櫛田陽一がトップ棋士にならなかったのが、いまだ不思議である。
アマ強豪として鳴らした実績もある無頼派棋士であり、その才能を大いに期待された男。
1987年にデビューしてすぐ、初参加の全日本プロトーナメント(今の朝日杯)で決勝に進出。
谷川浩司王位に敗れて、優勝こそならなかったものの、翌年のNHK杯でも決勝まで勝ち上がる。
そこでも島朗前竜王(当時は名人と竜王を失って無冠になった棋士を「前名人」「前竜王」と呼ぶトホホな風習があった)に快勝して、いきなりビッグトーナメントを制する快挙を達成。
若手時代からジャイアントキリングを連発し、大きな大会の決勝で戦ったところなど、今でいえば糸谷哲郎か菅井竜也のような勝ちっぷりではないか。
その本格的で、力強い振り飛車は「世紀末四間飛車」と恐れられたものだった。
そんな、トップ棋士としての将来を約束されたような櫛田だったが、ある時期から成績が落ちはじめ、デビュー時の勢いを失っていく。
いやそれどころか、まだ30歳の時点で早々とフリークラス宣言をして、事実上現役を退いてしまうのだ。
これには驚かされたが、櫛田によると佐藤康光や森内俊之といったライバルに追い抜かれたこと。
また、自身が努力をおこたっていたことを自覚したショックで、私生活が乱れてしまったことが原因だという。
「羽生世代」の登場は序盤戦術の進歩を生み、これまでは「才能」「経験」「人間力」としか語られなかった様々な技術を「言語化」し、棋士のイメージもスマートなものにした。
それとともに、将棋に対するストイックな姿勢をつらぬくことによって、こういう「無頼派」な生き方を駆逐してしまったことも将棋史的には大きかったかもしれない。
そこで今回は、そんな「昭和の魅力」にあふれた櫛田の将棋を紹介したい。
これは櫛田の持つ独特の腕力と、終盤のアッという展開も合わせて、当時とても話題になった一局である。
1988年の王位リーグ。
櫛田は森下卓五段と対戦する。
先手の櫛田が三間飛車を振ると、後手の森下は△64銀型の急戦で対抗。
櫛田は▲75歩の位を取っての▲76銀型からさばこうとするが、森下は得意の金銀をくり出す押さえこみを披露し、ジワジワとせまってくる。
むかえたこの局面。
中央の金銀が先手の大駒2枚を封じて、飛車のさばけるメドも立っており、後手が指せそうに見える。
ふつうは▲86歩だが、飛車を引くくらいで△67歩成が受けにくく、下手すると完封されそう。
なにか手を作っていかないといけない局面だが、ここから櫛田が見せる指しまわしがパワフルなのだ。
▲65歩、△同金、▲77桂がすごいさばき。
たしかにダイレクトで△89飛成と取られるわけにはいかないが、それにしてもひねり出したものだ。
ただ、いかにも薄いというか、森下もあわてることなく△87飛成とし、▲65桂に△76竜と飛車を取っておく。
これが、「駒得は裏切らない」の森下流。
飛車を失ってこれがまた▲65の桂取りにもなるのだから、やはり先手がいそがしいが、ここからがまたすごいのだ。
▲53桂成(!)、△同金、▲45桂。
取られそうな桂を捨てて金をつり出し、もう一枚の桂を使う。
なんだか、あまりにもふくみがないというか、いかにも、われわれのようなアマチュアが指しそうな手順だが、そう。
これこそが「アマ強豪」出身の櫛田の力強さでもあるのだ。
以下、△52金に▲53歩とたたいて、△42金、▲52金と、あくまで直接手で食いついていく。
ただどうにも単調で、こういう攻めでは堅実さを身上とする森下には通じないとしたものだが、ここでは△51歩と打つのが、おぼえておきたい手筋。
▲同金と金を引きずりおろして威力を弱めてから、△44歩と桂を取りに行けば後手が優勢だったようだ。
その代わりに、森下は△44角と出る。
玉のフトコロを広げながら角を△53の地点にも利かして、味の良さそうな手に見えたが、これが危ない手だったか。
▲42金、△同玉、▲52歩成、△同玉に▲54金と打って、にわかにアヤシイ。
先手の攻めも細いが、次に▲53桂成、△同角、▲63金打のような筋が受けにくく、なにかのときに角や銀を取れる形で、相当に食いついている。
なんといっても先手の美濃囲いが手つかずで、とにかくメチャクチャでもいいから、攻めさえ切れなければ勝てるという穴熊のようなパターンに入っており、後手が怖すぎる局面なのだ。
ただし、相手は森下卓である。
当時の森下は優勝やタイトル戦にはまだ縁がなかったが(決勝で勝ち運がなく「準優勝男」と呼ばれていた)、実力では谷川浩司、羽生善治に次ぐナンバー3と見られていたほどの男。
このピンチも森下にかかれば、なんということもないはずと、さらなる熱戦が期待されたが、なんとこの将棋はここから、わずか3手で終わってしまう。
結論から言えば櫛田が大ポカを指してしまうのだが、その伏線となる森下の次の手が不可解で、おそらく、ほとんどの人が当てられないのではあるまいか。
△26角と出るのが、意味不明な手。
ただ角が逃げただけで、詰めろでもなんでもなく、相手に手番だけを渡した手だ。
しかも、ここで先手に妙手がある。
仮に、それを発見できなくても▲53桂成とすれば△同角の一手に▲63金打のような平凡な攻めでも、この角出はまるまる一手パスと同じあつかいになってしまう。
櫛田もさぞや、おどろいたことだろうが、ここで大事件が起こるのだから将棋というのはわからないものである。
▲27歩、△37銀まで森下勝ち。
▲27歩が一手ばったりの大悪手。
△26角と出た手が詰めろでもなんでもないのだから、受ける必要はなかった。
いやそれどころか、この歩を打ったばかりに▲27への逃げ道を自らふさいでの大トン死。見事な自殺点である。
この歩の代わりには、▲48角と出る手で後手がシビれていた。
△同角成は当然▲53桂成で詰みだが、後手も角が逃げるようでは話にならない。
そもそもプロにかぎらず将棋の強い人なら、▲39で隠遁している角をスキあらば活用したいと考えるもの。
櫛田ほどの棋士が、そのチャンスを逃してしまったというのが、おかしな話だ。
それこそ、▲48角のようなカウンターは、振り飛車党の大好物っぽいのに。
それにも増して不可解なのは、やはりその前の△26角だ。
先も言ったが、これは詰めろでもなんでもない。
そもそもこの角は、▲44金と取らせて、△同銀で銀を活用しながら△53を受けるという形にしたいのだ。その発想があるから、やはり△26角はちょっと思いつかない。
先手が▲27歩という、ありえない大悪手を指してくれる以外はすべてヒドイ結果が待っている。
なぜ森下のような地に足をつけたタイプの棋士が、こんな手を指したのかわからず、さらにはそれが結果的には勝着になるのだから、まったく今並べ直してもわけがわからないのだった。
(森下が名人戦で見せた大ポカはこちら)
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