前回(→こちら)の続き。
1995デビスカップ決勝、ロシア対アメリカ戦は、ピート・サンプラス対アンドレイ・チェスノコフというカードで開幕した。
ドイツを大逆転で下した立役者となったアンドレイは勢いバリバリ。一方、ピートの方はアウェーの戦いの上に、クレーコートが大の苦手ときている。予想の難しい戦いとなりそうだった。
実際、試合の方はフルセットにもつれこむ泥仕合となる。
前半こそ得意のスピーディーなテニスでリードを奪ったサンプラスだが、決めどころで押し切れないと、チェスノコフのねばり強さに手を焼くこととなった。
必殺のサーブ&ボレーを封じられ、じわりじわりと持久戦で体力を削られていく様は、あたかもナポレオンやドイツ軍が、ゲリラや山岳パルチザンに翻弄される姿を彷彿させる。
準決勝でチェスノコフに敗れたミヒャエル・シュティヒは、試合後、息も絶え絶えの様子で、
「僕はすべてを使い果たしてしまったが、アンドレイにはあと少しだけガソリンが残っていたようだ」
その心身の強さに舌を巻いたそうだが、王者サンプラスもまさにそれに飲みこまれようとしていた。
すわ! チェシーまたも大金星か! 世界中のテニスファンが色めき立ったが、最後の最後でサンプラスが王者の意地を見せ、懸命にすがりつくチェスノコフを振り切った。
と同時に、マッチポイントを決めたばかりのサンプラスがコートに倒れこんだ。
勝つには勝ったが、激戦のダメージによる全身ケイレンで、もう一歩も動けなかったからだ。
すべてを使い果たし、スタッフに両方からかつがれて退場する王者の姿を見て、モスクワのファンたちはその強さと執念に慄然としたことだろうが、ロシアの要であるカフェルニコフだけは余裕の表情でそれを見つめていた。
そう、チェスノコフは負けはしたが、実のところを言えば、彼の真の役割は勝つことではなかった。
もちろん、運よく1勝かせげれば言うことなしだが、それよりもなによりも彼の仕事は、
「過酷な環境の中、サンプラスに1秒でも長くプレーさせること」
最終日のカフェルニコフとの対決で、いかに力を出させないか。それこそが開幕投手の役割だったのだ。
ベテランはものの見事にその任務を完遂した。ロングマッチに引きずりこみ、絶対王者をギリギリと万力にかけ、試合終了の握手もままならないほどに、しぼりつくしたのだ。
まさに玄人の仕事、怖ろしいほどにあざやかな「エース殺し」であった。
シナリオは、おもしろいほどロシアの理想的に動いていた。第1試合の結果に気をよくしたのか、第2試合でカフェルニコフはジム・クーリエを一蹴し、スコアを1ー1のイーブンに戻す。
フレンチ・オープンで2度も優勝しているジム・クーリエは、本来なら決して楽な相手ではないはずで、実際ロシアチームは、
「ピートよりジムの方が要警戒だ」
といった挑発的ともいえるコメントを残していたが、カフィはまるで鼻歌でも歌いながらのごとく、見事に快勝してしまった。
なんという余裕。よほど勝てる見こみがあったのだろうか。
もちろん、そこにはカフィの実力に対する信頼があるわけだが、それにしても自信と勢いというのはおそろしいものである。
カフィの勝利で、ロシア優勝の方程式は完成しつつあった。次は自信のダブルスで確実に1勝を奪い、最終日のエース対決でカフィが疲れきったサンプラスを料理する。
これでおしまい。戦力では劣るが、かけひきで勝つという団体戦特有の勝負術が炸裂したように見えた。
だが、話はここで終わらない。完璧に見えたはずのロシアの作戦、それをものの見事に粉砕する男がいたからだ。
そう、一度は破壊されたと思われた、王者ピート・サンプラスのことである。
(続く→こちら)