 その翌年に復帰するも、体調面での不安は当然あるだろうし、休場のせいで「張り出し」と順位も最下位

 これでは復活どころか、ふつうに「降級候補」だったわけで、

 「A級から落ちたら引退する」

 と公言していた大山にとって、それは人生の、いや将棋界全体の一大事であった。

 そんな波乱を含んでいたせいか、この期のA級は史上まれな激戦になる。

 挑戦権はもとより、3名の降級(前期休場していた大山の参加で『11人いる!』になっていたため)もだれも決まらず。

 私は星取の計算が苦手なのだが、なんと途中まで「全員5勝5敗」で並ぶ可能性もあったという。

 そうなると、前代未聞の「11人プレーオフ」になる。

 パラマス方式だから、順位下位のふたりは全員ぶっこ抜きの「10連勝」が必要になり、指し分けは落ちない規定だから、「降級者ゼロ」で、「来期の降級が5人」になるそうな。

 さすがにそうはならないが、それでも結果を見れば、6勝4敗3人5勝5敗5人4勝6敗3人

 森安秀光八段勝浦修九段青野照市八段の3人が4勝しながら落ちてしまったのだから、いかにきわどい争いだったか、うかがいしれるところだ。

 ここでもうひとりの主役になるのが、米長邦雄十段(今の竜王)・棋聖

 米長は1984年、十段・棋聖・王将・王位の四冠王になり、

 

 「世界一将棋の強い男」

 

 としてブイブイ言わしていたが、そこをピークに絶不調におちいってしまう。

 タイトルを次々と奪われただけでなく、順位戦でも1勝4敗という、キャリアで初めてともいえる低空飛行を披露。

 挑戦どころか、これでは降級一直線の星。

 このころの米長は相当に落ちこんでいたそうだが、そこから歯を食いしばって高度を上げていく。

 転機となったのが、6戦目の有吉道夫九段戦で、この将棋も中盤にド必敗になる低調ぶり。

 

 図は米長が▲56桂と打ったところで、ここでは後手の有吉がハッキリ優勢。

 A級陥落の影におびえる米長は、目の前が真っ暗になっていたろうが、ここで有吉に逸機が出る。

 △56同飛と決めに出たのが疑問で、▲同銀、△79と、▲29飛、△66金、▲57歩、△55歩

 

 

 まさに「火の玉流」の猛攻で、▲47銀なら△65桂で寄りだが、▲同銀(!)と取る強手があった。

 以下、△同角に▲41銀と打ち返して、ここで攻守所を変えることに。

 

 

 

 ここから勢いにのって、米長が逆転を決めるのだが、では有吉はどうすべきだったのか。

 △56同飛では、△53金と取る好手があった。

 

 

 ▲同桂成は△同角

 ▲44桂は△同金で、どちらも桂のコンビネーションをいなす形で、駒をさばいて調子がいい。

 ▲44桂、△同金に▲77角という手はあるが、これには△55桂という反撃や、△79と、▲44角、△33金打と受けておく手でも、問題なく有吉が必勝だった。

 まさしく、執念の勝利をもぎ取った米長は、ここから一気に加速。

 連勝モードに入り、最終戦ではなんと名人挑戦の目があるほどに、まくり返すことになるのだ。

 もしあそこで、有吉に順当負けしてたら……。

 本人のみならず、周囲のファンも、さぞやゾッとしたことだろう。

 一方の大山はと言えば、なんとこちらは前半から好調に飛ばしていく。

 病み上がりの心配もなんのそので、ラス前まで6勝3敗自力で挑戦権獲得の目もあったのだから、その回復力たるやおそるべしだ。

 最終戦で谷川浩司棋王に敗れたものの、同星だった加藤一二三九段二上達也九段に敗れ、米長もくわえて、これで3者とも6勝4敗でゴール。

 降級、挑戦権、どちらも大盛り上がりだった順位戦は、舞台をプレーオフに移すことになるのだった。

 

 (続く→こちら

 

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「藤井システム」のマスターピース 佐藤康光vs羽生善治 1995年 第8期竜王戦 第3局

2021年07月05日 | 将棋・名局

 「藤井システムには、羽生善治の影響がある」

 

 というのは、よく言われることである。

 これは勝又清和七段の将棋講座や、なにより藤井猛九段本人が、ネット中継のトークなどで、何度も披露している話。

 ここで興味深いのは、藤井はほとんど自力で「システム」を構築し、「升田幸三賞」を受賞しているが、羽生は「歴史的名手」にかけては、それこそ数えきれないほど披露しているものの、新手や新戦法、いわゆる

 

 「羽生システム」

 「羽生流○○戦法」

 

 のようなものは発明してないし、升田幸三賞にも無縁である。

 これは芸術の世界などでよく言う、「から」と「から10」のちがいというもので、将棋界ではよく

 

 「創造型」

 「修正型」

 

 という言い方をするが、その意味では藤井は「創造型」の天才で、羽生は「修正型」の天才。

 この2つが、かみ合ったときに起る化学反応は、それはそれはすごいもので、まさに歴史を変えるほどの爆発力を発揮するのだ。

 前回は、丸山忠久九段の見せた「激辛流」を紹介したが(→こちら)、今回は「システム前夜」の、ある将棋を見ていただきたい。

 

 1995年の第8期竜王戦

 羽生善治六冠(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王)と佐藤康光前竜王(当時は名人か竜王を失冠した棋士は「名人」「竜王」と呼ぶ、変な忖度があった)の7番勝負、第3局

 後手番羽生の四間飛車に、佐藤康光は得意の穴熊にもぐる。

 

 

 

 序盤で、まだ淡々と駒組が進みそうな局面に見えるが、ここで将棋界の大革命を誘発する手が飛び出す。

 

 

 

 

 

 △93桂と跳ねるのが、おもしろい一手。

 今なら、三間飛車における「トマホーク」や、関西の宮本広志五段が披露して、有名になった端桂のようだが、その元祖ともいえるのがこれ。

 

 

 

 2014年の第73期C級1組順位戦。永瀬拓矢六段と宮本広志四段の一戦。

 オーソドックスな対抗形から、▲25歩、△同歩、▲17桂と、宮本が端桂から突然に襲いかかる。

 玉頭戦になれば、深い位置の▲39玉型が働く形で、以下バリバリ攻めて強敵を圧倒。

 

 

 この形自体は、さかのぼれば林葉直子さんや、部分的には大山康晴十五世名人なんかも指してはいるけど、主に左美濃矢倉に対してで、居飛車穴熊相手にというのは存外見たことがない。

 以下、▲88銀△85桂と早くも飛び出して形を決めたあと、そこから一転、攻めるのではなく石田流に組み直し、じっくりと腰をすえる。

 

 

 

 意図としては、常に端攻めがある状態にして、先手にプレッシャーをかけようということだろう。

 たしかに、いつでも△96歩△97桂成がある状態だと、桂香を渡しにくいし、角筋にも注意を払っておかなければならない。

 穴熊得意の「自陣を見ずに攻める」展開にさせないということだ。

 そこから左辺で戦いがはじまり、後手はねらい通りに手をつける。

 もみ合っているうちに、むかえたのがこの局面。

 

 

 

 角銀交換で後手が駒損しているが、△85桂のボウガンが急所に刺さっており、強烈きわまりない。

 ▲98金と逃げても、△97歩など次々に追撃が来て、とても保たない形。

 まともな受けではどうしようもなく、アマ級位者レベルなら後手必勝といってもいい局面に見えるが、ここで佐藤康光が指した手がすばらしかった。

 

 

 

 

 

 ▲86金と上がるのが、ちょっと思いつかないしのぎ。

 これがならだれでも指すが、「ナナメに誘え」のを行くこの金上り。

 まさに、先入観にとらわれない指し手が武器である羽生の、お株を奪うかのような絶妙手だった。

 △97桂成には、▲98香の真剣白刃取りで、それ以上の攻めはない。

 

    

 後手はを攻めたからには、どこかで△96香と走りたいが、その瞬間に▲93角が一撃必殺で、ほぼ即死

 となると、これ以上の攻めがないのだ。

 △93桂から端の速攻という構想を、木っ端微塵に打ち砕かれた羽生。

 △63歩▲67飛に、△84歩を支えるが、△97にダイブできるはずの桂を、こうして守るようでは明らかに変調だ。

 佐藤は▲55角と急所に据えて、△28飛の打ちこみに▲74桂が、美濃囲いの急所であるコビンを攻める痛烈な一打。

 

 
 

 美濃囲いが、この角桂のスリングショットを、モロに食らっては受けがない。

 △同歩に、▲91角成

 △97銀と後手も必死に迫るが、かまわず▲93角と、これまたド急所の一手。

 

 

 

 △62玉▲84角成が胸のすく王手で、△73桂と合駒するしかないが、▲85金桂馬を取りはらって盤石。

 そこで△68飛成は、▲同金なら△98銀打で詰みだが、▲同飛が飛車の横利きで、▲98の地点を守ってピッタリ。

 しょうがない△29飛成に、▲98香で見事な受け切り。

 

 

 2枚のの圧力がすさまじく、挽回のすべもないまま羽生は完敗した。

 いかがであろうか、この将棋。

 羽生の△93桂からの趣向はおもしろかったが、佐藤康光はそれを完膚なきまで、叩きのめしてしまった。

 だがこの将棋は、単に振り飛車の敗局として、埋もれてしまうわけではなかった。

 藤井猛九段が、この将棋をひそかにチェックしていたからだ。

 当時の藤井システムはまだ未完成で、いくつかの「課題局面」を突破できずに悩んでいたが、なんとこの一局が、その突破口になったというのだ。

 それこそが、羽生の見せた「△93桂」の端ジャンプ。

 この手自体は、佐藤康光の剛腕によってはばまれたが、

 

 「居飛車穴熊相手に、早く桂馬を跳ねて速攻

 

 という、藤井システムのキモともいえる発想は、この将棋に大きな影響を受けたそうなのだ。

 また、△71玉型が、戦場に近くて反撃がきびしかったなら、

 

 「じゃあ、最初から居玉でよくね?」

 

 これら、「システムへの羽生善治の影響」というのは、藤井本人が各所で語っているところである。

 この将棋が1995年の11月7日。

 そして翌月の12月22日。

 

 

 

 B級2組順位戦の対井上慶太六段戦で、藤井システムの「完成形」がお

目見え。

 将棋界に革命が、勃発することになるのである。

 

 (大山康晴の晩年の受け編に続く→こちら

 (藤井システムと「一歩竜王」については→こちら

 

 

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「自分は消化試合、相手は人生がかかった大一番」の戦い方 大野源一vs米長邦雄 1970年 B級1組順位戦

2021年06月17日 | 将棋・名局

 「消化試合」をどう戦うかは、判断がむずかしいところである。

 そういうときのモチベーションは、人それぞれだろう。

 どんなときも全力という人もいれば、ここでムキになってもなあと、軽く流すパターンもありだ。

 その思想はそれこそ、人の数だけあるだろうが、ここにひとつ、この問題にある種の「正解」を出した棋士が、かつていた。

 前回は鈴木大介九段が、降級のピンチで見せた衝撃の勝負手を紹介したが(→こちら)、今回はまさにそこで、対戦相手の畠山鎮が直面した、ある「哲学」のお話。

 

 1970年B級1組順位戦の最終局は、後の将棋界に、大きな影響をあたえることになる1日だった。

 注目だった将棋は2局あり、ひとつが大野源一八段と、米長邦雄七段の一戦。

 もうひとつが、芹沢博文八段と、中原誠七段の戦いだ。

 この期のB1は、内藤國雄棋聖がすでに昇級を決めており、のこり1枠をかけた戦いを残すのみとなっていた。

 自力なのは大野で、米長に勝てば、文句なくA級復帰が決まる。

 大野が敗れると、芹沢と中原の勝った方が昇級

 米長はひとり蚊帳の外で、消化試合となっている。

 「名人候補」で今で言う藤井聡太王位棋聖のような存在だった、中原の戦いぶりも気になるが、それ以上に話題を集めたのが大野の躍進。

 なんと、このとき58歳

 大ベテランなうえに、大野は「振り飛車名人」として人気も高い棋士。

 当然、マスコミも大きく取り上げるはずで、現に米長自身すら、

 


 「大野さんがA級に復帰すれば、年齢が年齢なだけにニュースになる。敬愛する大先輩にうまく指されて負かされたいとチラリと思ったものです」


 

 今で言えば「通算1000勝まで、あと少し」な、桐山清澄九段の戦いのようなものか。

 様々な因縁がからんだ一戦は、先手大野の中飛車で幕を開ける。

 米長は引き角から、銀を△73にくり出し攻勢を取るが、大野も力強く受け止めて、着々と反撃の態勢を整えていく。

 むかえたこの局面。

 

 

 角取りを△74歩と受けたところだが、この1手前の▲78飛が好手で、すでに先手がさばけ形

 ここで、振り飛車の心得がある。

 あまたのスペシャリストたちが、口をそろえて言うその極意とは……。

 

 

 

 

 ▲75飛、△同歩、▲53角成、△同金、▲71角、△52飛、▲53角成、△同飛、▲44銀

 長手順でもうしわけないが筋はいたってシンプルで、先手は飛車も角もぶった切って食いついていく。

 これぞ、久保利明藤井猛鈴木大介、中田功といったジェダイたちが伝える振り飛車の筋。

 そう、

 

 「飛車は切るもの」

 

 相手が攻めてきたところを、大駒を駆使してかわしておいて、スキありと見れば、一気にラッシュをかける。

 あとは美濃の耐久力にものをいわせて、小駒でベタベタくっついていく。

 これこそが、振り飛車の理想的な勝ちパターンなのだ。

 さすがは、久保利明の将棋に影響をあたえまくった、「元祖さばきのアーティスト

 この大一番でも、持ち味を発揮しまくっているが、ただし相手は中原誠と並ぶ若手のホープである米長邦雄

 「負かされたい」といいながらも、勝負師の本能は、そう簡単に割り切らせてくれないのだ。

 

 

 

 

 ▲44銀に、△43飛が「泥沼流」米長邦雄のうまいねばり。

 △52飛△51飛では、▲53金とか▲62銀とか、金銀で飛車をいじめられ、「玉飛接近」の形では、そのまま寄せられてしまう。

 そこでガツンと、飛車をぶつける。

 これで巻き返しとはならないが、一目、最善のがんばりなのはよくわかる。

 大野は▲同銀成と取って、▲82飛と自然にせまるが、後手も△52飛の力強い合駒。

 

 ▲81飛成としたところで、△51底歩を打って耐える。

 その後も大野の攻めを、2枚のを駆使して、なんとかしのぐ。

 それでも先手勝勢だが、最初は迷っていた米長も、ここまできたら負けられない。

 

 △48歩と打つのが、美濃くずしの手筋で、これがまた悩ましい。

 どう応じても味が悪く、先手の攻め駒の渋滞っぷりを見ても、いかにも「もてあましている」という感じがするではないか。

 それでもまだ、大野が勝っていたが、ついにひっくり返ったのが、この局面。

 

 ここでは▲55銀と王手して、△同馬位置を変えてから、▲52竜引と取れば先手が勝ちだった。

 

   ▲55銀、△同馬、▲52竜の局面。

 

 ところが大野は、単に▲52竜引としてしまう。

 すかさず、△39銀と打たれて大逆転

 

 

 

 以下、▲同玉△48馬と切って(この筋を消すのが▲55銀の効果だった)▲同玉に△57金、▲同玉、△45桂打でまさかの大トン死。

 

 

 以下、▲67玉、△68金、▲同玉、△46角、▲78玉に、△66桂から2枚のも足りてピッタリ詰みで、まさに「勝ち将棋、鬼のごとし」。

 こうして、大野の58歳A級復帰という夢は絶たれた。

 一方、芹沢-中原戦は、このころ芹沢必勝に。

 ところが、ちょっとしたアヤで芹沢が「米長勝ち」を察した途端に指し手が乱れ、そこから大逆転

 このあたり、米長の著者では

 


 「芹沢さんは気づかずに戦っていた」


 

 とあり、意見のわかれるところのようだが、他力がからんだ勝負では、場の空気から状況が読める(人の出入りが激しくなったり、逆に観戦者が露骨に興味を失うとか)ことがあるらしく、

 

 「知らされてはいないが、ほぼほぼ、わかってしまっていた」

 

 みたいな話はよく聞く。

 また、米長の大野への想いなども、書く人や時代によって温度差があったり、中身や解釈も違っていることが多いが、それが「伝説」というものだろう。

 ちなみに中原はこちらは本当に、なにも気づかず指し続けていたそう。

 それが幸いしたとなれば、いかにも人間らしいというか、できすぎた話のようだが、これで中原が逆転昇級を決め大名人へ大きく前進。

 もし大野が、あの将棋を順当に勝っていたら、中原のA級昇級は最低でも一年遅れていた。
 
 のちに「名人15期」を誇ることになる中原だから、ここで一回停滞したところで、歴史はたいしては変わらなかったろう。
 
 が、それはあくまで結果を知ってのはなしであって、現実はわからない。
 
 「一年を棒に振った」ダメージは尾を引いたかもしれず、その意味では大野だけでなく、もっと大きななにかを変えたかもしれない。
 
 もしかしたら、のちに中原に何度も名人位をはばまれることとなる、米長本人の運命すらゆるがしたやもしれぬ、「消化試合」でのがんばりだった。
 

 

 (「米長哲学」に関する議論編に続く→こちら

 

 (久保利明に感銘をあたえた大野のさばきは→こちら) 

 

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