升田幸三と言えば、「ポカ」である。
ヒゲの大先生と言えば、
「升田流角換わり」
「升田式石田流」
「駅馬車定跡」
などなど、天才的な序盤戦術とともに語られるべきは、信じられない大ポカ。
「升田のポカ」というのは有名で、またそれが、ここ一番という大勝負に出現することも多いというのが、また語り草になるところは、前回の「ポカからまさかの快勝」事件でもわかるところ。
そこで今回も、その「升田のポカ」にスポットライトを当ててみたい。
1956年の、第10期A級順位戦。
花村元司八段と、升田幸三八段の一戦。
この期のリーグ戦を、ともに8勝2敗の好成績でフィニッシュした2人は、名人挑戦を決めるプレーオフ3番勝負に進出。
1勝1敗と星を分けた第3局では、相矢倉から先手の升田がバリバリ攻めていく。
図は2枚の竜が強力で、升田が勝勢だが、次の手がハッとするところ。
△59馬と王手するのが、「妖刀」花村の魅せた手。
真剣師あがりで、幾多の修羅場をくぐってきた「東海の鬼」花村はタダではやられないし、将棋と言うのは、たとえ負けても、1回はこういう相手をドキッとさせる手を見せることが大事なのだ。
取ればもちろん、△26角の王手飛車。
そこで升田は▲78玉と逃げるが、△69角の追撃。
王手王手でせまられて、かなり気持ち悪いが、後手も戦力が不足しており、逃げ切れそうなところ。
とりあえず、玉をどこに逃げるかだが、升田はこの大事な場面で、まさかの「やらかし」を見せてしまう。
▲67玉と逃げたのが、名人戦の挑戦者決定戦という大舞台でやってしまった大ポカ。
すかさず△58角成で、先手玉は大トン死。ここで升田は投了。
以下、▲66玉に△74桂、▲75玉、△85馬と抱きつかれてピッタリ。
升田によると、そこで「▲74玉」と逃げれると錯覚していたそうで、ウッカリしているとこに、なにを言っても意味などないが、それでも、あまりにもったいない。
正解は▲88玉で、△85桂は▲67金。
△76歩、▲同金、△68馬には▲79歩で受かっていて、後手玉は▲42銀や▲15歩で受けがなくなるから、先手の勝ちだった。
このころの升田は、大山康晴がいたせいで名人を取れずに苦しんでいたが、まさかの伏兵相手に、落とし穴に落ちることとなったのだった。
それにしても、遊びの将棋でも、こんな負け方したら盤をひっくり返したくなるのに、それを名人戦の挑決で喰らってしまうなど、どういう気持ちになるのか。
このころは升田本人のみならず、ファンの方も相当にフラストレーションがたまったかもしれない。
今で言えば、「名人」「八冠王」を期待される藤井聡太五冠が毎度、挑決や決勝戦でこんな負け方をしてると想像してみたら、これはメチャクチャにしんどいですわなあ。
(升田のポカの理由編に続く)
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