人生において新聞というのを、ほとんど読んだことがない。
「政治や社会問題にくわしくなるためには、新聞を読みましょう」。
子供のころ、よく学校の先生にすすめられたりしたものだが、まったくもってよけいなお世話であった。
それも、保守といわれる「読売」や「産経」ではなく、「朝日」を手に取るべしと、銘柄まで指示されたものだが、これもまた、今ひとつピンとこなかった。
文体は無味乾燥だし、社説はエラそうに説教してくるし、要するに、読み物としての魅力が、決定的にとぼしいのだ。
だが、今は知らねど昭和のころ「政治」「社会問題」に熱心な先生は思想的に「左」というのがお約束であった。
ゆえに、いくら「興味ないっス」といったところで、
「朝日を読むと教養が身につく」
「朝日を読むと成績が上がる」
「朝日の記事は入試問題によく出る」
「朝日を読むと成績が上がる」
「朝日の記事は入試問題によく出る」
などと、あの手この手で赤化しようとすすめてくるのだ。知らんがな。「入試に出る」とか、ちょっと受験生の足元を見てないか?
この善意の名を借りたマイルドな「脅迫」が、私を新聞嫌いにさせた遠因のひとつなのは間違いないところだ。
あと、新聞嫌いの本好きとして、素通りできない教えというのが、もうひとつあったもので、それが、
「天声人語を読むと文章がうまくなる」
朝日新聞の名物コラムである、天声人語を読みなさい、できれば書き写しなさいと。
私は基本、ボーっとした人間である。あまり怒ったことがないし、ケンカをしても声を荒らげることなどめったにない昼行燈だ。
だが、この教えに関しては少々言わせていただきたい。
あんなもん、だれが読むか! と
しかも、それを書写せって、オドレどういう了見や。池の中から手ぇのばして、尻子玉抜いてキャンいわしたろか、ぼけなす!
……なんて、思わず口調が下品になってしまったが、それくらいのことは言いたいくらい腹がたったのだ。
だって、天声人語って、全然おもしろくなかったよ!
そもそも新聞のコラムなんて、おもしろさを期待するもんじゃないかもしれないけど、それにしたってスカスカで空虚な文章だった。
時事ネタに季節ネタを絡めて、なんとなく起承転結っぽくて、最後に
「ふと見ると、桜が咲いていた」
みたいな、強引なオチで閉めるみたいな、なんか定年退職したオジサンが町の「随筆講座」の課題で書いたようなシロモノなの。
そんなもん、おもしろいわけねーじゃん! しかもそれを書き写せって!
第一、あれ筆写するほど、うまい文章でもないって。「《てにをは》が間違ってない」レベルでいいなら、「達者」かもしれないけど。
なんで、あんなカビの生えたようなコラムを読まなあかんねん。アンタの頭の中には脳みその代わりに、こんにゃくでも入っとるのか、このトーナスが!
とどめに、なんとその先生が生徒にすすめてきたのが、
「天声人語筆写用の原稿用紙」
そんなものがあることにも腰が抜けそうになったけど、それを笑顔で嫌がる生徒に売りつけようとする先生も、なかなかいい根性をしている。
私の人生の中で、「金もらってもいらんもん」ベスト3に間違いなく入るアイテムです。
ギャグとしては最高でした。先生、ひと笑いを、ありがとうございます。
作ったヤツ、マジでセンスあるわー。天才か。よっぽど『VOW』に送ったろか思いましたわ。
こうして私はマスコミや学校教師の「新聞を読め」「ニュースを見ろ」というシュプレヒコールなど、すべてスルーし、そこからもゆかいなノー新聞ライフを満喫した。
そこから月日は流れて幾星霜。今ではネットの普及で、朝日新聞はすっかり日本の嫌われ者に。
まあ、私が朝日に懐疑的なのは、思想うんぬんよりも
「天声人語を《いい文章》と思いこんでいる先生たちの、疑うことを知らない奴隷根性」
に反発したわけで、朝日も、朝日というだけで叩く人も、どっちも苦手だけど、なんにしろ朝日にかぎらず、権威主義な学校教師と新聞全般に対して良いイメージはないのだった。
「入試に出るぞ」とか、カツアゲされたせいでさ。今思い出しても、ムカッパラが立つよ。
よく「食べ物の恨みは恐ろしい」なんていうけど、まこと我々のような読書野郎にとって、
「つまんない読み物」
これのウラミも恐ろしいのだ。
あんな優等生がよろこぶものより、中島らもや、ナンシー関の方が1億倍おもしろくて、ためにもなったよ。
良い子のみんなも、だれがなにを言っても「自分がおもしろいもの」を読もう。
マンガだってラノベだって、なろう系だって大いに結構。大人がすすめる、つまんないコラムなんか読まなくていいからね!