モスクワ総力戦vs皇帝ピート 1995年デビスカップ決勝 ロシア対アメリカ その5

2016年11月28日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 1995年デビスカップ決勝は、アメリカロシア1勝ずつ分け合って2日目に突入した。

 この日はダブルス対決。

 再三言っているが、デ杯はダブルスがポイントである。

 昨今、錦織圭というスーパースターがいながら、日本がときおり格下のチームに苦戦を強いられるのは、ダブルスに頼れるコンビがいないからだといわれている。

 この決勝戦でもアメリカのネックとなるのが、ダブルスになるのではと推測されていた。

 アメリカにもリッチーレネバーグというダブルスのスペシャリストはいたが、彼とペアになる巧者が不足していたのだ。

 一方ロシアはアンドレイオルホフスキーエフゲニーカフェルニコフ組で実績も経験も充分。戦力的には圧倒的にアドバンテージがある。

 前回の復習をすると、ロシアの計算では、開幕戦でアンドレイチェスノコフが、1敗覚悟でピートサンプラスを徹底的に削り、第2試合ではカフェルニコフがジムクーリエを蹴散らしてタイ

 その後、ダブルスを順当に取り、最終日疲弊したサンプラスをカフィがたたいて3勝目いただき。これがロシアによる「勝利の方程式」だ。

 ここまでは、笑いだしたくなるくらいに作戦通りだったわけだが、ここにその計算を狂わせる男がいた。

 だれあろう、王者ピート・サンプラスであったのだ。2日目のダブルス、アメリカチームはこの男を急遽エントリーしてきたのだ。

 これにはカフィをはじめ、ロシアチームには二重の驚きだった。

 まずひとつは、初日にチェスノコフにあれだけ痛めつけられたのに、ということ。

 全身ケイレンで試合後歩くこともできなかったのだ。そのダメージを考えれば、最終日にはベストの状態で出られないはず。

 いやそれどころかリタイヤという結末も考えられる。ロシアからすれば、そこまでの希望的観測すらあったはずである。

 それが、まさかのダブルスに連投

 ましてや、カフェルニコフとちがって、サンプラスはダブルスにまったく出ないタイプのシングルス・プレーヤーである。

 ダブルス・ランキングでもトップ10に入っているカフィと比べると、はっきりと見劣りするはずなのだ。

 この思わぬ「サンプラス投入」はロシア側に大きなショックをあたえた。

 ロシアからすれば、アメリカが送りこんでくるのは、専門家のリッチー・レネバーグと、シングルスでは控えであるトッドマーチンと見切っていたらしい。

 それをはずされた意味もあるが、それよりもなによりもサンプラスが初日の消耗をものともしていないこと、さらには経験値の少ないダブルスに志願してまで勝ちにこようとしている。

 ピートからすれば、「勝ったつもりか知らないが、そうはいかんぞ」と言いたかったのだろうか。「なめるなよ」と。

 その気持ちの強さに、ロシアはもしかしたら、押されてしまったのかもしれない。

 現に、ロシア有利のはずのダブルスでは、オルホフスキーもカフェルニコフも予想以上に力を発揮できなかった。

 その一方で、ピート・サンプラスは元気いっぱいだった。得意のサーブ&ボレーを駆使して、次々とポイントを奪っていく。

 ペアを組んだマーチンも決して完璧というわけではなかったが、その分すらもひとりでカバーする勢いだった。

 ロシアペアは明らかに、それに気圧されていた。そのままずるずるとポイントを失い、この鍵となる2日目を落としてしまう

 まさかのダブルス敗戦に、ロシアチームの計算は総崩れとなった。

 それでもスコアはまだアメリカから見て2勝1敗

 ナンバーワン決戦に出てくるカフィも、ロシア決勝進出の立役者チェスノコフも残っている。勝負はまだこれからのはずだ。

 だが、残念なことにロシアチームにはそこから挽回する力は残っていなかった。

 シングルス第3戦はサンプラスがやはり神懸かり的なテニスを披露し、気落ちしたカフェルニコフを攻めまくる。

 地元の大声援を背に、なんとか事態を打開しようともがいたカフィだが、一度狂わされた歯車がかみ合うことは、もうなかった。

 天王山となる決戦は、6-26-47-6のストレートでサンプラスが快勝

 これで3-1。アメリカが1992年以来の優勝を飾ることとなった。メディアやファンは大活躍の王者を称え、ロシアのピョートル大帝にたとえて「皇帝ピート」と呼んだ。

 ロシアは前年度に続き、またも敗れた。

 だが、これはカフィを責められるものではないかもしれない。彼らはベストをつくして戦ったのだ。

 ただ、ことこの決勝戦に関しては、二日目のダブルスに、サンプラスが電撃的に登場した時点で勝負がついていた。

 結果論的にいえば、いかに勢いがあろうが戦略があろうが、王者に、あんな劇的な展開で主役の座をかっさらわれてはいけないのだ。

 傷ついた体をものともせず2日目のコートにあらわれ、ロシアチームの度肝を抜いた時点ですべては決まっていた。あとの2試合はすべて、単なる「手続き」にすぎなかったのだろう。

 まったく論理的ではないし、ロシアチームにとっては不条理極まりない話だが、英雄が生まれる瞬間というのは、そういうものではあるまいか。

 こうしてきびしい敗北を喫したロシアだったが、ここで終わらなかったのは偉いところ。

 カフィはその後フレンチ全豪グランドスラム二冠に輝き、世界ナンバーワンにものぼりつめる。

 またマラトサフィンという、これまたロシアテニス史に残る天才を得たチームは、2002年決勝にみたび進出し、強豪フランス相手に見事悲願の初優勝を飾ることとなる。




 ☆おまけ 1995デビスカップ カフェルニコフ対サンプラスのダイジェスト映像は→こちら







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