「スーパーあつし君」の詰将棋と終盤 宮田敦史vs北島忠雄 2006年 第64期C級1組順位戦 その2

2021年04月19日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 2006年の、第64期C級1組順位戦

 北島忠雄六段宮田敦史五段の一戦は、終盤の千日手模様を宮田が鋭手で打開し、超難解なバトルが続いている。

 

 

 

 

 ▲89桂なら千日手だが、ここで▲73金が控室の検討陣も悲鳴をあげた、すごい手で、△同玉、▲85桂打△同飛▲同歩

 前回書いたように、ここで△77桂成▲同飛に、△同角成は、最後に手順に開けておいた▲86の地点に逃げこんで詰まない。

 北島は△77桂成、▲同飛に、△67金打とへばりついていく。

 ここで▲65桂などと反撃したいが、後手玉は上部が厚く、なかなか詰ますのは大変。

 そこで、一回▲69桂と受ける。

 

 

 これがまた、あぶないようながら最善の受けで、先手玉に詰みはない。

 今度、後手玉は上部に逃げ出したとき、桂馬△57の地点を押さえられているため、ここでゆるむと一気に寄せられてしまうかもしれない。

 つまり、▲69桂はただ受けただけのように見えて、なんと攻防の一手だったのだ!

 かといって、△77金飛車を取っても、▲同桂がやはり、を渡しながら△65の地点を押さえられることになり、自分の首を絞めるだけ。

 △58飛のような王手には、▲78銀打と合駒するくらいで、なんでもない。

 必死の北島は△78金打と、こちらから強引に王手する。

 これがまた、メチャクチャに危険ラッシュで、▲同銀は、△同金、▲同玉、△77角成

 そこで▲同玉△67飛▲86玉で、▲69がいるから、△77銀が打てず不詰。

 

 △77同角成に▲同桂も、△86桂と打って、▲69玉と▲87玉は詰むから、▲88玉とよろける。

 △78飛には、▲87玉、△98銀、▲同香、△95桂、▲同歩、△98飛成、▲86玉、△95竜、▲87玉、△86香、▲78玉、△98竜▲69玉で、ギリギリ詰まない。

 

 

 とはいえ、とんでもなく怖い形で、なにか読み抜けがあったらお陀仏だ。

 そこで宮田は▲97玉とかわす。

 これなら、△88の地点にを打たせなければ絶対に詰まない

 

 「ななめゼット」

 

 という形で、「銀冠の小部屋」が最大限に働いた形だ。

 今度こそ決まったようだが、北島は△77角成と取る。

 ここを金で取らなかったのは、を除去して△55の地点を空け、あわよくばそこから、ヌルヌルと逃げだそうというわけだ。

 ▲同桂に、△同金引

 

 

 

 

 秒読みでこんなことをされては、またもあわてまくるところで、事実、ここで上手の手から水が漏れたようなのだ。

 本譜は△同金引に、▲86角と打つ。

 

 

 

 これがまた、いかにも妙手っぽい手で、△87金、▲同玉、△78銀、▲98玉に△86桂と打つ筋を消しながら、△64の逃げ道を封鎖する、見事な、

 

 「詰めろのがれの詰めろ」

 

 になっているのだ。

 この超難解な終盤でに追われながら、よくもまあ、こんな美技を次々と繰り出せるものだが、実はこれが宮田のミスだったようだから、わからないもの。

 ここでは▲83飛と打って、△同玉は▲84銀から。

 △64玉には、▲82角からピッタリ詰んでいたのだ

 さほどむずかしい手順でもなく、落ち着いて考えれば、アマ初段クラスでも見つけられそう。

 激ムズなやりとりが長く続いたせいか、このシンプルな詰み筋が、意外な盲点になったか。

 一方の北島のしぶとさも、さるもので、必殺の角打ちに△87金と取って、▲同玉に、△77飛とせまる。

 ▲同角と手順に詰めろをほどいて、△同金

 そこで▲同玉△66角で詰みだから、▲86玉と、やはりこの生命線となったスペースに逃げこむ。 

 

 

 

 さあ、ここである。

 首の皮一枚で助かった北島だが、ここでどう指すか、また難解すぎる局面。

 攻めるなら一目は△66金だが、▲82角と打って、△同玉に▲83飛から物量にモノを言わせて詰まされる。

 また、△64角の攻防手も、▲75桂とか、いろいろ切り返しがありそうとか、もうわけがわからない。

 北島は一縷の望みをたくして、△64玉から大脱走を試みるが、すかさず▲82角の王手。

 これには△73桂とでも合駒すれば、まだ激戦は続いていたが(もう勘弁してぇ!)、北島はここで力尽き、△65玉と逃げてしまう。

 

 

 

 ここで宮田の目が、キラリと光った。

 そう、今度こそ、後手玉の詰みが見えたのだ。

 まず、▲75金から入る。

 △同歩と取るが、そこで▲74銀が、詰将棋の名手らしい、カッコイイ手。

 

 

 

 △同銀▲64飛から。

 △同玉▲73飛から簡単だから、△66玉しかないが、▲65飛と打って、△57玉に▲59飛で詰み。

 

 


 最後は飛車の形がきれいで、カオスな終盤戦の締めくくりがこうなるのが、また将棋の不思議なところ。

 以下、△58金とでもするが、▲49桂、△48玉に、▲37角成がピッタリ。

 

 

 

 これまた、馬の利きで▲59飛車取れない形が、詰将棋っぽくて美しい。

 ここがおもしろいところで、さっきの簡単な詰みは逃しながら、この妙手が必要となる長手数の問題は、あざやかに解き切ってしまう。

 変な言い方だが、その矛盾が一回転して、逆にすごみを感じさせる。

 水面下で、信じられないくらい深く読んでるからこその、ウッカリなのだろうから。

 この終盤の戦いぶりは、▲73金から、その読みと踏みこみの良さにおいて、

 「宮田敦史おそるべし

 との評価を、確固たるものにした。

 これほどの男が、いまだタイトル戦にも出られず、Cクラスにいるのは、体調をくずしてしまった時期があったから。

 あの羽生善治九段も、インタビューで、

 

 「体が万全の状態なら、もっと上に行ける棋士のはず」

 

 といった内容のことをおっしゃって、太鼓判を押したほどなのだ。

 この超絶技巧。久しぶりに、思い出させていただきました。

 「スーパーあつし君」。まだまだ健在やないですか。

 

 (羽生が王将戦で見せた大ポカ編に続く→こちら

 

  

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「スーパーあつし君」の詰将棋と終盤 宮田敦史vs北島忠雄 2006年 第64期C級1組順位戦

2021年04月18日 | 将棋・名局

 「宮田敦史は、やっぱりモノがちがうな」

 モニターの前で、思わずうなったのは、あるYouTubeの動画見たときのことだった。

 前回はアベマトーナメント出場決定をお祝いして、藤森哲也五段の「攻めっ気120%」の将棋を見ていただいたが(→こちら)、今回はある棋士の驚異的な終盤術を。

 

 ことの発端は家でゴロゴロしながら、香川愛生女流四段のチャンネルを見ていたときのこと。

 ふだんやっている将棋ウォーズ実況と違って、渡辺和史四段と、谷合廣紀四段がゲストに登場していた回だ(→こちら)。

 なんでも2人は香川さんとおさななじみだそうで、トークに花が咲いたが、そこでもう一つ企画として、こういうものもやっていた。

 「フラッシュ詰将棋

 一瞬だけ画面に映った問題を暗記して、それを早解きするというものだ。

 まず、1秒で図面がおぼえられるというのがすごいが、それを暗算で即座に解けるのが、またワザである。

 詰将棋を「鑑賞」するのは好きだが(すぐれた詰将棋には「芸術性」というのが存在するのです)解くのは好きでない自分は、もうこれだけで圧倒される。

 ところが、世の中には上がいるもので、

 「3問同時に出題されて解けるのか」

 というチャレンジには、さすがの若手プロ3人も苦戦し(その模様は→こちら)、そこで思わずこぼれたのが、

 

 「宮田先生はすごかった」

 

 宮田先生って、宮田敦史七段か。そういや詰将棋といえば、この人だよなー。

 なんて、おさまってたところに、そこでガバッとベッドに起き上がる。 

 え? てことは、敦史君は、これをやったってこと?

 マジかぁ?

 その内容は、こちらから確認していただきたいが、これがホンマにマジでした。

 解いちゃうんだよ、この人は。

 その様は一言でいえば、

 「アンタ、人間じゃない!」(なんか誤解されそうな言い回しだな)

 これには、深く、ふかーく、うなずかされたもの。

 しばらく聞かなかなかったが、これこそが、

 「スーパーあつし君

 との異名を取った天才の驚異だ。

 藤井聡太二冠が出てくるまで、「詰将棋選手権」といえば、この人のものだったが、その力は、今でもまったくおとろえていない。

 すごすぎですわ。マジで腰が抜けた。

 ということで今回は、そんな宮田敦史の超絶的な終盤戦をご覧いただこう。

 


 2006年の第64期C級1組順位戦

 宮田敦史五段と、北島忠雄六段の一戦。

 後手の北島が、当時大流行していた「一手損角換わり」から右玉に組むと、宮田は銀冠にかまえる。

 むかえた、この局面。

 

  後手の△65桂は、次に△77桂成からの詰めろで、先手はなにか受けなければならない。

 宮田は▲89桂と打つ。△77桂成に、▲同桂。

 北島はもう一回、△65桂のおかわり。宮田は再度、▲89桂。

 △77桂成、▲同桂に、みたびの△65桂。

 同一局面がグルグルと回っているが、これで次に宮田が▲89桂と打てば、もうループは止まらず、千日手になったはず。

 北島はそのつもりであり、局面の切迫度と時間に追われていることを考えれば、ここは「もう一局」が無難であろう。

 だが、信じられないことに宮田は、ここから、すさまじい打開術を披露するのだ。

 

 

 

 

 

 

 ▲73金と打つのが、控室の検討陣もどよめいた一撃。

 金のタダ捨てだが、△同角は勇躍▲65桂と取って、△55角▲77桂と受けておく。

 

 

 これで先手玉は詰まず、後手玉は▲65桂馬の存在感が絶大で受けがないから、宮田勝ち。

 そこで北島は△同玉と取るが、▲85桂打の継ぎ桂。

 

 

 

 △62玉▲73角から詰み。

 △72玉は、▲73銀、△同角、▲同桂成、△同玉に▲65桂と取るのがピッタリで、先手勝ち。

 △83玉が一番ねばれるが、▲73金とか、▲84銀、△同玉、▲62角みたいな形があぶなすぎて、とても指しきれない。

 そこで▲85桂打には△同飛と取るが、▲同歩と取り返しておく。

 先手玉はメチャクチャにあぶないが、△77桂成、▲同飛、△同角成、▲同玉、△67飛のような手には、▲86玉(!)

 

 

 手順にドアを開けておいた屋根裏に逃げ出して、後手にななめ駒がないから、きわどく詰みはない。

 この蜘蛛の糸をたよりに、千日手を打開したというのだから、宮田の読みと踏みこみがすばらしい。

 むずかしい手順だが、これこそが将棋の終盤の醍醐味と、宮田敦史はうったえかけてくるのだ。

 

 (続く→こちら

 

 

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将棋放浪記と攻めっ気120% 藤森哲也vs高野智史 2017年 第89期棋聖戦

2021年04月12日 | 将棋・名局

 藤森哲也五段が、アべマトーナメントへの出場権を獲得した。

 先日放送された、第4回アべマトーナメントの出場枠を決めるエントリートーナメントは、関西ブロックから小林裕士七段が勝ち抜き。

 2枠ある関東ブロックからは、まず梶浦宏孝六段

 そしてもうひとり、藤森哲也五段が予選を勝ち抜いて、この3人が見事、最後の1チームとして本戦出場を決めたのであった。

 中でも注目なのが、藤森五段の戦いぶり。

 藤森の「てっちゃん」といえば、私の世代だとお母様の「なっちゃん」こと藤森奈津子女流四段(ステキな人なんだな、これが)の息子さんというイメージだが、今のファンには楽しい解説や、YouTubeの方が思い浮かぶかもしれない。

 そんなエンターテイナー藤森哲也だが、今回は本業でも魅せてくれました。

 もともと、てっちゃんといえば、勝負強いタイプで、三段リーグでは最終日7番手からの大逆転で昇段。

 デビュー後も新人王戦2回と、加古川清流戦でもファイナリストになっており、優勝こそ逃したものの、そのパンチ力をアピールした。

 本戦でも、頼れるチームメイトとともに、選抜されたエリート達に一泡も二泡も吹かせてほしいものだ。

 ということで、前回は昇級祝いで高崎一生七段の将棋を紹介したが(→こちら)、今回は藤森哲也五段の快勝譜を紹介したい。


 2017年の第89期棋聖戦一次予選。

 藤森哲也五段と、高野智史四段の一戦。

 相居飛車から、先手の藤森が現代風の雁木に組むと、高野は△33桂&△42銀とそなえ、専守防衛の姿勢で迎え撃つ。

 むかえた、この局面。

 

 

 藤森が4筋から歩をぶつけ、桂交換をしたところ。

 先手は、

 

 「攻めは飛角銀桂」

 「玉の守りは金銀3枚」

 

 という基本通りのフォーメーション。

 なんとも美しい形で、

 「将棋の王道

 という感じがするが、後手も金銀4枚の利きもくわえて、厳重にロックをかけ、待ち構えている。

 まさにサッカーでいうイタリアの「カテナチオ」だが、ここから藤森は華麗、かつ力強い進撃で、固い門のカギをこじ開けていく。

 

 

 

 

 ▲35歩、△同歩、▲45歩、△同歩、▲15歩、△同歩、▲45銀

 

「開戦は歩の突き捨てから」

 

 という、お手本通りの仕掛け。

 これはもう、相居飛車の将棋を楽しみたい方には、ぜひともマスターしてほしい呼吸。

 単に▲45歩は、△同歩、▲同銀に△44歩で追い返される。

 ここは景気づけで、3筋1筋をからめて行くのが、のちの攻撃のを大きく広げるのだ。

 今度△44歩は、本譜の▲34歩で攻めがつながっている。

 高野は△45歩と取るが、▲33歩成と取って、△同銀に▲37桂がまた、リズムの良い攻め。

 

 

 3筋の突き捨てがまたも生きて、▲45桂ジャンプから▲33歩が、の持駒と連動して絶品。

 

 「桂はひかえて打て」

 

 これまた格言通りの攻めだ。

 後手も△46歩、▲同飛、△44歩と、争点をずらす手筋を駆使し、しゃがんで受けるが、かまわず▲45歩と合わせる。

 △55桂と、角筋を遮断しながら反撃に移るも、▲44歩と取りこんで、△同角、▲45歩、△53角。

 そこで、われわれも大好きな▲44銀の打ちこみ。

 

 

 まさに、塚田泰明ゆずりの

 

 「攻めっ気120%」

 

 という大突貫。

 師匠のキャッチフレーズが「攻め100%」だから、その勢いは2割増しだぞ!

 △同銀、▲同歩、△同金に▲15香と走るのが、これまた居飛車党の必修科目ともいえる香捨て。

 これで貴重な一歩が補充できるうえに、香を上ずらせて、後手の守備力もけずっている。

 △15同香しかないが、そこでむしりとった一歩を使って、▲33歩が絶好打。

 


 「攻めの藤森」の持ち味が、これでもかと発揮されている。

 △22金に、俗に▲32銀と打ちこんで、ガリガリ攻めていく。

 まるで、『将棋放浪記』で紹介されている棋譜みたいだが、プロ相手に、それものちに新人王戦優勝することになる高野智史を、こんなサンドバッグあつかいできるのが、すさまじい。

 今、早めに△73銀△73桂とくり出す急戦が流行っているのは、相居飛車の後手番は、どうしてもこういう形になりやすいから。

 そりゃこんな目にあわされれば、その前に動こうと、必死になるわけである。

 そういや、羽生善治森内俊之矢倉戦とか、谷川浩司佐藤康光とか、丸山忠久郷田真隆角換わりとかって、いつもこんな感じだったなあ。

 クライマックスは、この場面。

 

 

 藤森の百烈拳が急所にヒットしまくりで、ここでは先手が勝勢

 ただ、駒の数が少なく、歩切れということもあって、足が止まると一瞬で指し切りになる恐れもある。

 後手玉が、左辺に逃げ出す前になんとかしたいが、次の手がまた「筋中の筋」という手で、勝負が決まった。

 

 

 

 


 ▲64歩と突くのが、これまたぜひとも指に、おぼえさせていただきたい好感覚。

 △同歩しかないが、▲55角と藤森流に言えばブッチして、△同歩に▲63桂がトドメの一撃。

 

 

 

 角取りだが、△62角頭金

 △53角▲32金打で、ピッタリ詰み。

 以下、数手指して高野が投了

 攻められっぱなしで一度もターンがまわってこない、典型的な「後手番ノーチャンス」という将棋だった。

 最後の▲63桂が、『将棋世界』で藤森が連載していた講座に、紹介されていた手。

 なので、これを見ていただこうと思ったのだが、今回あらためて並べ直して、あまりにもきれいな攻めが決まっていたので、ちょっとくわしめに取り上げてみた。

 てっちゃんはよく、『将棋放浪記』で、

 

 「勝つことも大事ですが、皆様が楽しんで上達できるように、できるだけ基本に忠実で、筋のいい、きれいな手をお見せしていきたいです」

 

 そう言ってるけど、これこそまさに、そんな将棋だった。

 連結のいい囲いから、の突き捨て、1筋の香捨て、▲44銀の俗筋から、最後は切れ味のいい寄せでフィニッシュ。

 ホント、この棋譜を何度も並べるだけで、アマ初段くらいにはなれるんじゃないだろうか。

 それくらい、お手本のような攻め筋なのだ。

 てっちゃん、強いぞ!

 

 (「スーパーあつし君」の終盤力編に続く→こちら

 

 

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砂をつかんで立ち上がれ 高崎一生vs有吉道夫&村中秀史 2009年&2010年 C級2組順位戦

2021年04月06日 | 将棋・名局

 高崎一生七段が、B級2組に昇級した。

 高崎といえば、小学生名人戦で優勝という実績からスタートし、奨励会時代から、

 「平成のチャイルドブランド

 と呼ばれ、広瀬章人佐藤天彦とも並び称された実力者だった。

 そんな高崎だが、順位戦では苦労が多く、C級2組時代は昇級の一番を、大ベテランに止められたり。

 また、C1でも毎年好成績をあげながら、9勝1敗頭ハネで涙をのんだこともありと(9割勝ってむくわれないなんて、なんて制度だ!)、苦難の道を余儀なくされる。

 それが今回、ようやっと昇級することになった。実におめでたい。

 私はこういう力のある棋士を、10年以上もCクラスにおいておく意味なんて、ないと思っている。

 なので、「藤井フィーバー」で世間の注目が集まっている今こそ、こういった点をどんどん改善してほしいものだ。

 前回は西山朋佳女流三冠(奨励会は残念でしたが引き続き応援してます!)の強烈な投げ槍を紹介したが(→こちら)、今回は昇級のお祝いで、高崎七段の将棋を。


 2009年、第67期C級2組順位戦

 有吉道夫九段と、高崎一生四段の一戦。

 この一番は当時、将棋ファンのみならず、一般マスコミの注目も集める一戦となった。

 それはここまで7勝2敗の高崎が、勝てば昇級というだけでなく、有吉にとっても人生のかかった大勝負であったからだ。

 棋聖獲得の経験もあり、A級21期、棋戦優勝9回

 その激しい攻めは「火の玉流」と恐れられ、通算1000勝越えも達成している、まさに関西のレジェンド棋士である有吉道夫。

 だが、このときはすでに73歳(!)で、往年の力はなく、C級2組でも降級点2個と追いつめられていた。

 ここで3つ目を取ってしまえば、他者の結果も関係してややこしいが、強制引退となる可能性が高かったのだ。

 そして有吉は今期ここまで、まだ2勝

 これに敗れると、3つめのバツがついて、将棋界から去れなければならないかもしれない。

 ドラマチックなうえにも、ドラマチックな舞台が整った勝負は、後手の高崎がゴキゲン中飛車にかまえる。

 むかえた、この局面。

 

 形勢は、パッと見で高崎が指せそうか。

 自分だけを作っているし、先手の▲15歩という手が、あまり1手の価値がないように見える。

 つまりは先手が、指し手に困っている、ということではないか。

 なら、△42金とでも自陣を整備しておけば、自然に差が広がりそうなところだが、高崎は△28馬としてしまう。

 なにか錯覚があったのだろう、これには▲17角で馬が消されて、おもしろくない。

 

 

 △同馬、▲同桂に、再度△28角と打ち直すが、そこで▲23桂が意表の一手。

 

 △同金▲43飛成

 △同飛▲41角で困るから、かまわず△19角成とするが、▲11桂成、△同飛に▲25桂。

 

 

 ただ取られるだけの駒だったはずの桂馬が、きれいにさばけては、実際の形勢はともかく、先手の気持ちがいいのはたしかだろう。

 高崎も、もちろん有吉側の事情は知っていたわけで、このあたりでは、やりにくさを感じていたのかもしれない。

 ややギクシャクしている高崎に対して、有吉の方は元気いっぱい。

 負ければ、将棋を取り上げられるかもしれないプレッシャーを、まるで感じさせない勢いで、若手昇級候補を追いつめていく。

 一方の高崎も、負けるわけにはいかないのは同じで、からアヤをつけ、なんとか先手玉にせまっていく。

 むかえた最終盤。

 

 高崎が△87香と放りこんだところ。

 形勢は先手優勢だが、後手も決死の喰いつきで、玉に近いところなので慎重な対応が必要。

 ▲87同金△99飛成△97香成で怖いところもあるが、次の一手が決め手になった。

 

 

 

 

 

 ▲65角と打つのが、ほれぼれするような美しい手。

 受けては△87香△98飛に利かしながら、玉頭への殺到も見た、お手本通りの攻防の角。

 先手玉は、さえ渡さなければトン死筋はないため、条件がわかりやすく、これで勝ちのコースが見えた。

 手段に窮した高崎は、△99飛成から△88香成とするが、▲83香のカチコミから、▲32と、の左右挟撃でまいった。

 以下、有吉の正確な寄せに、高崎投了。

 有吉道夫、奇蹟の引退回避

 戦前の予想では、まあふつうに高崎が勝つのだろうと思っていたが、こんなことが起こるのも勝負の世界である。

 このとき高崎は、自分の背中越しにカメラのシャッター音が聞こえるという、将棋の敗者がさけられない屈辱を味わった。

 この敗戦はかなり応えたようで、のちのインタビューなどでも、あまり思い出したくないような反応を見せていたもの。

 だが、そこで屈しなかったのが、高崎一生の立派なところだった。

 翌年の順位戦でも白星を集め、8回戦を終えたところで7勝1敗。

 ラス前の9回戦に勝てば、昇級が決まるという一番を、またもむかえた。

 相手は今ではYouTubeでもおなじみの村中秀史五段

 この人もまた、実力のわりに順位戦で苦労を強いられている棋士の一人だが、この強敵相手に高崎はすばらしい将棋を披露する。

 

 相穴熊から、先に竜を作られているが、振り飛車側も成桂が敵陣に侵入し、穴熊流の接近戦の下ごしらえはできている。

 3筋に味もあり、どうせまるかというところだが、次の手が落ち着いた一着だった。

 

 

 

 

 ▲25歩と突くのが、この際の好手。

 ここでは▲34歩が目につくが、すぐにやると△24角が飛車取りでうるさい。

 そこで、じっと歩を突いてプレッシャーをかけておく。

 次こそ▲34歩で角が窒息するから、△45歩、▲同飛、△44銀とほぐしにかかるが、堂々▲46飛で問題ない。

 後手はそこで△35銀とできればいいが、それには▲42飛成(!)と抱きつかれて、先手の攻めが早い。

 

 

 次に▲32竜から▲43銀とか、からみついて、先手玉が鉄壁ということもあり、攻め合いで後手が勝てない。

 これでペースをつかんだ高崎は、その後は▲24歩、△同歩、▲23歩と、手筋を駆使して村中の穴熊を攻略。

 一度地獄を見たエリートが、すばらしいリカバリーを見せ、見事C1への切符を手にしたのだった。

 

 (藤森哲也の「攻めっ気120%」編に続く→こちら

 

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NHKにようこそ! 稲葉陽vs橋本崇載 2013年 第21期銀河戦 決勝

2021年03月25日 | 将棋・名局

 稲葉陽八段が、NHK杯で優勝した。

 稲葉といえば、これで3度目の決勝進出と、この棋戦との相性の良さを見せているが、まだ優勝には届いていない。

 2017年の第67回大会では山崎隆之八段に、また昨年度も深浦康市九段に敗れての準優勝。

 決勝まで行って、そこで負けてしまう徒労感は相当のものだろうに、3度目勝ち上がってくる精神力は、すばらしいものがある。

 今度こそ、と気合を入れていたことだろう、名人挑戦を決めて勢いに乗る、斎藤慎太郎八段に激戦の末勝利。

 

 

NHK杯決勝の最終盤。ここで△25銀と飛車を押さえておけば、斎藤の優勝はほぼ決まっていた。

本譜は△35銀だったため、▲33銀、△同桂、▲同歩成、△同金、▲同金、△同玉、▲43金から、稲葉が一瞬の切れ味を見せ、後手玉を仕留めた。

 

 

 ともかくも、双方スレスレの線を行く将棋であって、大いに堪能したものだった

 ということで、前回は名人時代に佐藤天彦九段が見せた、華麗な桂使いを紹介したが(→こちら)、今回は稲葉の将棋を取り上げてみたい。


 2013年の第21期銀河戦。

 決勝に勝ち上がってきたのは、橋本崇載八段と稲葉陽六段だった。

 両者とも棋戦初優勝がかかった一番は、後手になった橋本が、早々の角交換から、ダイレクト向飛車に振る。

 稲葉は銀冠で対抗し、▲66角と好所に据えて局面を動かしていくと、橋本もその角を目標に盛り上がっていく。

 むかえたこの局面。

 

 

 角銀交換で後手が駒得だが、△45の桂が取られそうなうえに、△33の金も玉から離れて使いにくい。

 先手は一目、▲45歩と桂を取りたいが、△55角と天王山に設置され、飛車を責められるのもやっかいだ。

 どう手を作るのか注目だが、ここから稲葉が、力強い駒の進撃を見せてくれる。

 

 

 

 

 

 ▲66銀と置いておくのが、なるほどという手。

 自陣にカナ駒を投入し、一見迫力なさげに見えるが、これが局面の急所を押さえ、含みが多い銀打なのだ。

 具体的には、△55角の筋を消しながら、いつでも▲45歩と取るぞとおどしをかけ、△57桂成から、△39角のような攻めも緩和している。

 ボヤボヤしてれば▲75銀から▲85歩と、玉頭戦から一気にラッシュで、そうなれば、後手の2枚の角がうまく機能しない可能性もある。

 接近戦は大駒よりも、金銀タックルの方が、パワーで勝るのである。

 橋本は△44金と、懸案の金を活用してくるが、稲葉は▲45歩と取って、△同金に、▲85歩、△同歩と急所の突き捨てを入れてから、▲48飛と味よく活用。

 

 

 

 形勢はまだむずかしそうだが、手の勢いは先手にありそう。

 橋本も△86歩、▲同銀、△87歩と、これまた筋中の筋で応戦するが、どうもこのあたりから稲葉がリードを奪いつつあったようだ。

 むかえた最終盤。

 

 

 

 橋本が、ふたたび△86歩と、銀冠の最急所に一発入れているところ。

 先手が一手勝てそうだが、△69角という手には、気をつけなければならない。

 なら、自陣のスキを作らない、▲86同銀引が冷静な手に見えるが、攻め駒が後退するのもシャクではある。

 鋭さが売りの稲葉は、果敢に踏みこんでいく。

 

 

 

 

 

 ▲84歩が、なにも恐れない勇者の一撃。

 △87歩成とボロっと取られるだけでなく、先手玉も危険地帯に引きずり出されて、怖すぎるところだが、稲葉はすべて読み切っていた。

 まるで谷川浩司九段による「光速の寄せ」のごとしだが、事実、稲葉の終盤力は、

 「谷川型エンジン搭載」

 と絶賛されているのだ。

 ▲84歩に△73金▲74桂で詰まされる。追いつめられた橋本は、△87歩成、▲同玉に△76銀(!)と捨駒。

 

 

 

 ▲同玉に、またも△85銀(!)と捨て、トドメに△74金打(!)。

 

 

 

 なりふりかまわぬ犠打の嵐で、なんとかしがみついていく。

 詰みはないが、30秒将棋では「まさか」ということもあるし、なんとか王手しながら敵のカナメ駒を除去していくのは、玉頭戦の手筋でもある。

 ただ、ここはさすがに、駒を使いすぎてしまっている。

 手に乗って敵陣にトライした先手玉をつかまえるには、もはや橋本に戦力は残っていなかった。

 

 

 最後は最果ての▲31まで逃げて、橋本の猛追を振り切った。

 勝ちはその前から読み切っていただろうが、ここまで追われては、さすがの稲葉も、投げてくれるまでブルブルだったことだろう。
 
 難敵を下し、見事に稲葉陽が、全棋士参加棋戦での優勝を飾ったのであった。

 

 
 (西山朋佳と里見香奈の熱戦編に続く→こちら) 
 

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シュレディンガーの悪手 米長邦雄vs脇謙二 1992年 第5期竜王戦1組決勝 その3

2021年02月23日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 1992年の第5期竜王戦、ランキング戦1組決勝。

 死闘となった、米長邦雄九段脇謙二七段の一戦も、いよいよクライマックス。

 

 

 

 

 図は▲44香と飛車を取って、下駄をあずけたところ。

 先手玉は△45銀から自然に追っていけば捕まりそうだが、▲55玉から、▲64▲75とスルスル抜ける筋には、気をつけなければならない。

 まさに詰むや詰まざるやで、いよいよ決着がつく場面。

 ……のはずだったが、ここで脇の指した手が、信じがたい一着だった。

 

 

 

 

 

 

 △44同歩と取ったのが、度肝を抜かれる手。

 

 「詰ましてみろ! ただし、詰ましそこなったらゆるさんぞ」

 

 脅しをかけられたところで、なんと詰ましに行かないどころか、


 
 「そっちこそ詰ましてみろ!」

 

 居直ってきたのだ。

 冷静に考えて、ふつうはこんな手は指せない。

 先手玉はいかにも詰みそうなのに、ここで手番を放棄して、それで自玉が逆に詰まされでもしたら、アホみたいである。

 なら、読み切れなくても、王手ラッシュをかけそうなもので、その過程で詰みを発見できるかもしれず、実戦的にはなにか王手しそうなものだ。

 そこを堂々の△44同歩

 色んな意味で、シビれる一着。松田優作演じる、ジーパン刑事でなくとも「なんじゃこりゃあ!」ではないか。

 この将棋は米長が、雑誌の自戦記で取り上げていたが、やはりこの△44同歩には、たまげたそうである。

 「詰ましてみろ!」とせまって、米長からすれば、すでに勝負は終わっている

 あとは脇が詰ませれば「お見事」と頭を下げ、しくじれば「いや、運が良かったね」となる。

 ここが実戦のアヤで、つまりは▲44香と取ったところで、米長はいったんスイッチを切っていた。

 なんたって、負けるにしろ僥倖に恵まれるにしろ、どっちにしても先手にはもうすることがない。

 後手が「詰ますか、詰まし損なうか」。

 これを待つだけなのだ。まな板の鯉である。

 ところが、その状態で、まさかの「もう一手、指してください」との要求。

 これに米長はパニックにおちいってしまった。

 そして、敗着を指してしまう。なんと▲55玉と上がってしまったのだ。

 

 

 

 これはまったく1手の価値がなく、後手玉にせまってないどころか、自玉の詰めろも解除できていない。

 ここで脇は落ち着いたのか、△54歩と打って、今度こそ捕まえた。

 以下、▲64玉△42角と王手して、▲75に逃がさないのが、当然とはいえ好手。

 しょうがない▲73玉に、△82銀から簡単な追い詰みだ。

 こうして脇が見事1組優勝を決めたのだが、それにしても何度見てもすごいのが、この△44同歩という手だ。

 結論から言えば、この手では△45銀と打って詰みがあった

 ▲同玉△47竜から、本譜と同じ△42角と使う筋である。

 

 

 つまり、もし負けていたら△44同歩敗着ということになる。

 では、先手に勝ちがあったのかといえば、実はこれもあった

 ▲91飛と打って、△81合▲72歩からバラして、▲73金という筋で、後手玉は詰みだった。

 

 

 そう、米長は

 

 「詰ましてみろ! ただし詰まなかったらゆるさんぞ」

 

 と手を渡したのだから、詰まさないなら「ゆるさん!」と、斬りかかればよかったのだ。

 それで先手が勝ちだった。あの△44同歩は、やはり悪手だった。

 それも詰みをのがして相手に手番を渡し、それで自玉が詰むという、「ココセ(相手に「ここに指せ」と指令されたような悪い手のこと)」級のウルトラ大悪手だったのだ!

 ロジカルに考えれば、詰みを逃した△44同歩は脇の大失策だ。

 なにか錯覚があったか、米長相手に手番を渡されて、「本当に詰むのか?」と疑心暗鬼におちいったのかもしれない。

 そこで△44同歩と取る。

 それは読み切れず落胆したのか、それとも開き直ったのか。

 はたまた脇謙二のことだから、勝つにはこれしかないと根性入れたか。

 これが大山康晴十五世名人なら、自玉の詰みを発見しながら、それでも平然と香を取ったかもしれない。

 この手が、米長の思考を破壊した。

 一度オフにしていたエンジンを、もう一度臨戦態勢にするのは、に追われていては至難である。

 そこで本来なら指すはずだった「ゆるさん」を選べなかったのだから、まったく人のやることというのは、思う通りに行かないもの。

 仮に読むことはできなくても、「とりあえず王手」しておけば、それでもよかったのだ。

 志の低い発想かもしれないが、とにかくそれで手番を渡さなければ、すぐ落ち着きを取り戻し勝てたろう。

 その簡単なことを、数えきれないほどの修羅場を経験した、米長ほどの大棋士ができなくなるのだから、なんともおかしなものではないか。

 何度も言うが、△44同歩は大悪手だった。

 だがそれが、結果的には米長の論理的思考を阻害し勝着となるとは、まったく筋が通らず、道理が破綻していて、まだ中学生くらいだった私は思ったわけである。

 

 なんて、おもしろい将棋なんや!

 

 △44同歩と▲55玉。

 この2手の間の数十秒には気迫落胆執念諦観居直り安堵焦燥未練驚愕……。

 様々な感情が、ものすごい密度でまじりあい、ありとあらゆる「言語化不可能な感情」が、うず巻いたはず。

 その一瞬奔流こそが、まさに人間同士の戦いの醍醐味なのであり、将棋というゲームの麻薬的な魅力なのである。

 

 


  (斎藤慎太郎の華麗な攻め編に続く→こちら

 (脇謙二と中村修の熱戦は→こちら

 
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シュレディンガーの悪手 米長邦雄vs脇謙二 1992年 第5期竜王戦1組決勝 その2

2021年02月22日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き

 1992年竜王戦、ランキング戦1組決勝。

 米長邦雄九段脇謙二七段の一戦は、横歩取り△33桂戦法から大熱戦に。

 

 

 

 図で▲54馬と引いたのが、米長のねらっていた妙手。

 ▲72馬からの詰みと、王様が▲46の地点に逃げたとき、後手から△45金と打つ手を消した「詰めろのがれの詰めろ」になっている。

 あざやかな一手で、米長快勝かに見えたが、ここですごい返し技があった。

 


 

 

 

 △67馬と入るのが、盤上この一手の見事なムーンサルト。

 こうして△45に利かしておけば、先手玉が▲46に逃げたとき、△45金▲同馬に、△同馬と取り返して詰ますことができる。

 さらには▲72馬、△同玉、▲83と、とせまられたとき、王様が△74から△85に抜けるルートを作っている。

 先の▲54馬が「詰めろのがれの詰めろ」なら、続く△67馬はそれを逃れての詰めろ。これすなわち、

 

 「詰めろのがれの詰めろのがれの詰めろ」

 

 という、ちょっと舌を噛みそうな、満塁ホームラン級の絶妙手だったのだ。

 まさに1組決勝にふさわしい見事な応酬だが、ここは脇が大豪米長に読み勝っていた。

 こんなものを食らっては、さしもの米長も負けを認めざるを得ないが、もちろんあっさりと勝負を投げてしまうわけではない。

 そう、なんといっても米長は「泥沼流」とよばれる男。

 局面はまいっているが、そんな簡単には楽をさせてくれないのだ。

 ▲72馬と取って、△同玉に▲83と、△同玉、▲94銀、△同馬、▲同香と、を消して、一回詰めろを解除する。

 

 

 

 これでまだ難しそうだが、脇の次の手が、また好手だった。

 

 

 

 

 △25桂と王手するのが、うまい手。

 ▲46玉△24角王手飛車で、やはり後手勝ちはゆるがない。

 ちなみに、王様を▲26に上がっても△15角と、こちらから打つ筋があって同じようなもの。

 さっきまで桂馬は、△45金と打って詰ます筋の土台になっていた駒だから、それをヒョイと跳ねてしまうのは、ちょっと気づきにくい。

 脇の柔軟な発想が感嘆を呼ぶ手で、こんなクリティカルヒットを2発ももらっては、さすが剛腕米長もなすすべもない。

 ▲35歩△51角▲86桂としばって「どうにでもしてくれ」と開き直るくらいしかない。

 

 

 

 後手は△44飛と打って、仕上げにかかる。▲45香△48竜

 いよいよ先手に受けがないから、▲74金から▲83角と王手して、せまるだけせまって▲44香と飛車を取る。

 

 

 

 いわゆる「下駄をあずけた」という手であって、

 

 「詰ましてください。ただし、やり損なったらゆるしませんよ」

 

 という局面。

 これが大事なところで、仮に負けは確定でも、相手にプレッシャーをかけながら、一縷の望みをたくす精神力は見習いたいところだ。

 ではここで、先手玉に詰みはあるのか。

 あれば文句なく後手が勝ち。

 パッと見は、ほとんど詰みそうだが、万一なければ、飛車を渡してしまった後手玉も相当に危険だ。

 さらには両者とも、難解な戦いが続いたせいで、時間もなくなっている。

 詰むや詰まざるやで、いよいよこの熱戦もフィナーレをむかえるかと思いきや、ここからが、この将棋のハイライト第2弾

 次の手が、またしても米長が読んでいない手。

 それも、先の△67馬とはまったく違う意味での、ちょっと信じがたい一手だったのだ。

 

 (続く→こちら

 

 

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シュレディンガーの悪手 米長邦雄vs脇謙二 1992年 第5期竜王戦1組決勝 

2021年02月21日 | 将棋・名局

 将棋の魅力、その本質は「悪手」「フルえ」にこそある。

 数年前、将棋ソフトがトップ棋士を、完全に超えるような内容で倒してしまったとき、

 

 「もはや人の指す将棋など、だれも見向きもしないのではないか」

 

 という恐れを誘発したが、私はそれに対して、

 

 「そっかなー?」

 

 いまひとつピンとこなかったのは、人の指す将棋の魅力はその「不完全性」にあると思っているからだ。

 という話を、こないだしたんだけど(→こちら)、なんで今さら、そんな旬でもないAIについて語ったかと言えば、実はこれがやや長めの前振り

 本題なのは今回の将棋で、これこそがまさに、

 

 「人の指す将棋のおもしろさ」

 

 このエッセンスが、ギュッと詰まっているなと感じられるから。

 前回はA級昇級記念に、山崎隆之八段の巧みな受けを紹介したが(→こちら)、今回はそういった人同士の戦いで見える「実戦心理」について見ていただきたい。

 

 1992年の第5期竜王戦、予選1組決勝。

 米長邦雄九段脇謙二七段の一戦は、後手番の脇が横歩取りの、△33桂型に誘導。

 

 

 ややマイナーだが、当時脇はこの形を得意にしており、現在再評価の進んでいる矢倉▲46銀型の「脇システム」と並ぶ、トレードマークのような戦法だったのだ。

 そこから両者じっくりと組み合い、相振り飛車のような形となるが、米長が仕掛けてペースを握っているように見える。

 

 

 

 △85馬と攻防に引いた手に、▲74歩が好手。

 △同馬とすれば、馬が攻めに利かなくなり、▲32飛成を取るくらいで優勢。

 脇は△55銀と取って、▲同馬△49金とせまるが、ここで▲64馬と王手できるのが先手の自慢。

 

 

 

 受けるには△73香と合駒するしかないが、歩打ちの効果で、▲同歩成とボロっと取れる。

 こんな屈辱的な手を強制できれば、気分的には先手必勝と言いたいところだが、そこから勝ちに結びつけるとなると、また大変なのは、皆様もご存じの通り。

 米長も優勢は意識しながらも、意外とむずかしいぞと、しっかり腰を入れて読み直す。

 ▲73同歩成、△同桂に、▲93銀と打ちこんでせまり、むかえたこの局面。

 

 

 先手玉は△48竜、▲同玉、△49馬から詰む「一手スキ」になっている。

 一方の後手玉はまだ詰まない上、先手陣にうまい受けも見当たらない。

 すわ! 逆転か! と思いきや、ここで米長にねらっていた手があった。

 

 

 

 

 

 ▲54馬と引くのが、米長一流の必殺手。 

 次に▲72馬、△同玉、▲83と、からの一手スキ

 と同時に、後手が△48竜、▲同玉、△49馬、▲37玉、△38馬などとせまってきたとき。

 そこで▲46玉に、△45金と打つ筋を▲同馬と取れるようにした、いわゆる、

 「詰めろのがれの詰めろ

 になっているのだ。 

 最終盤でこんな手が飛び出しては、普通なら先手の勝ちは決定的である。

 米長も当然それを確信していたが、そこにまさかの落とし穴があった。

 米長はその次の、脇の手が見えていなかったのだ。

 ここが、この将棋のハイライト第1弾

 まさにこれぞプロの妙技、とため息をつきたくなる華麗な手が交錯するのを、まずは味わってほしい。

 

 (続く→こちら

 

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A級順位戦まで何マイル? 山崎隆之vs北浜健介 2000年 第31期新人王戦決勝 第3局

2021年02月09日 | 将棋・名局

 山崎隆之八段が、A級に昇級した。

 山崎隆之といえば、奨励会時代から次期関西のエースと期待されていた男。

 「中学生棋士」こそ逃したが、17歳でデビュー後も新人王戦NHK杯で優勝など、各棋戦で勝ちまくって、その評判に偽りがなかったことを証明した。

 となればあとは、A級八段とタイトル獲得まで一直線と思われたが、ここで意外な苦戦を強いられる。

 まずタイトルへの道が遠く、2009年の第57期王座戦で初めて檜舞台に出るも、羽生善治王座を相手に3連敗のストレート負け。

 また順位戦も、なぜか13年B級1組に定着してしまい、山崎隆之の才能を知るものからすれば、まさに「なんでやねん」な状態であったのだ。

 それがやっと、ようやっと、まずはA級に昇ることができた。

 もちろん、独創性あふれる山崎将棋のファンとしては、これだけで満足などできるわけもなく、次はタイトルをねらってほしい。

 これは高望みではなく、本来なら常時タイトルのひとつやふたつ、持っていてもおかしくない器なのだ。

 前回は羽生善治久保利明に見せた、驚異の一手パス&絶妙手のコンボを紹介したが(→こちら)、今回はA級昇級記念に、復活を遂げた山ちゃんの若手時代の将棋をどうぞ。


 2000年の第31期新人王戦で、決勝に進出したのは24歳の北浜健介六段と、19歳の山崎隆之四段だった。

 関西の若手ホープである山崎だが、早くにB2まで上がって、すでに六段の北浜はなかなかの強敵。

 山崎が先勝するも、北浜も1番返してタイに。

 決戦の第3局は、山崎先手で角換わり腰掛銀になって、むかえたこの局面。

 

 

 

 中央でが交換になったところ。

 後手は次に△36歩がねらい。

 ▲35角としても、△53銀打としっかり受けられて、さほどの効果はない。

 受けにくいように見えたが、実は後手陣にはそれ以上の不備があり、山崎はそれを見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 ▲84銀と打つのが、スルドイB面攻撃

 これが△93香取りと、▲73銀成の両ねらいで、後手の駒組をとがめている。

 まるで、羽生善治九段の得意とする、攻め駒を責める「羽生ゾーン」のようだ。

 北浜は△55銀と受けて、▲35角△61飛とかわすが、そこでタダのを取らず▲83銀不成がおどろきの一手。

 

 

 

 ここでは▲56歩と突いて、先手が指せていたそうだが、山崎には逆方向から攻めるねらいがあった。

 △36歩の反撃に、▲25桂と逃げて、△37歩成。そこで▲72銀不成

 

 


 も、タダで取れるも取らず、グイグイと不成の進撃。

 まさに「銀は千鳥に使え」で、ここで△48と、と攻め合うのは▲61銀不成から先手が速いから、一回△62飛とする。

 ▲同角成、△同金、▲71飛と王手してから、△22玉に一回▲18飛と逃げ、後手も△27と、と追っていく。

 

 


 この局面、北浜は「指せると思っていた」と言い、控室の検討もそれに同意。

 さもあろう、△27と、に▲48飛と逃げ回るようでは、△37と、から千日手にされそう。

 また、勝ちに行くなら強く△26と、から上部を根こそぎにしてしまう選択肢もあるのだ。

 先手は手数をかけて使ったが、やや中途半端な存在どころか、下手すると質駒として、好機に取られてしまうかもしれない。

 先手難局を思わせたが、ここで山崎が見事なワザを見せるのだ。

 

 

 

 

 ▲83銀成とひっくり返るのが、だれも予想できなかった、すばらしい駒の活用。

 一見、駒が後ろに下がる、もっさりした手のようだが、▲25上部を押さえているこの一瞬は、次に桂馬を取って▲34桂と打つ筋が、すこぶる速いのである。

 なんと、この軽快なのステップ一発で、すでに後手から勝ちがなくなっている。

 △18と、とタダ同然で飛車を取れるが、▲34桂の投げ縄が強烈すぎて、その程度の得ではどうにもならない。

 それでも、後手は飛車を取るくらいしかないが、▲73成銀と取って、△38飛の攻防手にも、悠々と▲62成銀を補充。

 飛車を打ったからには、後手も△58飛成と取り返したいが、その瞬間に▲34桂が、やはり激痛どころか、後手玉は詰んでしまうのだ。

 △24歩と受けるしかないが、山崎は落ち着いて▲52成銀

 △31銀と逃げるも、▲41成銀とすり寄って、いよいよ後手に受けがない。

 

 

 

 それにしても、あざやかなのが山崎の銀使い。

 ▲84銀と打ってから、▲83、▲72、▲83、▲73、▲62、▲52、▲41と大遠征を果たす活躍。

 しかも▲83から、▲72▲83一回転しているのだから、その美技にはほれぼれする。

 その後も山崎は、ゆるまぬ攻撃で後手を圧倒

 優勝を目前にして投げきれない北浜も、懸命に抵抗したが、最後は緩急自在の寄せの前に屈した。

 これで2勝1敗となり、山崎四段が新人王戦初優勝

 このころはまさか、こんなにB1で足を取られるとは、思いもしなかったものだ。

 まあ、時間こそかかったが、一回上がってしまえば、あとは取り戻すだけ。

 A級でも、ぜひこのころのような勢いがあり、かつ人がアッとおどろく将棋を見せてほしいもの。

 山ちゃん、アンタならできる!

 マジで期待してますぜ。

 

 (山崎隆之の「玉の早逃げ」編に続く→こちら

 

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ベテランと新鋭 関根茂vs森下卓 1991年 第50期B級2組順位戦

2021年01月18日 | 将棋・名局

 「ベテランの洗礼」

 というのは、スポーツなどの世界でも、よく聞く話である。

 今をときめく若手のチームが、「まあ、問題ないだろう」と思われていた古参選手伏兵チームに一発入れられて大苦戦を強いられる。

 それは将棋の世界でもままあることで、前回は「永世七冠」をめぐる渡辺明羽生善治による「100年に1度の大勝負」を語ったが(→こちら)、今回はベテランが順位戦で見せた、老練の味を紹介したい。

 

 1991年、第50期B級2組順位戦の開幕戦。

 関根茂九段森下卓六段の一戦。

 この年のB2は序盤から波乱含みで、まず昇級候補の大本命だった羽生善治棋王が、初戦で東和男六段に敗れるという、番狂わせからスタート。

 となると、注目は2番手候補である森下に集まるわけだが、これがまた62歳の大ベテラン相手に、苦戦におちいっているというのだから、順位戦というのはわからないもの。

 後手の関根が矢倉中飛車を選ぶと、仕掛けから華々しい戦いが続いて、むかえたのがこの局面。 

 

 


 △39飛成に、森下が▲79金と打って守ったところ。

 形勢はの働きや、先にができてる差があり、後手の関根が有利。

 とはいえ、相手は谷川浩司羽生善治に次ぐと見られていた森下卓である。

 そう簡単に勝たせてくれるわけはないし、深夜の体力勝負に持ちこめば、25歳(若い!)と62歳という年齢差がジワジワとものをいってくる。

 そこを計算に入れ、関根は次の手を選んだ。

 

 

 

 △59金と打つのが、確実な攻め。
 
 以下、△69金△79金△89金と横歩きしていけばいいのだから、なんとも話は分かりやすい。

 『対局日誌』でこの将棋を採りあげたの河口俊彦八段も、

 

 「六十歳を超えた関根が疲れていないはずがない。わかりやすくしようとするのは当然の心理」

 「若いころの関根は、粘っこい指し方に特徴があった。△65馬と取るなど、複雑な指し方を選んでただろう」

 

 局面をゴチャゴチャさせると、森下の体力終盤力で、最後にうっちゃられる可能性が高いことを、考慮に入れての戦術というわけだ。

 だが、この△59金というのも、度胸のいる手ではある。

 なんといっても、この瞬間がなんでもないし、次に△69金と取った形も、先手玉が絶対に詰まない「ゼット」になっている。

 森下はその2手の間、自陣を見ずフリーハンドで攻撃できるわけで、どんな特攻をくり出してくるか、わかったものではないのだから。

 その通り、森下は▲62飛と反撃。

 △31馬▲52銀成に、一回手筋の△61歩を放ち、▲同飛成とさせて△69金

 森下はかまわず、▲41成銀

 

 

 

 △79金とくれば、その瞬間▲31成銀を取って、△89金▲97玉に利いてない!)と逃げられるから逆転模様。

 関根はノータイムで△21馬と逃げたが、これは逸機で、実は後手から必殺手があった。

 

 

 

 

 

 △97銀が、相手の逃走路に捨駒をする、終盤の手筋で決まっていた。

 控室の検討で、先崎学五段が発見した手だが、▲同桂でも▲同香でも、そこで△79金とすれば必至

 を押さえている一瞬に、放りこむのが技だったのだ。

 大ピンチを危うく切り抜けた森下は、ここで▲69金と取る。

 △同竜に、▲79金と打って先手を取ったのが、当然に見えて疑問だった。

 ここでは▲66金桂馬をはずして、「寄せてみろ!」とせまれば、先手にも十分チャンスはあったのだ。

 

 

 

 難解な局面に誘導して手を渡し、相手のミスを誘発するのは終盤のテクニックのひとつだ。

 とはいえ、自陣を固めながら手番を握れる、この金打は指したくなるのもわかる。

 ▲79金△19竜▲53桂成と進んで、この局面。 

 

 

 

 森下がこの順を選んだのは、続く寄せが見えていなかったから。

 ここでふたたび、後手から妙手があったのだ。

 

 

 

 

 △58桂成が、見事な決め手。

 といわれても、なんだかボンヤリした手のようで、よくはわからない。

 ▲76馬とでも引いて、△69成桂なら、それが「ゼット」だから▲42成銀と引いて勝ち。

 なんて私レベルなら、勝ったと小躍りでもしそうだが、もちろん関根がそんなヘマをやるわけはない。

 ▲76馬には、△79竜とスッパリ切る筋がある。

 ▲同玉△98金(!)と捨てて、▲同香△99銀と打てば、教科書に載ってる通りの、見事な必至のできあがりなのだ!

 

 

 

 これはすごい手である。

 さっきの△97銀も妙手だが、手筋だから、ひらめけば指せるかもしれないが、この△58桂成は利いているのかどうか、一瞬はかりかねるので、ちょっと思いつきにくい。

 現に森下が見えなかったのだから、「62歳」関根茂の終盤力には恐れ入るしかない。

 
 △58桂成以下、▲77歩と執念のがんばりを見せるが、△83香▲76馬△75銀と浴びせ倒しを喰らっては、いかな森下と言えども、いかんともしがたい。

 

 

 

 ▲同馬には△79竜▲同玉△87香成で、やはりお手本通りの必至がかかる。

 大事な初戦を落とし、これで羽生、森下の大本命がレースから大きく後退

 その後、羽生は持ち直し8連勝昇級を決めるが、森下は8回戦の羽生との直接対決にも敗れ(その将棋は→こちら)、まさかの1年足止めを食ってしまうのである。

 

 (「光速の寄せ」を超えた「受ける青春」編に続く→こちら

 

 

 

 

 

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久保利明と元祖「さばきのアーティスト」 大野源一vs升田幸三 1962年 十段戦

2020年10月14日 | 将棋・名局

 『大野源一名局集』をぜひ出版してほしい。

 平成の将棋界で振り飛車の達人といえば、藤井猛九段、鈴木大介九段らとともに「さばきのアーティスト」こと、久保利明九段の名前があがるだろう。

 そんな久保の将棋に、決定的な影響をあたえた棋士に大野源一九段がいて、それはまさに「元祖さばきのアーティスト」と言うべき、あざやかな振り飛車なのだった。

 そこで前回は、「20歳で名人挑戦」という大記録を成し遂げた加藤一二三を「さばき倒した」将棋を紹介したが(→こちら)、今回もまた大野の華麗な振り飛車を。

 

 1962年十段戦(今の竜王戦)。

 大野源一八段と、升田幸三九段との一戦。

 大野の三間飛車に、升田は5筋の位を取ると、居玉のまま▲66角▲77桂と、早めに跳ねだす趣向を見せる。

 

 

 図は升田が、▲34歩と突き出したところ。

 角取りだから、とりあえず△51角と逃げておいて……。

 ……と普通はなりそうなところだが「元祖アーティスト」は、この瞬間をチャンスと見るのだ。

 

 

 

 △65銀と出るのが、強気の一手。

 角取りを放置する怖い手で、『将棋世界』で久保と対談していた中田功八段

 

 「これは大野先生、怒ってるね」

 

 ▲同桂なら、△同歩、▲55角△同飛と切りとばして、▲同銀にそこで△51角と引くのが呼吸。

 

 

 これで次に△73角と、飛び出す味が絶品で、居飛車は押さえこめない。

 なので本譜は升田も、強く▲33歩成を取り、△66銀▲34角と反撃。

 

 

 ▲56の銀にヒモをつけながら、飛車取りという攻防手だが、大野は△77銀不成

 ▲同金にかまわず△56飛と切って、▲同角に△55角が天王山の角打ち。

 

 
 それこそ久保と並ぶマイスター中田功八段の将棋といえば、この中央で幅を利かす角打ちがトレードマークではないか。

コーヤン流三間飛車」で、イビアナ相手に何度、▲55角という手を見たことか。

 久保だけでなく、有形無形に「大野の振り飛車」を受け継ぐものは多いのだ。

 ▲66歩と金取りを受けたところで、△46角と出て、▲37歩の受けに△33桂と、ここでと金を払う。

 

 

 この△55角△33桂のコンビネーションは、先日の対加藤一二三戦でも出てきたが、八方にらみの角と左桂がさばければ、振り飛車大成功の図。

 すべての駒が働いて、手つかずの高美濃の美しさも神々しく、先手の居玉もたたって、飛車桂交換(!)の駒損などモノの数ではない。

 先手は▲32飛と打ちこむが、△45銀とかぶせて、▲47銀と、かわしたところに△57角成

 ▲67金△56銀、▲同銀、△45桂と跳ねる手の気持ちよさよ!

 

 

 まさに全軍躍動という図で、鈴木大介九段あたりなら、

 

 「振り飛車必勝でしょう。《投了してください》という手つきで△45桂と跳ねます」

 

 くらいのことは、言いそうな局面なのだ。源一先生、カッコよすぎや。

 以下、升田も必死のねばりを見せるが、大野は△62金打と、さらに玉を鉄壁にするという、盤石の勝ち方で圧倒。

 

 

 

 これこそまさに

 

 「固い、攻めてる、切れない」
 
 
 の見本のような流れ。強すぎますわ!

 いかがであろう、この大野の将棋。

 さばきのあざやかさも、さることながら、△65銀△45銀のような武骨で力強い手なども、われわれアマチュアの参考になりそうなところがある。

 やはり出版社は今すぐ『大野源一名局集』を出すべきである。

 絶対、売れると思うんだけどなあ。

 

 

 (本田小百合が加藤桃子に放てなかった鬼手については→こちら

 

 (大野源一の他の名局は→こちら

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久保利明と元祖「さばきのアーティスト」 大野源一vs加藤一二三 1961年 九段戦

2020年10月08日 | 将棋・名局

 『大野源一名局集』をぜひ出版してほしい。

 振り飛車というのは、いつの世もアマチュアに人気の高い戦法。

 中でも、先日の王座戦第4局で、驚異的な逆転劇を見せた「さばきのアーティスト」こと、久保利明九段にあこがれている人は多いと思われる。

 では、そんな久保があこがれた棋士には、どんな人がいるのかと問うならば、これはもう大野源一九段にとどめを刺す。

 なんといっても久保が5歳(!)の、まだまともに文章も読めないころながら、棋譜だけ追って「これや!」と目をつけたのだから、その影響ははかり知れないのだった(大野のさばきの傑作は→こちらから)。

 そこで前回は羽生善治九段の「七冠王フィーバー」について語ったが(→こちら)、今回は久保の根性リスペクトとということで、「元祖」さばきのアーティスト大野源一の将棋を観ていただきたい。

 

 まずは1961年の九段戦(今の竜王戦)。

 大野源一八段と、加藤一二三八段の一戦。

 大野の角道を止めるノーマルな中飛車に、加藤は▲46金型急戦で対抗。

 むかえた中盤の局面。

 

 

 

 3筋と4筋でゴチャゴチャ競り合った末に、加藤が▲11角成と馬を作ることに成功。

 駒得も作った先手がまずまずの戦果にも見えるが、ここから升田幸三が「日本一」と絶賛し、5歳の久保少年を開眼させた「大野のさばき」がきらめくのである。

 ポイントは「あの筋の」が、突いてないことで……。

 

 

 

 

 

 △64角と出るのが、ねらいすましたカウンターショット。

 美濃囲いの堅陣に飛車角が軽い形で、実際の形勢はわからないが、一目「振りペー」(振り飛車ペース)である。

 以下、▲37歩△36歩と合わせ、▲55歩の受けに△33桂と跳ねるのが、

 

 「振り飛車は左桂が命」

 

 という筋中の筋。

 

 

 この桂跳ねは振り飛車党が100人いれば1億人が指すというくらいの絶対手

 次に△37歩成から、△45桂の「天使の跳躍」を喰らってはいけないので、▲36歩と取るも、そこで△55角天王山に出て後手優勢。

 

 

 

 を取られているが、そこで作った馬を△33桂跳ねで封じこめて、その裏をついて△55角と中央を制圧するなど、これ以上ない振り飛車さばけ形。

 こういう形を見ると、菅井竜也八段をはじめとする振り飛車党の棋士が、

 


 「奨励会時代、香落ちの上手が得意で、多くの白星を稼げた」


 

 そう語る理由もわかる。

 上の図はを取らせても、飛車角桂が目一杯さばけて気持ちいいのに、「香落ち」だと、さらに先手はをもらうこともできないのだから!

 これは『将棋世界』2015年10月号に掲載された、「さばきの極意」という久保と中田功八段の対談で紹介されていたものだが、もう並べながらカッコよさにシビれまくり。

 久保によると大野振り飛車の特徴は、

 


1.金銀3枚の美濃囲いがしっかりしている

2.△33の角を△64に転回して居飛車の飛車を狙う作戦が多い

3.大駒のさばきがうまい


 


 まんま久保の振り飛車にもあてはまるというか、そもそもこの3項目自体が「さばきのエッセンスなのだけど、わかってても、なかなかできるものではないのだろう。

 前年度「20歳名人挑戦」という大記録を作った、若手バリバリのころの加藤一二三を、ここまで翻弄できるのだからすごいもの。

 これだけの振り飛車を、埋もれさせるのは惜しすぎる。

 ぜひ、どこかで「大野源一名局集」を編んでほしいもの。発売日に買います。

 

 (大野のさばき編はまだまだ続く→こちら

 

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久保利明と元祖「さばきのアーティスト」 大野源一vs二上達也 1962年 第18期A級順位戦

2020年09月12日 | 将棋・名局

 大野源一の振り飛車は美しい。

 振り飛車という戦法はプロでは(最近では将棋ソフトからも)きびしい評価を受けがちだが、アマチュアには昔から根強い人気がある。

 そんな少数派とはいえ、たしかな権勢をほこる振り飛車の、その元祖はといえば、これが大野源一九段に行きあたる。

 大野が活躍していたころの将棋界は、私もさすがに知らないが、その振り飛車は現代にも、継承されている部分は多い。

 そこで前回は、渡辺明名人を例にとって、藤井聡太王位棋聖が先日達成した「二冠」がいかに難事か語ったが(→こちら)、今回はぐっと時代が下がったヴィンテージもの。

 ……と見せかけて、実はすこぶる現代感覚にあふれていた「さばき」を見ていただきたい。

 

 1962年A級順位戦

 大野源一八段と、二上達也八段の一戦。

 序盤戦。先手になった大野が、5筋の位を取って中飛車にかまえる。

  

 

 

 オーソドックスな形で、それこそ菅井竜也八段や、ゴキゲン中飛車の祖である近藤正和六段が指している、といっても通じるところ。

 ここからの、大野のさばきが美しい。

 まずは▲59角と引いて、急戦を迎え撃つ下準備。

 後手は△75歩と仕掛けるが、▲同歩、△72飛▲48角が、この際の形。

 △42金と一回自陣の整備をしたところで、軽やかに▲78飛が「争点に飛車を回る」振り飛車の大鉄則だ。

 

 

 △45歩、▲同歩に△54歩と、後手は眠っているを使うが、一回▲44歩と突くのが、筋の良い手。

 

 

 △同角は、なにかのとき手に乗って▲45銀と出られる筋があるから、△同銀だが、▲54歩と取りこんで、△55歩に▲47銀と引くのが好形。

 以下、△45銀には▲76飛と軽く浮いて、△54銀▲77桂△43金右▲58金と締まって盤石。

 

 

 先手陣は見事なダイヤモンド美濃が完成しており、石田流に組み替えて桂馬も好機に使えそうで(振り飛車は左桂が命!)、ほれぼれするような形。

 なにかもう、「達人の振り飛車」としかいいようがなく、こんなもん並べたらその日から、すぐマネしたくなるではないか。

 この将棋は寄せも見事だった。

 

 

 終盤戦。

 後手陣は相当攻めこまれているのに、先手陣は手つかずで、攻めさえ続けば勝てる。

 軽やかに舞っていた大野だが、ここからは体重の乗ったパンチを、次々くり出して行く。

 

 

 

 

 

 ▲53角成、△同金、▲65金

 

 「寄せは俗手で」

 

 と言う通り、こういうところは、わかりやすい攻めがいい。

 ▲44に歩の拠点があるから、そこに駒を打ちこんでいけば、自然に寄り形になる。

 米長邦雄永世棋聖の名言通り、
 
 
 「将棋とは相手の駒をハガすものなり」
 

 △同銀に▲同桂とさばいて、盤上の駒が全部使えての、まさに全軍躍動。

 こうなると、先手の4枚美濃が、頼もしすぎる。

 大野の振り飛車の特徴は、金銀4枚で囲って、あとは自陣を見ずに攻めまくるという、今でいう穴熊感覚を身につけた強みがあった。

 それには飛車で細い攻めをつなぐ技術が必要だが、それを得意にしているのは、本譜の順を見ればわかる。

 ▲65同桂△52金と引くが、▲54歩と打つのが、これまた指におぼえさせておきたい手筋。

 

 

 △同飛に▲43銀と打ちこんで、△同金、▲同歩成、△同玉。

 さらに▲53金とブチこみ、△同飛、▲同桂成、△同玉とシンプルにバラシて、▲51飛が気持ちよすぎる打ちこみ。

  

 

 振り飛車とは、こんなに気持ちよく勝てる戦法なのかと、あきれたくなる強さ。もう、やりたい放題である。

 このあと大野は、▲66飛車▲26に回って、▲23飛成と成りこみ、2枚ので、上部脱出をねらった二上玉を寄せ切った。

 この将棋を観て、

 

 久保利明九段の将棋みたい」

 

 と感じたアナタは、なかなかスルドイ。

 その通り、あの久保九段が振り飛車を指すのに参考にしたのが、大野の将棋なのだ。

 5歳(!)のころから軽くさばいていく大野源一にあこがれ、その棋譜から学んだという。

 大野から久保、久保から菅井

 歴史はつながっているのだ。

 昨今、将棋ブームの余波を買ってか、過去の名棋士達の『名局集』が多く編まれている。

 大山康晴中原誠など超一流どころだけでなく、勝浦修石田和雄といった玄人好みのチョイスもあるのはすばらしいが、不満なのはそこに大野源一の名前がないこと。

 この将棋のように、大野のさばきは今でも通用するどころか、ガッチリ現代振り飛車にもつながっている。

 また、アマチュアにもマネしやすい豪快さと軽やかさを持ち合わせており、再評価という流れになれば、一気に人気も出るのではないかと期待しているのだが、どうであろうか。

 

 (羽生善治の「七冠王フィーバー」編に続く→こちら

 (大野のさばきの続編は→こちら

 

 

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「この将棋の終盤戦を見せてやりたかった」と先崎学は言った 丸山忠久vs屋敷伸之 1990年 王座戦

2020年08月13日 | 将棋・名局

 丸山忠久が「駒音高く」打ちつける光景など想像ができない。

 前回は「ミス四間飛車」「振り飛車女王」と呼ばれた斎田晴子女流五段の華麗なさばきを紹介したが(→こちら)、今回はついさっき竜王戦の挑戦者決定戦進出を決めた、丸山忠久九段の若手時代のほとばしりを見ていただこう。

 プロ棋士が将棋を指すときの、駒の動かし方はそれぞれである。

 羽生善治九段のように優雅に手を舞わせる人もいれば、加藤一二三九段のように盤も割れよと叩きつける人もいるが、丸山忠久九段の駒音は独特で、ほとんどをさせない。

 今では永瀬拓矢叡王王座をはじめ、駒を静かに置く棋士は多いというか、むしろそっちが主流っぽいくらいだが、当時はめずらしく「音無し流」などと呼ばれたりしていた。

 だが、そんなマルちゃんが、大きな駒音をたてながら指していた将棋というのが存在したらしく、それが昔『将棋世界』で連載されていたエッセイに紹介されていた。

 まだ20代前半の、先崎学四段が書くその文は、

 


 「将棋指しは《暗い》」


 

 というところからはじまる。

 そのころ先崎には、将棋界にくわしい「A」という友人がいた。

 彼が言うには、ふつうの若者というのはもっと青春を楽しんでいるのに、棋士といえば将棋ばかり指して暗い、と。

 当時はまだ、バブル時代の空気感が色濃く残っていたころ。

 金にあかせて、派手にぜいたくに遊びまくるやつが一番エライという、元気というか、なんだかなあというか、まあそういう時代だったのである。

 これに対して、まだ若手棋士だった先チャンは、なめんじゃねえぞと大反論。

 世間の男はのことしか考えてないのに、そんな連中が、人生をかけて将棋に打ちこんでいる自分たちをバカにできるのかよ!

 てなもんであるが、当の先崎青年も、当惑をかくし切れないところもあったそう。

 暗いといわれりゃあ、まあそうかもしれないし、そもそも将棋というものが世間的にはその程度のイメージだという、くやしさもあるではないか。

 そこから話題は公式戦のことに移り、紹介されるのが1990年王座戦

 屋敷伸之棋聖と、丸山忠久四段の一戦だ。

 先手丸山の矢倉に、屋敷は雁木模様で対抗。

 丸山の攻めを屋敷が丁寧に受け、途中からはハッキリと屋敷有利に。

 ここからの丸山のねばりがおそろしい迫力で、まさに手負いの獣のような暴れっぷりを見せつける。

 形勢は大差なので、まったく報われる気配はないが、あのいつもニコニコの丸山からは想像もできない、鬼気迫る手順が続くのだ。

 敗勢になっても投げない丸山は、屋敷の猛攻の中、はいずる様にして敵陣にトライを果たす。

 このころの丸山が得意にしていた入玉だ。

 ただ、いかんせん盤上は差がつきすぎていた。

 丸山は駒をボロボロ取られながらの、ダンケルクもかくやの大敗走で、たとえ自玉が詰まなくても点数がまるで足りず、勝ちはないのだ。

 

 

 

とっくに終わっている将棋で、かなり前から、投げ場がなくなっている。

この後△67飛成、△65竜、△63竜と次々召し上げられ、ついには2枚の角まで全部取られてしまうが、それでも丸山は指し続ける。

 

 

 このときの様子を、先崎はこう書いている(改行引用者)。

 


 秒を読まれるたびに丸山は、肩をいからせ、一枚の駒を、まるで野球のボールを投げるように強く打ちおろした。

 屋敷は、一手指すごとに、トイレにでも行くのか席を立つのが印象に残った。

 部屋の雰囲気は緊張感で張りつめ、うっかり咳払いでもしようものなら記録係を含めて三人の視線で金縛りにあいそうに感じられた。

  もちろん、丸山のほうは年下のタイトル保持者に対するライバル意識があったのだろう。

 丸山は、あきらかに興奮していた。





 屋敷が史上最年少棋聖のタイトルを取った年で、まだ丸山はプロ1年目だった。

 屋敷も丸山も、いつも笑顔を絶やさずファンにも人気の棋士である。それがこの異様な空気感。

 特に丸山が「野球のボールを投げるように強く」駒をあつかうなど、今ではまったく絵が思い浮かばないではないか……。

 ちなみに、この「三人の視線で金縛りにあいそう」の3人目に当たる記録係は、三段時代の深浦康市だったらしい。

 クライマックスは325手目(!)。

 必敗の中指し続け、クソねばりを通りこして、ほとんど「全駒」状態の丸山が、信じられないところにを打ちつけたのだ。

 


 

 なんという手だろう。成香の両取り。いや、そんな解説など、意味もないだろう。

 「執念」と感嘆するもよし、あきれるもよし、苦笑いするもよし、「いいかげんに投げろよ」と怒りだすもよし、なんでもいいだろう。

 意味などないのだから。

 だが意味がないからこそ、そんな手を後に名人にまで昇りつめる丸山忠久ほどの男が指したからこそ、そこにこめられた、すさまじいなにかが伝わってくる。
 
 この手を見て先崎は、


 僕は、この将棋の終盤戦をAに見せたかった。

 Aだけではなく、若手棋士のことを、人間味が感じられない、ゲーム感覚でつまらない、などとわかりもしないくせに馬鹿にする評論家に見せてやりたかった。


 

 当時の将棋界は「羽生世代」の台頭や、そこから起こる盤上でのパラダイムシフトについていけず、

 

 「彼らが強いのは、将棋を【テレビゲーム感覚】で指しているからだ」

 

 というトホホも極まれりな分析が、本気で幅を利かせていた時代だった。

 私は今でも、自分が知らなかったり、理解できかったりする仕事や趣味や生き方をする人がいても、それを「暗い」などと笑ったりしないようにしている。

 同じく、意見の合わない若者に対して、

 

 「昔とくらべて劣化した」

 「○○世代はこれだから」

 

 といった易きな意見がまかり通る場所からは、申し訳ないが、そっと席をはずすようにしている

 それは別に私が賢明であるとか、寛容であるとか、カッコつけているとか、そういうことではなく、の人の分析が粗雑なら、きっと今の我々だってたいして変わらない。

 そして、そんな場では決まっていつも、この丸山四段の「▲89桂」という手が脳裏をかすめ、



 「この将棋の終盤戦をAに見せたかった」



 そう訴える若き日の先崎四段の声が、どうしても振り払うことができないからなのだ。


 (羽生善治の大ポカ編に続く→こちら

 

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「神武以来の天才」花開く 加藤一二三vs中原誠 1982年 第40期名人戦「十番勝負」 その2

2020年08月01日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 1982年の第40期名人戦

 中原誠名人に挑戦したのは、加藤一二三十段だった。

 

 「神武以来の天才」

 

 と呼ばれ、加藤時代が来ることに、微塵も疑いを持たせなかったはずが、大山康晴中原誠という、新旧の壁にはばまれることに。

 これまで2度の挑戦はどちらも完敗だったが、「終わった」と思ったところに、もう一度チャンスが舞いこんだ。

 そもそも棋士もファンも、その好き嫌いはあれ(加藤はそのキャラクターから将棋界でも浮いた存在で、昔の記事だと「ヒール」と書かれたりしている)加藤一二三が

 

 「一度は名人になるべき男」

 

 と認めているのは間違いない。

 しかも、このころ中原は棋士人生初にして、最大ともいえる不調にあえいでいたこともあり(最大で五冠王だったのが、この後無冠に転落している)、シリーズはまれに見る大混戦になるのだ。

 まず、開幕戦がいきなり持将棋

 これだけでも風雲急を告げる雰囲気が伝わるが、その後は中原勝ち、加藤勝ち、中原勝ち、加藤勝ちと星を分け合って、第6局千日手

 この指し直し局で、加藤が力を見せる。

 相矢倉から、後手の中原が△43金左と上がる、今なら高見泰地七段が得意とする形から先行しペースを握る。

 加藤は懸命に受けるが、中原がそのまま押しつぶしそうにも見える。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 

 △69馬とすり寄られて、先手玉は絶対絶命。

 次、△88角成から△79馬一手スキを受けようにも、駒を打つスペースがない。

 後手勝ちに見えるが、ここでうまいしのぎがあった。

 

 

 

 

 

 ▲19飛と引くのが、視野の広い妙手だった。

 遊んでいた駒を活用し、△88角成、▲同玉、△79馬には▲同飛という手を作っている。

 後手もトン死の筋があるから、うかつに駒は渡せない。

 ただし、局面自体はまだ中原の勝ちで、以下△88角成▲同玉△79歩成▲69飛△78金▲98玉△69と▲96歩

 加藤も懸命の防戦だが、先手玉は風前の灯に見える。

 だが、ここで中原にミスが出た。

 

 

 

 △82香と打ったのが、王様の脱出路を消して自然に見えたが、敗着になってしまった。

 ここでは△86歩や、△75飛を補充する筋をからめていけば、まだむずかしかった。

 この次の手を、中原は見えていなかったのだ。

 

 

 

 

 

 ▲97角と放つのが、見事な切り返し。

 これが自玉の詰みを防ぎながら、遠く後手玉をにらんだ攻防手。

 放置すると、▲41銀△同玉▲52角△32玉▲43角成△同玉▲42金△同玉▲74銀と、空き王手で飛車を取って詰むという「詰めろ逃れの詰めろ」になっている。

 それを察知した中原は、とっさに△81飛と、詰めろ逃れの詰めろのお返しをするが、▲41銀(!)というタダ捨てのカッコイイ手があった。

 △同飛と詰めろを解除してから、▲74銀で勝ち。悲願の名人位にあと1勝とせまる。

 ただし、中原の名人10連覇(!)にかける執念もすさまじく、カド番の第7局をはね返し、決戦になった第8局はまたも千日手に。

 もつれにもつれたシリーズは、ついに「第10局」に突入。

 まさかの再々延長戦に、スケジュール調整がむずかしくなりすぎ、最終局は東京将棋会館で行われることになったが、ともかくも、今度こそ勝負をつけるときがきた。

 指し直し第8局は、加藤が先手から、両者おなじみの相矢倉

 中盤で中原がリードを奪うも、やはり調子があがらないままなのか、明快に優勢にする順を逃し混沌としてくる。

 そして最終盤が、あまりにも有名な局面。

 

 

 難解な戦いが続いていたが、検討していた加藤治郎名誉九段が、

 


 「ちょっと待て、詰むぞ!」


 

 さけんだそうだ。なら、ここで▲52同角成と取れば、先手が勝ちである。

 以下、△同金▲32銀成と取って、△同玉▲52飛成で詰みだから、△12玉と逃げて、▲22金△同銀▲同成銀△同玉

 

 

 

 次の一手が好手で、見事な詰みだ。

 当時の観戦記によると、詰みを見つけた加藤が奇声を発したとあるが、その気持ちは痛いほどわかる。

 

 

 

 

 

 ▲31銀と打って、ついに「加藤名人」が誕生した。

 ここで単に▲52飛成は、△32金で詰まない。

 から入って、△同玉▲32金として、王様を一路ずらせば「一間竜」の筋で簡単だ。

 これで初挑戦から苦節22年。ついに歴史の針は、正しい位置に戻った。

 ただ、実はこの裏には、知られざるドラマもあった。

 のちの取材で、加藤は相手玉の詰みが見えておらず、なんと自陣を受ける手をずっと考えていたと語っている。

 それがどうしても見つからず、しょうがないと「99%負け」を覚悟で「詰まないと思って」敵陣を見たら、なんと偶然に詰みがあったのだ。

 本人も認めるように、加藤はがよかった。

 名人獲得を決める詰みが、まさか形作りの「思い出王手」だったとは……。

 もしここで、なまじ「そこそこ長引かせられそうな手」を発見してしまっていたら、詰みどころか、王手をかける発想すらなく、

 

 「詰んでたのに……」

 

 となった可能性はだ。

 「結果」なんて、必然のように見えて、本当に紙一重の儚いものに過ぎない。

 こうして加藤はギリギリで試練を乗り越えたが、もうひとつのドラマは中原ともうひとり、この結果に呆然としていた青年がいたこと。

 それがその年、A級にあがったばかりの谷川浩司八段だった。

 谷川は子供のころから名人を、それも「中原名人」から奪うことを夢見ていたからだ。

 それが、目の前でひっくり返ってしまった。

 

 「中原誠が名人でなければならないのに!」

 

 悲願の名人位についた加藤一二三と、

 「なにしてくれてるねん!」

 といった新名人からすれば「知らんがな」な憤りを感じていた谷川は、翌年導かれるように七番勝負の舞台で相対する。

 結果は若い谷川勝利。

 「加藤名人」はわずか1年の短命だった。

 同じような速さで、山をかけ登ってきた2人だが、谷川は加藤が22年かかった道程を一瞬で乗り越えてしまった。

 同じ「天才」なのに、その差はなんだったんだろうか。

 それは特に理由などない人生のもつれや、うねりが生む不条理で、あえて言葉にすれば「たまたま」としか、言いようがないものなのだろう。

 私が「結果がすべて」という意見を、軽視こそしないが

 「それだけじゃないよね」

 と感じてしまうのは、こういう「差なんてわずか」なのに生まれてしまう、理屈では説明できない「結果」のせいなのかもしれない。

 

 

 (「ミス四間飛車」斎田晴子のさばき編に続く→こちら

 (谷川浩司「21歳名人」への道は→こちら

 

 

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