「《わ》ってなんですか?」。
パリのユースホステルで唐突にそんな質問をしてきたのは、ドイツ人旅行者のルッツだった。
海外を旅行していると、ときおり日本に興味を持ってくれている異人さんに出会うことがある。
ルッツもまたそんな「日本びいき」な一人であり、そんな彼が日本人に会えば日本について、あれこれたずねたくなるのは人情だが、はて彼のいう《わ》ってなんじゃいなと問うならば、熟慮すること数分。
それって、もしかして「和」のこと?
外国の文化というのは、外から見ているとわかりにくいものだ。
英国の階級社会やインドのカースト制度、割礼や一夫多妻制、ピラミッドのような意味不明の建造物。
その他宗教、言語、気候など様々な差違によって異国の文化というのは他者の理解をこばむものだが、我が大日本帝国における代表的なそれといえば、ずばり「和の精神」であろう。
島国日本は、ただでさえ独特の文化風習を持っているといわれ、世界からは「神秘」とかいわれがちだが、あらためてそう訊かれると、たしかにつかみづらい言葉である。
我々日本人は、「和の精神」を当然のものというか、あたかも空気のようにそれをとらえている。
当たり前というか、落ち着いて考えてみれば、たいそうめんどくさい作業であろう箸の使い方を、特に意識もせずマスターしているように、日々の生活になんの違和感もなく「和」を浸透させている。
けど、じゃあいざ、それを言葉で説明できるのかといえば、これがなんとも、つかみどころがなくて困るところはあるかもしれない。
そういえば「和」って、一体なんじゃらほい。
「仲がいい」というのはちょっと違うし、「以心伝心」「雰囲気」「目で語る」というのは、あくまで枝葉のうちのひとつのような気もする。
たぶん英語やドイツ語といった外国語にもそれを訳せるような語彙もないだろうし、日本ビギナーの外国人にはどうやって語ればいいのやら。
みなさんも一度シミュレートしてみてください。「和の精神」を外国人に論理立てて説明することを。
これは難問です。
うーむ、そんなことをつらつら考えていると、日本人として、なんだかここはしっかりと「和の精神」の正体を伝えねばならんと、使命感のようなものがわいてくる。
まあ、定義が難しい事象は、具体例をいっぱい並べて、雰囲気をつかんでもらうのが次善の策であろうということで、とりあえずルッツにはとりあえず私個人が、
「これぞ和の精神やなあ」
しみじみ感じたという、「ある事件」について語って、その空気感だけでも感じてもらうことにしたのである。
(続く)