「【観る将】の人が、たまには実戦も指すようになったら、もっとブームが盛り上がるかもね」
なんてことを言ったのは、将棋ファンの友人、ミクニ君と電話していたときであった。
事の発端は、昨今の将棋ブームですっかりメジャーになった
「観る将」
と呼ばれる人たちについて、話していたとき。
「観る将」とは、自分で将棋を指さず、観戦専門に楽しむということ。
しかも最近の新しいファンは、将棋の内容がわからなくても、棋士のキャラクターや食事また将棋界の独特の価値観など、盤上以外の諸々を楽しむという人も多く、その視野の広がりは「ブーム」の特産物と言えるかもしれない。
そういう、これからどんどん増えてほしい《観る将》だが、私やミクニ君のような古参ファンからすれば、ひとつアドバイスしたいのが、
「《観る将》の人も、ためしに実戦もどうですか?」
と言ってみると、《観る将》側からは、
「うーん、実戦は敷居が高いかも」
「指しても、きっと弱いし……」
「観てるだけでも、十分楽しいからね」
ためらう声は多いだろう。
そこを「よけいなお世話」と理解しながら、それでもすすめてみる理由はなにかと問うならば、まず単純に実戦は楽しい。
それともうひとつ、というか、実はこっちが結構メインな理由なんだけど、《観る将》の人に実戦をすすめるのは、
「自分も指してみると、絶対に観戦が、よりおもしろくなるから」
かくいう私自身が実は、そんなに指さないタイプのファンだからこそ、ここは経験的にも強く推せるところで、それは
「盤面の意味が、より深く理解できるようになる」
という直接的な理由とに加えて、もう少し感覚的なこと。
たとえば、観戦していて、解説のプロや女流棋士が、こんなことを言うことがありませんか?
★「いやー、ここで手番を渡されると、頭をかかえますねえ」
☆「優勢になって、『どうやっても勝ち』という局面こそ、迷ってしまって、かえって危ないんですよ」
★「AIの判定では先手が80%と出てますが、人間的にはむしろ、後手が勝ちやすそうに見えます。これ、ホントに8割以上あるのかなあ」
先日の、藤井聡太王位・棋聖と稲葉陽八段とのB級1組順位戦でも(メチャクチャおもしろかった!)、佐々木大地五段が、
「評価値は、ほとんど互角ですけど、先手(稲葉八段)が勝ちやすい気がします」
また、中村太地七段と戸辺誠七段も、
「こんな、うすい玉をずっと見さされたら、さすがの藤井二冠も疲れますよ」
「評価値は45対55ですけど、先手を持ちたい人も、多いんじゃないですかね」
みたいな。
こういったことを聞くと、こちらとしては単純に、
1のケース
「なんで悩んでるんだろう。手番をもらったら、ふつうは得なんじゃないの?」
2のケース
「どうやっても勝ちなら、別にどうやっても勝ちなんだよね? 迷うことないっしょ」
3のケース
「AIがそう言ってるのに、なんで納得してないんだろう。てか、【勝ちやすい】って、どういうことなのかなあ」
なんて首をひねりたくなるわけですが、これがですねえ、自分で指してみると、すんごくよくわかるんですよ。
「評価値」ではわかりづらい、「実戦心理」というヤツです。
それこそ、遊びでも将棋を指したことがあるなら、上記の状況でも、
1のケース
なに指したらいいか、わからん場面での手渡しはキツイ。
はあー、色々ありそうやのに、一手も見えへんて、どういうことやねん。
こっちが悩んでるの見て、コイツ内心で、ニヤニヤしてるんやろうなあ。
「大悪手、お待ちしてます」みたいな顔しやがって、意地の悪いやっちゃ。
でも実際、なにやっても悪手になる気がするやん!(焦)
2のケース
余裕勝ちやのに、決めるとなるとフルえるなあ。
あれも勝ち、これも勝ち、どうせやったら最短で勝ちたいけど、だいたいそういうのは落とし穴があるもんやねん。
攻めて勝つか、受けて勝つか……て、あれもう残り1分?
ぎえー、あせるあせる! あ、悪い手やってもた(泣)
3のケース
はー、なんとかリードは奪ったけど、またここからが長いんや。
AIは優勢とか言うとるか知らんけど、こっちの玉は薄いし、向こうはまだアヤシイ手でねばってきそうやし、どこに落とし穴があるか、ワカランで。
カイジの鉄骨渡りと同じや!
そら、機械やったら怖がらんと、まっすぐ歩けるから平気やろうけど、人間は下見てまうからなあ。そんな簡単やないのよ。
……なんて、心が千々に乱れるわけなのだ。
で、それもまたきっと、われわれのような素人と、アマ高段者からトッププロでも、さして変わらない。
彼ら彼女らはトレーニングを積んでるから、ポーカーフェイスをつらぬけるだけで、やらかした瞬間の、
「あ!」
内心で、真っ青になっているところは、絶対に同じはず。
実はそれこそが将棋観戦の、さらなるおもしろさだったりするのだ。
そう、将棋を《観る》おもしろさは、盤面の戦いと同じくらい、いやときにはそれ以上に、
「人の心がブレる瞬間」
これこそが、真の醍醐味なのである。
それを、自分で指せば、ものすごく実感できる。
棋士たちが迷うとき、フルえるとき、やってはいけない場面で、やらかしてしまうとき。
「ポカやウッカリは指して、駒から指がはなれた、その瞬間【うわ、やってもた!】と気づく」
「悪手を指したあと、あせって指した次の手は、やっぱり悪手」
「相手がミスしたら、【待った】なんてできないはずなのに、【しめた!】と、つい手拍子のノータイムで対応してしまい、しかもそれが、たいてい悪い手」
みたいな、「あるある」とか(嗚呼、書いてるだけで胸が痛い……)。
指し手の理解は、その人の棋力に比例するが、気持ちの揺れは、おそらくだれしもが理解し、共感できる。
その経験が、将棋観戦を何倍にも興味深くする。
だからこそ、むしろ《観る将》の人にこそ、一度プレイしてみることを、強くおススメしたいのだ。
あの、悪手を指した瞬間の、全身から血の気が引く感じや、優勢な将棋をまくられたときの、脳の血液が一瞬でゆだるところ。
それを体感しておくだけで、ひいきの棋士への肩入れ度も、さらに爆上がり間違いなしなのです。
(鈴木大介の勝負手と「妄想」実践編に続く→こちら)