「和の精神」なるものを外国人に説明してみた その2

2015年12月04日 | 海外旅行
 前回の続き。
 
 
 「和の精神って、なんなのよ?」
 
 
 ドイツ人ルッツにそんな質問をされて、
 
 
 「はて、ってなんじゃらほい」
 
 
 なんて、今さらながら民族的アイデンティティーを振り返ることとなった私。
 
 説明が難しいなら、具体例でせめて雰囲気を感じ取ってもらおうと、
 
 
 「私の感じた和の精神」
 
 
 というテーマで前回から語っているが、その舞台は若き日のバイト先
 
 学生時代、私は某有名アミューズメントセンターでアルバイトをしていた。
 
 仕事をするにおいて、職場の空気人間関係というのは大事だが、そのバイト先はあまりよい環境ではなかった。
 
 現場を統括する社員同士の仲がたいそう悪く、その影響もあってかアルバイト同士も、非常に微妙な雰囲気で働くことを余儀なくされていたからだ。
 
 私はそういったところで起こりがちな派閥争いとか、その手のめんどくさいことは苦手だし興味もないので、早々に「永世中立国」としてパワーゲームの蚊帳の外にいた。
 
 けどまあ、人間関係はそう単純なものでもなく、他のアルバイト仲間は否応なくそこに巻きこまれ、ある者はのある上司についてブイブイいわしたり、ある者はそれができずパワハラ的なあつかいを受けたりと、いろいろと大変なようであった。
 
 皆さまもこれには、
 
 
 「せっかく一緒に働くんだから、仲良くすればいいのに」
 
 
 そう思うかもしれないが、なぜにて皆がもうひとつ、しっくりいっていなかったのかといえば、これが明らかに上層部の意向のよう。
 
 大手企業で働くにおいては「あるある」かもしれないが、どうも人を使う側からすると、の者同士は仲が悪い方が操作がしやすいらしい。
 
 だから、バイトバイトリーダーや、正社員派遣社員といった微妙なヒエラルキー同士の敵愾心を刺激して、それぞれに対立させる。
 
 すると、そこで疲弊してしまい、不満の矛先が上まで届かない
 
 いわゆる、大英帝国なんかが得意としていた「分裂支配」というやつで、なるほど大人は頭が良いというか汚いぜというか、色々考えるものである。
 
 となると、ケンカするのは「思うつぼ」のような気もするが、私のような「中立国」ではなく争いの渦中にいると、なかなかそういうふうに考えられないものらしい。
 
 もっとも、私のような現実逃避的中庸の立場を取っていると、気楽ではあるけど「出世できない」という弊害もありますが。
 
 そんなギスギスした職場に変化があったのは、ホンマチ君という新入りのバイト仲間の一言だった。
 
 彼が唐突に、こんなことを言い出したのだ。
 
 
 「みなさんとの仲をより深めるために、飲み会をしたいんですけど」
 
 
 ホンマチ君は基本、天然であった。
 
 根は悪い子ではないが、空気を読まない男といってもいいかもしれない。
 
 そんな彼は、バイトに入るとすぐに職場の違和感に気づいたようだった。これは、ちょっとおかしいぞと。
 
 そこで取る道は3つあり、ひとつはそこでスネ夫的にうまく立ち回ろうとする。
 
 ふたつめは私のように距離を置く
 
 で、三つ目は、
 
 
 「このゆがんだ状況をなんとかせねば!」
 
 
 こういった正義の使命感に燃える。
 
 ホンマチ君は3番目の人であった。そこで、この無益な争いを丸くおさめるために飲み会を企画。
 
 自ら持ち前の明るさと、こんな前向きなことを実行できるオレってポジティブ! なスタンスによって、世界を平和にしようというわけである。
 
 これには、
 
 
 「なんという建設的な考えなのか!」
 
 
 そう感嘆すると同時に、
 
 
 「なんという偉大なる、よけいなお世話なのか!」
 
 
 たいそうゲンナリしたものであった。
 
 そらそうである。ただでさえギスギスしているメンバーなのに、それを集めて飲み会などしても、楽しいわけがない
 
 それでなくとも、私はこういう「職場の交流会」みたいなのが大の苦手なんである。
 
 そこで彼には悪いが、職場の平和ではなく自分の心の平安のためだけという、きわめてエゴい(かつ、きわめて中立国的)発想として、この飲み会を頓挫させるために裏工作を開始することになるのである。
 
 
 (続く
 
 
コメント
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