佐藤康光の将棋は野蛮である。
というと今のファンからは
「そんなの知ってるよォ」
なんて笑われるかもしれないが、佐藤をデビュー時から知っている身としては、そのイメージはけっこう意外なものだった。
もともと、見た目も言動も優等生的で、ニックネームも「緻密流」。
さらにプライベートではバイオリンが特技とくれば、これはもうまごうことなき正統派の「エリート」。
とはいえ、仲の良い先崎学九段はよく
「緻密って、そうかなあ。彼の将棋はもっと大ざっぱで乱暴ですよ」
いぶかしんでいたし、また亡くなった村山聖九段が、なぜか佐藤康光をあまり認めていなかったのは佐藤自身も認める有名な話。
その理由として、若くして亡くなった村山への追悼文に佐藤が、
「彼は即興の将棋は嫌っていた。私の将棋は多少、そういう面を持っている」
との分析を表していた。
そんな佐藤康光が「野獣」としての本性をあらわしてくるのは早かった。
強くそれを感じ取れたのは、初のタイトル獲得となった1993年の第6期竜王戦。
当時、「七冠ロード」を走り、飛ぶ鳥落とす爆発力で棋界を席巻していた羽生善治五冠(竜王・棋聖・王位・王座・棋王)を相手に、すさまじいパワーを見せつけるのだ。
見事な将棋で先手番をブレークした第5局もすごかったが(→こちら)、そのひとつ前の第4局もまた、剛腕が炸裂しまくっていた。
羽生竜王の2勝1敗リードでむかえた本局は、ガッチリ組み合う相矢倉に。
佐藤の棒銀を、羽生は△22銀型で受け流そうとし、むかえたこの局面。
後手の羽生が△65歩と打ったところ。
先手はこの局面、一瞬は金得だが、銀取りに対応する手がむずかしいところ。
どう指すか注目だが、ここから佐藤康光が本領を発揮する。
▲33飛成、△同金、▲34歩が佐藤流のハードパンチ。
銀取りに▲77銀と逃げると、△76歩と追撃され、▲同銀には△44角が王手飛車で「オワ」。
「両取り逃げるべからず」のように、受ける手がないときは受けなければいいのである。
そこで飛車を切ってドン。
▲34歩のタタキに△32金と逃げていては、▲33桂とかガンガン攻められてあっという間に押しつぶされるから、△同銀と取って、▲同銀、△同金。
そこで▲43角が痛烈な王手金取りで、△32歩に▲22歩と一回王手して、△同玉に▲34角成。
次に▲44馬から▲34桂と打たれると、ほとんど詰みだが、次の手が、おぼえておきたいカウンター。
△79銀が、この形の手筋。
王様と金のどちらで取っても、飛車打ちの王手馬取りで▲34の馬が抜ける。
▲79同玉に△39飛、▲88玉に△34飛成で急場を脱したが、そこで▲35歩とタタいて、なかなか振りほどけない。
とにかく先手は持駒が豊富だし、竜の守備力は強いが「玉飛接近すべからず」で、むしろ攻撃の目標にされているのがツライ。
△同竜に▲43銀とからまれたところで、後手は待望の△66歩。
次に△67歩成とできれば勝つチャンスもあるが、この一瞬が甘いと佐藤は▲34金。
羽生は△33銀と必死の防戦だが、▲42銀打と組みついて、とうとう受けるスペースがなくなってきた。
△42同銀、▲同銀不成、△同飛に▲35金と竜を取る。
カナメの竜をはずして、後手玉は風前の灯火。
次に▲34桂からの一手スキで、△33歩のような力のない受けでは、▲34歩などわかりやすく攻められて一手一手。
後手はなんとか一手しのいで、△67歩成を実現させたいが、ここで羽生が魅せるのだ。
△34銀と打つのがハッとする勝負手。
▲同金は詰めろがほどけるから、その瞬間△67歩成で危険きわまりない。
一回▲61飛と先着して、△41銀とさせてから▲34金と取る。
後手は待望の△67歩成だが、そこで▲同飛成と取れるのが、▲61飛と打った自慢だ。
これが冷静な組み立てで、盤面右側しか目がいかなそうな場面で、実に落ち着いたものである。
これで先手玉が格段に安全になって、以下は佐藤が勝ち。
「野蛮」と「緻密」を見事に融合させた指しまわしで、ここから3連勝とダッシュ。
宿敵である羽生から、初タイトルとなる竜王を獲得するのだ。
(佐藤康光のスゴイ詰みはこちら)
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