なぜファッションに興味がないのかについての考察

2013年11月17日 | ちょっとまじめな話

 私はファッションセンスがない。

 人にはそれぞれ、苦手なジャンルというものがあるものだが、自分の場合は着るの選び方とかが、よくわからない。

 そこで今回は、「浪速の小栗旬」と呼ばれたファッションリーダーの私が、そこら辺のことについて、深く掘り下げていきたいと考えている。

 というとおいおいちょっと待て、おまえのどこが小栗旬だという怒りの意見はあるかもしれないが、たしかに私は、彼のようなファッションリーダーではないかもしれない。

 ただ、言わせてもらえば、現在ロマノ・ヴルピッタムッソリーニ』を読んだところなので、ファッショのリーダーには多少くわしいつもりである。

 話を戻すと、私は自分の見た目に無頓着である。

 ヤングのころから、着るものを選ぶのが苦手であった。

 当然のごとく、ファッション誌など読んだこともなく、流行などどこ吹く風。

 そもそも、オシャレな服屋の雰囲気が、どこまでのアウェーな気がして、入る気にもならない。

 ヘアスタイルをいじるのもめんどくさいし、アクセサリーの類は腕時計でも邪魔に感じるほど。

 ド近眼なので眼鏡をかけているが、コンタクトは大学生のころチャレンジしてみて、あまりの痛さに挫折した。靴は年中サンダルである。

 そんなズボーっとした男であったが、一人暮らしをはじめたのを機に、こんなことも考えるようになった。

 「もうちょっと、ちゃんとした格好したほうが、ええんとちゃうかな」 

 ところが、これが困りものである。

 これまで着るものをガン無視してきた身にとっては、そのジャンルに関しては実践不足

 というか、決定的に腕をみがくヒマがないままに、大人になってしまったということだ。

 なので、自分にどういう服が似合うのかが、全然わからない。

 服屋に入っても、どれをどういう組み合わせで着れば「オシャレ」なのかが、まったくピンと来ない。

 店員さんが「上はこの色だと、今年の流行では下はこの色でまとめて」うんぬんといった解説など、まるで宇宙語でも話しているようなもんで、チンプンカンプン。

 この孤立感はハンパではない。

 それに人見知りなので、

 「なにかお探しですか」

 とか声をかけられるのもだし、試着したあとの

 「うわー、よくお似合いですねー」

 といった営業スマイルもダメである。

 もう全力で、どこかファッションという概念のない、裸族の国にでも亡命したくなるのだ。

 ……とまあ、ここまでファッションセンスに不自由している男子が、典型的に言いそうなことを並べているが、本当にそうで、服飾に関してはドがつく素人だ。

 とはいえ、一応は文明人をやっているので、なにかを身にまとわないことには、外には出られない。

 毎日毎日「何を着たらいいのか」に悩まされるわけで、興味のないことを常に強制されるめんどくささがあるわけだ。

 もういっそ、一昔前の中国みたいに「全員人民服着用」みたいな法律でもできないものだろうか。

 なぜそこまで自分は、着るものとかアクセサリーに頓着しないのかと、昔から不思議であったが、あるとき、ひょんなきっかけからその理由がわかることとなったのである。

 私のみならず全国の「見た目に無頓着な人」が、なぜいまひとつファッションに目が向かないのか。

 彼氏が、息子が、お父さんが、いつもダッサい格好をしても平気で、それが恥ずかしいという恋人や家族必見の、その詳細は次回(→こちら)に続きます。


コメント (4)
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