前回の続き
1989年のC級1組順位戦、羽生善治五段と村山聖五段の一戦は、将来の「名人候補」の対決らしい大熱戦になった。
図は先手の村山が少し不利ながら、手順を尽くして金銀の両取りをかけたところ。
これがなかなかの迫力で、こうなると先手の攻めも相当に見える。
村山らしい力のこもった切り返しだが、羽生はここから見事な組み立てで、この攻撃をしのいでしまう。
まず△25飛と打つのが、しのぎの第一弾。
歩がない先手は▲27桂と、つらい辛抱しかないが(これが▲24歩と打ち捨ててしまった罪)、これで遠く△85の銀にヒモをつけてから、今度は△72角と打てば、なんと両取りがピッタリ受かっている。
いや、受かっているどころか、これが▲54の銀に当たっており、しかもその先には飛車角両方とも、先手陣の急所である▲27の地点もねらっている。
もう、一石で何鳥落としたかわからないくらいの、利きに利きまくった絶好の攻防手になっているのだ!
まるで手品のようなしのぎに、見ているほうは茫然とするしかないが、羽生からすれば「ま、これくらいは」てなもんであろう。
村山は▲46金と戦力を足すが、一回△68角成として、▲45金、△33玉、▲85飛成に△23銀と味よく受けて先手が足りない。
以下、▲82竜、△67馬、▲35金に△54角と取って、いよいよ仕上げに入る。
手段に窮した村山は▲62竜と首を差し出すしかない。
大熱戦も、ついに幕を下ろすときが来たようだ。
先手玉には詰みがあるのだが、この手順がなかなかいいものなので、少し考えてみていただきたい。
△27角成から入って、途中くらいまでは私レベルでも思いつくが、そこからの流れにちょっとした味がある。
ヒントは銀の軽やかな舞。手数は逃げ方によるが、19手詰くらいです。
正解はまず△27角成として、▲同銀に△同飛成とこれも捨てて、▲同玉に△15桂。
ここまではわかるとして、▲16玉に△25銀と打つのがシャレた手。
ここでウッカリ△27銀と先に打つと、▲15玉で詰まない。
これは大逆転で、後手が負け。
いつも思うのは将棋の終盤戦はよく「スプリント勝負」など言われるが、実際に一番近いのは「弾丸摘出手術」「爆弾処理」「ジェンガ」といった作業ではないのか。
ここは先に△25から打って、▲同金に△27銀が正着。
こまかいようだが、これであらかじめ、金を▲25に寄せておくのがミソ。
▲15玉に△14銀と出て、▲26玉。
ここで△25銀を先に打った意味がわかる。
次の1手が、これまた詰将棋のように華麗な手で、拍手、拍手。
△36銀成と一回王手していた銀を成り捨てるのが、両雄の戦いを祝福するかのような、さわやかな収束。
ここを単に△25銀は▲27玉で「あ!」となる。
△36に銀を捨てて歩を前進させておけば(金が▲25に寄ってないと、ここで▲同金がある)、▲同歩、△25銀、▲27玉に△36銀と出られるから詰み。
△27角成を決行する前、羽生は時間を6分残していたが、消費わずか1分でサッと決断。
「余裕で読み切ってますよ」
という宣言みたいなものだから、単に詰ますだけでなく、村山に対するアピールの意味もあったのかもしれない。
こうして東西天才対決は羽生の勝利で終わった。
終局後、羽生が去ったあと盤の前にひとり残された村山は、ポツリとつぶやいたそうだ。
「なんて強いんじゃ……」
髪をかきむしり、顔をおおって、もう一度しぼり出すように、
「なんて強いんじゃ!」
この期、羽生は8勝2敗で締めくくりながら頭ハネを喰らうも、次の年はまたも村山に、佐藤康光、森下卓という競争相手を直接対決で吹っ飛ばして全勝昇級を決める。
村山はC1こそ4年かかったものの、B級2組は幸運もあって1期抜けを決める。
続くB級1組も2年でクリアし、羽生に2年遅れたものの、堂々のA級棋士になるのだった。
(島朗との熱戦に続く)
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