前回(→こちら)の続き。
1992年の第50期名人戦、挑戦者に名乗りをあげたのは高橋道雄九段だった。
このころの名人戦と言えば、中原誠と谷川浩司、それに米長邦雄の3人が順繰りに戦うという感じだったが、そこに「花の55年組」から殴りこみが、かかることに。
フレッシュな挑戦者だったが、戦前の予想では中原有利。
それは高橋から見て、4勝13敗と星がかたよっていることと、またこのころの将棋界では、
「名人は将棋の神様に選ばれた者だけがなれる」
という、厳然たる「神話」が存在していたからだ。
とはいえ、それを考慮に入れても、高橋がそんな簡単に、引き下がる相手とは思えないところはある。
31歳と、名人である中原誠より13歳も若く、A級順位戦プレーオフでは南芳一九段、谷川浩司四冠と強敵を撃破。
タイトル5期の実績もあり、Cクラス時代にタイトル戦で米長邦雄や加藤一二三に4タテを喰らわせた強さは、棋界に激震を走らせた。
そんな男を、対戦成績はともかく、将棋の神様がどうとか言う、こういってはなんだがオカルトめいた話で、片づけてしまっていいのか。
当時の高橋将棋で、印象に残っているのがこれ。
1986年の第12期棋王戦。
谷川浩司棋王と、高橋道雄王位の五番勝負。
1勝1敗でむかえた第3局は、高橋が先手で相矢倉に。
高橋が4筋から仕掛けて行ったところ、谷川が端から反撃。
この△95歩が機敏な1手で、▲同歩には△97歩とタラして、▲同香に△同角成と強襲。
▲同桂に、△95飛(単に△44香もありそう)、▲96歩、△同飛、▲98歩に△44香と打つと、飛車がお亡くなりに。
まだ戦いが始まったばかりで、いきなり飛車を召し上げられるのは痛いし、端のキズも残って、これは先手がツライ。
すでに先手が困っているようだが、ここで高橋が指した手には、度肝を抜かれた。
▲48飛(!)、△96歩、▲98歩(!)。
なんと、端の取りこみを甘受して、▲98歩と受けたのだ。
他になんの代償もないのに、一方的に9筋を土下座させられるなど、屈辱きわまりない手順だが、そこをじっと辛抱できる高橋のメンタルが並ではない。
ふつうは、こんなの指せない。
それこそ谷川浩司が先手だったら、ナイフや銃でおどされてすら、絶対に指さないだろう。
それを受け入れるのが、高橋道雄の強さである。
しかも、ありえない手順にペースを乱されたか、谷川がモタついたスキを突いて逆転に成功するのだから、あにはからんや。
シリーズも3勝1敗で棋王を奪取して二冠に輝き、このころは
「高橋道雄最強説」
が棋界を席巻したものだった。
なので私の中では、決して派手なタイプとは言えない高橋が、その圧倒的地力で「神話」を、もっとハッキリ言えば、
「名人は選ばれた者だけがなれる、特別な何かであってほしい」
という棋士や、将棋ファンの「願望」が作り出す同調圧力を打ち破れるかが、とにかく注目だったのだ。
という、ちょっと長い前提がある中、第50期名人戦が開幕。
第1局は中原が先手で相矢倉になった。
中盤戦のこの局面。
先手の銀立ち矢倉と後手の4枚矢倉が美しく、将棋の本道という感じがする。
ただ、中盤以降は相入玉の形になり、正直そんなにおもしろい戦いではなかった。
ではなぜ、その将棋の、それも駒組の段階の図を紹介したのかと言えば、これがこの七番勝負を語るのに、はずすことのできない重要なものだから。
「こういう図」こそが、このシリーズの趨勢を決定づけることになるので、まずは「そういうもの」と憶えておいていただきたい。
続けて第2局。今度は高橋が先手で相矢倉。
前局に続き、またもがっぷり四つに組んだ両雄だが、ここは先手の高橋が軽快に仕掛けていく。
中盤戦。形勢は難しいが、図で▲12歩と打ったのが、「高橋らしい」と声の上がった一手。
駒を補充しながら、と金を作って敵の金銀をけずっていこうという確実な手だが、それゆえに鈍足な手で、後手からの反撃が怖いところ。
それを堂々「やってこい」と。
たしかに、△73桂や△85歩の入ってない後手の攻撃陣は、いかにも1手遅れている印象だ。
中原が△75歩の突き捨てを入れるタイミングを逸したこともあり、高橋が優勢になり終盤戦へ。
ここで先手に、カッコイイ決め手がある。
▲37銀が、強烈な右フック。
△同馬は攻防のカナメの駒がソッポにやられ、先手陣に怖いところがなくなる上、▲44歩のたたきや▲45に桂や香を打って攻める筋がきびしくて持たない。
手段に窮した中原は△68馬から「バンザイアタック」を仕掛けるしかないが、しっかりと受け止めて制勝。
これで、挑戦者が2連勝スタートだが、見ているほうはここで、少しばかりざわつくことになる。
高橋の強さが意外だったわけではない。
それよりなにより、中原誠が
「初戦、2戦目と、どちらも矢倉で落とした」と
いう事実に、大きな危機感を抱いたからなのだ。
(続く→こちら)