「自分では絶対に思いつかない手」
これを観ることができるのが、プロにかぎらず、強い人の将棋を観戦する楽しみのひとつである。
藤井聡太五冠の見せる、終盤のあざやかな寄せもすばらしいが、様々なクリエイター型棋士が見せる序盤戦術での新構想にも、シビれることが多い。
前回までは升田幸三賞も受賞した「鈴木(大介)式石田流」のヘンテコな将棋を紹介したが、今回もまた歴史を変えた画期的な戦法について。
世代的にやはり、もっともおどろかされたのが
「藤井システム」
これにつき、もうひとつ同じくらい「丸山忠久名人」や「渡辺明竜王」など、多くの棋士の運命を変えたであろう、
「中座流△85飛車戦法」
このインパクトもすさまじかった。
藤井猛と中座真が生み出したこの2つこそが、平成将棋界を引っ張ったビッグウェーブであって、抜きにしてこの時代のことは語れないのだ。
1999年の王座戦。
木村一基五段と松尾歩四段の一戦。
このころ大流行を超えて、ほとんど居飛車後手番のマスト戦法に近かった「中座飛車」。
とにかく猫も杓子も採用していたため、当然のごとく新手が続出し、とんでもない進歩を見せることに。
ここから後手は、先手の陣形によっては、飛車の横利きを生かして△75歩と仕掛けたり、△25歩と先手の飛車を押さえたり。
△54歩から△55歩と玉頭をねらったり、あるいは△86歩から横歩を取りに行くなどが考えられるところ。
だが、ここで松尾が指した手が、目を疑うものだった。
△55飛とまわるのが、のけぞるような異形の感覚。
あるベテラン棋士が、これを見て
「図面が間違ってるよ」
と指摘したそうだが、その気持ちはよくわかる不思議な手だ。
そもそも、この「中座流」自体が、初めて出現したとき、検討していた棋士たちが皆、
「指がすべって、△84に引くはずの飛車を間違えたのかと思った」
そう口をそろえるほどの違和感なのに、さらに「えー!」という手が飛び出すとは。
相手の角の利きに飛車を置くなど、まったく意味不明に見えるが、▲同角は△同角、▲88銀に△44角打が、飛車取りと△88角成の両ねらいで「オワ」。
木村は▲58金と固め、▲29飛と引いて強襲にそなえるが、松尾は一回△54飛と引き、△75歩、△35歩とゆさぶりをかけてから、好機に△65桂と飛び出していく。
結果は木村が勝ったが手としては有力で、とかく受け身になりがちな居飛車後手番で、主導権を取って攻めることができるのが大きかった。
この戦型はタイトル戦など大一番でも定番となり、特に「丸山忠久名人」誕生の大きなカギになったことが、将棋史的にもっとも語られるべきところであろうか。
(丸山忠久が名人をかけた横歩取りの将棋はこちら)
■おまけ
(「中座流」登場前の古典的な横歩取りはこんな感じ)
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