私はファッションセンスがない。
人にはそれぞれ、苦手なジャンルというものがあるものだが、自分の場合は着る服の選び方とかが、よくわからない。
そこで今回は、「浪速の小栗旬」と呼ばれたファッションリーダーの私が、そこら辺のことについて、深く掘り下げていきたいと考えている。
というとおいおいちょっと待て、おまえのどこが小栗旬だという怒りの意見はあるかもしれないが、たしかに私は、彼のようなファッションリーダーではないかもしれない。
ただ、言わせてもらえば、現在ロマノ・ヴルピッタ『ムッソリーニ』を読んだところなので、ファッショのリーダーには多少くわしいつもりである。
話を戻すと、私は自分の見た目に無頓着である。
ヤングのころから、着るものを選ぶのが苦手であった。
当然のごとく、ファッション誌など読んだこともなく、流行などどこ吹く風。
そもそも、オシャレな服屋の雰囲気が、どこまでのアウェーな気がして、入る気にもならない。
ヘアスタイルをいじるのもめんどくさいし、アクセサリーの類は腕時計でも邪魔に感じるほど。
ド近眼なので眼鏡をかけているが、コンタクトは大学生のころチャレンジしてみて、あまりの痛さに挫折した。靴は年中サンダルである。
そんなズボーっとした男であったが、一人暮らしをはじめたのを機に、こんなことも考えるようになった。
「もうちょっと、ちゃんとした格好したほうが、ええんとちゃうかな」
ところが、これが困りものである。
これまで着るものをガン無視してきた身にとっては、そのジャンルに関しては実践不足。
というか、決定的に腕をみがくヒマがないままに、大人になってしまったということだ。
なので、自分にどういう服が似合うのかが、全然わからない。
服屋に入っても、どれをどういう組み合わせで着れば「オシャレ」なのかが、まったくピンと来ない。
店員さんが「上はこの色だと、今年の流行では下はこの色でまとめて」うんぬんといった解説など、まるで宇宙語でも話しているようなもんで、チンプンカンプン。
この孤立感はハンパではない。
それに人見知りなので、
「なにかお探しですか」
とか声をかけられるのも嫌だし、試着したあとの
「うわー、よくお似合いですねー」
といった営業スマイルもダメである。
もう全力で、どこかファッションという概念のない、裸族の国にでも亡命したくなるのだ。
……とまあ、ここまでファッションセンスに不自由している男子が、典型的に言いそうなことを並べているが、本当にそうで、服飾に関してはドがつく素人だ。
とはいえ、一応は文明人をやっているので、なにかを身にまとわないことには、外には出られない。
毎日毎日「何を着たらいいのか」に悩まされるわけで、興味のないことを常に強制されるめんどくささがあるわけだ。
もういっそ、一昔前の中国みたいに「全員人民服着用」みたいな法律でもできないものだろうか。
なぜそこまで自分は、着るものとかアクセサリーに頓着しないのかと、昔から不思議であったが、あるとき、ひょんなきっかけからその理由がわかることとなったのである。
私のみならず全国の「見た目に無頓着な人」が、なぜいまひとつファッションに目が向かないのか。
彼氏が、息子が、お父さんが、いつもダッサい格好をしても平気で、それが恥ずかしいという恋人や家族必見の、その詳細は次回(→こちら)に続きます。