錦織圭、全仏オープン制覇による日本クレーコート化計画 その3

2015年12月18日 | テニス
  前回(→こちら)の続き。

 「もし錦織圭がグランドスラムで優勝するんやったら、どの大会がええと思う?」。

 という忘年会におけるテニスファンの友人エサカ君の問いに、

 「あえて全仏で決まりやね!」

 とぶちあげた私。

 それは、「錦織フィーバーにかこつけて、日本のクレーコート文化を充実させてほしい」

 そんな野望があるからで、育成面においても大きなメリットがあると思われるからだが、それともうひとつは、ある大会で勝利をおさめるためでもある。

 デビスカップ。

 このためにも、日本のクレーテニスを強化してほしい。

 デ杯は対戦国がコートサーフェスを選ぶ権利がある。ゆえに、日本がアウェーで戦うとなると、レッドクレーに苦しむケースが当然出てくる。

 まあ、今は錦織圭がいるからいい。実際、先日のワールドグループ入れ替え戦の対コロンビア戦でもシングルスで2勝をあげて勝利に貢献した。

 あの1勝は単にワールドグループ残留を決めただけでなく、それ以上に大きな意味があったことは、多少なりとも日本男子テニスを見てきたファンには感じるところであろう。

 アウェーでの戦い、クレーコート、最終戦、第2シングルスの勝利。

 これは実は、日本が今まで超えることの難しかった壁を、見事に飛び越えた瞬間だったのだ。

 そう、これまでの日本チームだと、アウェー、クレー、2-2からの第2シングルスというのは、典型的な「負けパターン」だったのだ。

 ワールドグループ入れ替え戦の大一番で何度「あと1勝」から鈴木貴男が、本村剛一が、添田豪が、無念の涙を呑んできたことか。

 そこを乗り越えたのは、まさに「これまでの日本とはちがう」ことを証明できた瞬間だった。

 松岡修造さんも語っておられたが、これは日本ではほとんど話題にもされなかった。だが、日本テニスにおいては、大きい、これまでの歴史をくつがえした本当に、たとえようもない大きな1勝だったのだ。

 これからも、日本はデ杯で毎年のように、ときには年間に数度、こういう戦いをくぐりぬけていかなければならない。

 果たして、錦織圭が抜けたあとも、こういった勝利を得られるのか。

 それには、もっと赤土で戦える選手を育成することが必要になるのではあるまいか。コロンビア戦の勝利は、スペインを拠点にしてクレーを苦にしないダニエル太郎が奮闘したことが大きかった。

 錦織圭がフレンチ・オープンで優勝することがもしできたら、その大きなきっかけになるのではないか。

 子供たちがいっせいに「クレーコートでテニスがしたい!」となれば、世間もその重い腰をあげてくれるのではないか。にわかにこの国に、思いもかけない「レッドクレーブーム」が巻き起こるのでは。

 各地で赤土が盛り込まれ、楽天ジャパン・オープンのほかに「ジャパン・レッドクレー・オープン」とか、有明以外でも「全日本クレーコート選手権」が開催されるかもしれない。10年後には、日本はアジアを代表する「クレー王国」になるやもしれない。

 というのは、まあ楽しい妄想としても、クレーコートの充実は日本テニス界の底上げのためにも、ぜひ実現してほしい。

 2015年度はローラン・ギャロスに添田豪と伊藤竜馬がストレートインし、22歳のダニエル太郎と19歳の西岡良仁のふたりが予選を抜けて本戦に出場した。

 錦織圭もふくめて、なんと5人が本戦に。添田と伊藤もすばらしいが、それよりも注目してほしいのがダニエルと西岡の予選突破だ。

 かつてはエントリーすらしなかった日本男子が、フレンチの予選に出て、しかもタフな3試合を勝ち抜いた。

 これまた松岡さんもおっしゃっていたが、世間ではほとんど話題にならなかった。けど、日本テニス界においては大きな、とっても大きな前進である。大げさにいえば、錦織圭のベスト8と同じくらい価値があるといってすらいいと思う。

 そもそも錦織君だって、プロになって「玄人」のクレーコーターと戦うようになってから苦しんでいただけで、デビュー当時は「一番得意なのはクレー」と公言していた。

 なんといっても、錦織圭の最初の大きな実績はまさにジュニア時代のフレンチ・オープン、ダブルスの優勝だったのだ。そら、「得意」なはずである。

 そう、錦織圭はフレンチ・オープンと相性がいい。

 ここ数年、日本には選手もファンも「錦織効果」の恩恵を受けてきた。

 ランキングに、グランドスラムに、オリンピックにデ杯。直接的な勝利だけでなく、刺激やモチベーションの面で、特に後輩選手が得たものは計り知れまい。

 今の錦織は、日本テニスの象徴である。

 となれば、彼が歩んだ道は、ただそれだけでそのまま続く者たちの大きな財産になる。あたかも、ふれたものをすべて金に代える能力を授かったミダス王のように。

 次はフレンチ・オープン優勝によって、「日本テニス、クレー克服」へつながる黄色い、いや赤いレンガの道を敷いてほしい、ひそかにそう願っているのだ。





 ☆おまけ

  ローラン・ギャロスのサービス&ボレーといえばこの試合! 

  1984年決勝 ジョン・マッケンロー対イワン・レンドル(→こちら

 


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