『松田優作小説』に出会うと、小躍りしたくなるほどうれしい。
といっても、これは伝説の俳優には関係なく、あまりの奇想に、読み終えたとき、
「なんじゃこりゃあ!」
そう叫んでしまう小説のことである。
前回(→こちら)はアルゼンチンの作家コルタサルや、ウィリアム・ブリテン『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』を紹介したが、今回もそんな変わり種を。
たとえば、ヴィクター・コントスキー『必殺の新戦法』。
主人公は、あるチェスプレーヤー。
成績的にはさえない地味な男だったが、あるころから連勝街道を走りだす。
どうやらその秘密は、彼の発見した画期的な新戦法にあるらしいのだが、はたしてその正体とは……。
チェス小説のアンソロジー『モーフィー時計の午前零時』に収録されている短編だが、これが実にイカれている。
物語のキモは、彼の編み出した新戦法がどういうものかだが、その正体というのが、ぶっ飛んでいるなんてもんではない。
書いてしまったら、おしまいだから自粛するが、あまりの内容に茫然自失、抱腹絶倒、そして大爆笑。
なんというのか、
「チェスを題材に小説を書いてみよう」
という出発点からは、絶対に出てこない発想なのだ。
ようこんなん思いつくなあと、心底感心しました。
こんな素敵に阿呆な小説は大好きだ。
ファルス(と勝手にジャンル分け)としてのお気に入り度は、坂口安吾『風博士』と並ぶかも。
シェリイ・スミス『午後の死』を読んだ小泉喜美子さんのごとく
「こんな小説、書いてみたいねえ」
思わず、つぶやく一品。
たとえば、江戸川乱歩『孤島の鬼』。
乱歩先生といえば、探偵小説界の巨人であり、われわれミステリファンなら足を向けて寝られない、それはそれは偉大な人。
そんな先生のすばらしいところは、そんなビッグマンでありながら、同時にそれはそれは
「なんじゃこりゃあ!」
な作品を、たくさんものしていること。
乱歩チルドレンの一人である大槻ケンヂさんは、
「乱歩をあつかった映画がつまらないのは、彼を『アーティスティック』ととらえているから。
そうじゃなくて、乱歩は開いた口がふさがらなくなる駄作や、奇想としかいいようのない『バカ』なものも書いてて、むしろそっちこそが本質なのだ。
これには、やはり子供のころ、乱歩先生から読書のすばらしさを教えてもらった私も大賛成だ。
かの大乱歩を「アート」など、まったくしゃらくさい。
たしかにビッグ乱歩はSМ趣味や少年愛、エログロナンセンスな要素を小説に取り入れてはいるが、それはどこか、「B級」テイストなのが持ち味だ。
『人間椅子』『鏡地獄』『D坂の殺人事件』『パノラマ島奇譚』などなど代表作は、ときに「芸術的」に解釈されるけど、その中身は読んでみるとどこか「へ?」というか、腰くだけなところがポイント。
たしかに美しくはあるけど、それはどこか駄菓子屋的というか、ジャンクで安いところに味があるのだ。
そのトホホというか、「バカ」なところが、グレート乱歩の妙味ではあるまいか。
だから、子供向け作品も上手なのだとも思う。
そんな数ある奇想の中でも、さらによりすぐりのものに、この『孤島の鬼』がある(以下ネタバレはしてないけど、カンのいい人はわかっちゃうかもしれないから飛ばしてください)。
密室殺人、同性愛、フリークス、洞窟での大冒険と、乱歩テイストをこれでもかと詰めこんだ、著者自身も認める代表作であるが、この結末がすばらしかった。
いや、ミステリのクライマックスのキモといえば「犯行の動機」であり、世の中には、
「金が欲しかったから盗んでやった」
「オレを愛さなかったから殺してやった」
とかとか、激しいのになると、
「この腐った世界など、一度滅びてしまえばいい!」
なんていう人もいるけど、まさか、
「この腐った世界など、一度滅びてしまえばいい! そして、地球を〇〇の世界に作り変えてやるのだ!」
とは、恐れ入りました。
それって、今流行りの〇〇〇ものの走りというか、ある意味ディズニーならぬ、〇〇〇〇〇ランドを作りたいってことでは(笑)。
これには恐ろしさに背筋が凍るやら、あきれて爆笑するやら、「やっぱ先生は天才や!」と感心するやら。
ともかくも、傑作なのは間違いなし。みんなも読んで、その奇想にぶっ飛びましょう。
(フレドリック・ブラウン編に続く→こちら)