「変な人は論理的である」
というと、たいていの人は、
「えー、そんなことないよ。変な人は考え方が論理的じゃないから、変なんでしょ」
そう返してくるものだが、これがそうではない。
そこで前回(→こちら)は、
「論理的帰結により、マリファナと売春が合法になった国」
について語ったが、まさに変な人とは論理的であるというか、「論理的すぎる」から、おかしなことになるのだ。
この手の「すぎる」人の最上級といえば、これしかあるまい。
アイルランドの大作家ジョナサン・スウィフト。
『ガリバー旅行記』など、不思議でゆかいな童話を書く作家というイメージを持つ人もいるかもしれないが、それは彼の一面にすぎない。
当時の(今でも?)イングランドから搾取されまくっていたアイルランドの代表的知識人として、なんともシニカル、かつ気の狂った風刺劇を得意としたロックンローラーなのである。
そのイカれっぷりが炸裂しているのが、有名な、
『アイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案』
匿名で発表されたこの文章、長いので中身を要約すると、
アイルランドのみんな、今年は飢饉で生活が苦しいよね。
でも大丈夫、ボクが飢えと寒さをしのぐ起死回生のアイデアを考えたから、聞いてくれよな!
答えはカンタン。あまってる赤ん坊の肉を食べればいいんだ。
みんな、食べるものがなくてツライよね。結婚している家は、子供の分も食べさせなければならないから、もっとタイヘン。
でも、ここからが逆転の発想。
答えはカンタン。あまってる赤ん坊の肉を食べればいいんだ。
みんな、食べるものがなくてツライよね。結婚している家は、子供の分も食べさせなければならないから、もっとタイヘン。
でも、ここからが逆転の発想。
キミのおなかがすいて、その子供も飢えているなら、逆に子供を料理してキミが食べれば、キミのお腹はふくれて、子供も苦しまなくてすむ。
働けないのにメシだけは食う、赤ん坊の口減らしもできて、一石二鳥さ! 論理的でしょ? ボクって天才!
働けないのにメシだけは食う、赤ん坊の口減らしもできて、一石二鳥さ! 論理的でしょ? ボクって天才!
まあ、こういう内容なんである。
イカれてると思うでしょ? まさにしかり。イギリスには縁の深い夏目漱石も、
「コイツ、まじヤベーわ……」
ドンびきに、ひきまくってました。
しかも、この文章はこれだけで終わらず、その後も、
「1歳になると、味も栄養も申し分なく、煮ても焼いてもいけるし、シチューもおススメ」
「王国にいる12万人の子供のうち、2万人は繁殖用に残しておくのがベター」
「カトリックは子だくさんだから、そいつらを市場に回せばプロテスタント側もうれしいよね!」
「私生児対策にもいいよ。だって、望まぬ妊娠をしたって、堕胎しなくても食べればいいからさ!」
「王国にいる12万人の子供のうち、2万人は繁殖用に残しておくのがベター」
「カトリックは子だくさんだから、そいつらを市場に回せばプロテスタント側もうれしいよね!」
「私生児対策にもいいよ。だって、望まぬ妊娠をしたって、堕胎しなくても食べればいいからさ!」
などといった、「おいしい子供の食べ方レシピ」や、
「この案が通れば、こんなええことありまっせ!」
という、大プレゼン大会が延々と続くのだ。
これがねえ。もうメチャクチャに理路整然としているというか、ロジカル爆発というか。ともかくも、
「子供を食べると、イギリス王国には、こんないいことだらけ!」
といった話が、しっかりした文章で語られていくのだ。とんでもない劇薬。
もちろん、ジョナサンは本当にそうしろといっているのではなく、アイルランド人を人間あつかいしない非道なイングランドに、
「オレたちは、自分の子供を食んで生きなければならないほど、貴様らに踏みつけられているのだ!」
猛抗議する、怒りの鉄拳なのだ。
鬼気迫るのも当然。
飢えた子供が死んでいくのを、なすすべもなく見ながらペンを走らせる、まさに血と涙と魂の叫び。
それがこんなにも論理的に語られる。読んでて、頭がおかしくなりそうになるのも、むべなるかな。
「狂気の天才」ジョナサン・スウィフトの、あまりにもすさまじい名文だ。「論理的な人は変」の究極系。
「スウィフト アイルランド 貧民救済」で検索して、ぜひ一読を。
(空想的社会主義者シャルル・フーリエ編は→こちら)