「なんか議論の途中で【かわいそうだね】とか言うてくるの、頭きますわー」
先日、ランチにふわふわオムライスをいただきながら、そんなボヤキを発したのは後輩ヒラノ君であった。
ことの発端は、ヒラノ君がユリコちゃんという恋人と、デートで映画に行ったこと。
これが、いわゆる
「感涙必至」
「ハンカチのご用意を忘れずに」
といった宣伝内容の感動系作品だったそうだが、観てみると内容的にはイマイチで、ヒラノ君はドッチラケ。
どっこい、チラッと横の様子をうかがうと、愛しの彼女が
「なんてステキな話……」
目をウルウルさせているのだ。
これには二重にシラケたヒラノ君が、
「よう、こんなんで泣けるなあ」
言わんでもいいことをついもらすと、先ほどまで映画に没入していたユリコちゃんも、「はあ? どういうこと?」と返してきて、そこから口論になった。
しばらく言いあいが続いたのだが、そのうちに、いつの間にか可憐な涙もどこへやらの彼女が言い放ったのが、
「なんか……かわいそう」
突然、あわれむような口調で告げられ、今度はヒラノ君が「はあ? どういうこと?」と返すと彼女は続けて、
「考えてみたら、あなたってかわいそうだなって思って。世の中を、そういうひねくれた見方しかできないんだ」
彼女はため息をつくと、
「逆に同情しちゃうな。心がない人なんだって。だからそうやって、だれかの揚げ足を取ることしか、できないんだね。かわいそうだね」
これにはヒラノ君もブチ切れて、
「なに急に、上から目線になってるねん! お前がピーピー泣いてるのは、心があるんやなく、自己愛が強くて、涙腺のパッキンがゆるんでるだけや! 単に映画リテラシーが低いから、お涙頂戴に乗せられただけのくせして、そこをごまかして議論を有利に運ぼうとすな!」
なんて、ずいぶんと激しいことに、なってしまったのだそうな。
よくある痴話げんかといえばそうであり、独身貴族の私としてはしごくゆかい……もとい心配になってしまった。
まあ、この件に関しては、かなりの部分ヒラノ君に改善の余地ありとは思うけど(いらんこと言うな、すなおに謝れ)、後輩がついムキになってしまった気持ちは、わからなくもない。
それが「かわいそう」というワード。
とはいっても、器の小さい男が、あわれまれてプライドを傷つけられたわけでもなければ、図星をつかれて逆ギレしたわけでもない。
いや、器が小さいこと自体は認めるにやぶさかではないけど(そう言えばこの「器が小さい」もケンカでは便利なワードだな)、例えていえば、
「格闘ゲームで《ハメ技》を使って勝ちにくる人」
を見たときに感じる義憤とでもいうのか。
世の中には、そこに根拠も、話者自体の努力も能力も必要としないのに、相手を傷つけたり、優位に立てそうになるワードというのが存在する。
セクハラや、パワハラをとがめたときの「冗談だよ」「そういうときはユーモアで返せよ」とか。
こちらが非を訴えているのに、こう言うことによってまるで、
「こちらが心に余裕のないヤカラ」
「ユーモアを解さないつまらない人間」
であるかのような、空気感を醸し出してくる人がいるのだ。
意識的な人もいれば、無意識の人もいるけど(これはこれでタチが悪い)、これってちょっと問題ある対応ではないか。
同じようなものに、
「金の話はするなよ」
「感情的になるな」
あと日本人的最強ワードは「空気を読め」だけど、そういう論理のすり替えの一種で、
「不利な状況を、あたかも《自分のほうが冷静に物事を見る余裕がある》ふりをすることによって、逆転しようとする試み」
これに「いかがなものか」と言いたいわけだ。
ましてや、なんとなく話者が
「オレ今、大人として良いことい言った」
てな雰囲気を出してきた日には、何をかいわんやである。要するに「詭弁」「欺瞞」が嫌いなのだ。
今回の件で、ユリコちゃんが言った「かわいそう」も、決して本当に憐れんでいるわけではない。
ただ、ガチギレしてるのを見られるのが恥ずかしいのと、議論で優位に立つために、
「わたしは怒ってない。あなたの言動に心を乱されているわけでもない。ほら、その証拠にあなたを冷静に分析するだけの余裕があるし、あなたをかわいそうと、思ってあげられるだけの愛情すらあるではないか」
そうアピールしているだけなわけだ。
今の言葉でいえば、「マウントを取りに来ている」というところで、そりゃ言われた方は本意ではないわなあ。
などと長々語っていると、
「それくらいいいじゃん。受け流しとけば?」
と言われそうで、まあそれが一応は正解でもあるんだけど、この手の話は、昔のある思い出と密接にリンクしていて、なんだかムキになってしまうのである。
(続く)