前回(→こちら)の続き。
2018年、第43期棋王戦5番勝負の第1局。
渡辺明棋王と永瀬拓矢七段の一戦は、渡辺がタイトルホルダーの貫禄を見せ、序中盤から挑戦者を押しに押しまくる。
▲81飛成の局面では、駒をボロボロ取られそうというか、下手すると馬も捕獲されそうで、どうにも手のほどこしようがなく見える。
だがここから、永瀬の驚異的な、ねばりがはじまるのだ。
△43角と打つのが、しぶとい手。
完全に温泉気分だった渡辺棋王だが、この手があって、まだ少し時間がかかりそうだと思い直す。
とはいえ、これで形勢がどうなるわけでもなく、▲62歩成、△同金、▲64香、△52金、▲72竜。
駒得しながら攻めて、焼け石に水感がすごいが、そこでじっと△35歩と突くのが、渡辺ものけっぞた意表の手。
▲25桂や、▲36桂の攻めを防いだのはわかるが、棋王曰く、
「ただ受けているだけの手って怖くないんですよ」
相手にプレッシャーをあたえられない受けの手は、それだけで価値がないと切り捨てられるものなのだ。
さらに棋王を驚愕させたのが、▲63香成、△42金右、▲73成香に△39馬(!)。
受け「だけ」の手、第3弾。
これも次に▲75歩と封鎖してから、▲83成香で馬を殺されるのを避けたもの。
なのだが、せめて飛車が▲28にいて、△39馬が先手になっているならまだしも、ここで手番を渡してしまうのが、ふつうは耐えられないのだ。
「泣きの辛抱」「苦渋の一手」
とでも表現されそうなものだが、永瀬は「仕方ない」とあっさりしたもの。
「△35歩と△39馬ってすごい辛抱だよ」
渡辺は驚愕を隠せないのだから、永瀬の感覚が、常人とは違うことがよくわかる。
先手は▲26桂から攻撃を続行するが、後手は△33玉から上部脱出を見せ、▲71竜には△61桂と、まだまだ根性を見せる。
そこから少し進んでの、この局面で、またも永瀬は渡辺の想定外の手を披露する。
△25角が、棋王をして三度「すごい辛抱だなあ」と言わしめた手。
指されて、あきれるのはわかる。
これは▲44香から、壁を削っていくのを避けた手だが、上部脱出を急ぎたい後手は、なるたけ早く△25玉と上がりたいのだ。
そのルートを自らの駒で、ふさいでしまうというのは、いかにも選びにくい。
ロジカルな渡辺と、鈴木大介九段の言う「クセ」とが真向からぶつかり合い、それでいてまったく交わらないところが、おもしろすぎるではないか。
その後も中段玉をめぐって、ゴチャゴチャと競り合いが続くが、先手が決め手を逃して、いよいよ闇試合に。
その手こずりようは、ただ事ではなく、追いつめられた渡辺は、
「この将棋を負けたら勝つ将棋がない。這いつくばってでも勝たなきゃいけないと思った」
「全駒」で楽勝だったはずが、目立った悪手もないのにこんなことになるとは、棋王も悪夢を見ているようだったろう。
最後の見せ場が、この場面。
▲27歩と打って、ようやっと渡辺は勝ったと思った。
△同玉は▲38金。
△同銀成は▲15馬と取って、△同玉に▲14飛と打てば、△19にある飛車を抜くことができる。
だが永瀬拓矢はまだ「負けない」のである。
△36歩が驚嘆の一手。
▲26歩と銀を取ると、△37歩成で、今度こそ逃げ切りが確定。
△34の香がここで働いてきて、先手に強烈なプレッシャーをかけている。
私だったら、もう勘弁してくださいと泣きを入れたくなるが、最後の最後で渡辺は冷静だった。
銀をすぐには取らず、▲21飛と打つのが落ち着いた手で、以下△35金のさらなるがんばりに、▲38銀、△37歩成、▲29金と上部を押さえて、今度こそ寄せ切った。
総手数189手の大激戦。
すごい戦いだったが、敗れたとはいえ私同様、この将棋を見て、永瀬がいつかかならずタイトルを取れる、と確信したファンは多いのではあるまいか。
このシリーズこそフルセットの末惜敗したが、その後は叡王と王座の二冠に輝く。
渡辺明、豊島将之に次ぐ「第三の男」として君臨することとなるのだ。
(羽生と森下のB級2組順位戦編に続く→こちら)
(永瀬の新人王戦優勝の将棋は→こちら)