変わった趣味の人を見ると話を聞きたくなるのは、自分が将棋ファンだからだろう。
ということで、前回ここで
「他人のマニアックな趣味を《変》だと感じるのは、その奥深さを理解する《知性》が足りないだけという可能性は充分」
という話をしたが、私はそもそも「タテの評価」ならわかるが「ヨコの価値観」に優劣をつけようとする発想が、あまり意味ないなーと感じる。
「タテの評価」というのは、そのもの数字や勝敗で勘定できるもの。
スポーツの勝敗とか営業マンの売上数とか科挙とか、そういう
「同じルールで戦って優劣を評価できるもの」
これはわかりやすい。数学のテストで「100点」の人と「85点」の人がいれば、前者の方が「優秀」という根拠はそれなりにあるだろう。
スポーツなら「優勝回数」とか「勝率」「勝ち点」など、なんなり差をつけるものに事欠かない。
もちろんこれだって絶対ではないわけだが、一応の参考にはなるデータであり、そこを「優劣をつけるな」みたいな、一部の教育者みたいなことを言うつもりはない。
一方、「ヨコの価値観」とは、そういった「絶対性」がないもの。
テレビなどでよくある「野球対サッカー」とか、
「将棋は持ち駒が使えるからチェスよりすぐれたゲームだ」
みたいな考え方とか、そういうのでどっちが上とか下とか、死ぬほどどうでもいいのだ。
だって、それを決める基準値なんて「好き嫌い」しかないしなあ。
というと、
「野球はサッカーより稼いでいる」
「いやいやサッカーは世界でやってるけど、野球は一部の地域でしか盛んじゃない」
とか言いあったりするけど、それもなんだかなあ。
そんなもん時代や地域によって全然変わるわけで、ほとんど意味のない比較なんである。
そもそも「ビッグマネーが動く」「競技人口が多い」とか、「そのスポーツの価値」とはまた別だ。
それはそれで大事だけど、「野球の魅力」「サッカーの魅力」の一部にすぎないというか「おまけ」みたいなもんだし。
それらすべて
「オレは野球よりサッカーが(サッカーより野球が)好き」
でいいのであって、それはのみならず、テニスも卓球も剣道もクリケットもポートボールも。
いやさスポーツだけじゃなく将棋も囲碁もアニメもプロレスもアイドルもお笑いもすべて同じ。
もちろん、「M-1グランプリ」のように、
「好き嫌いにルールや基準を作って勝負する」
という発想はアリで、それはやったらおもしろいわけだが、そういったものがないもので上下関係とか、阿呆らしいことこのうえないのだ。
なんかねー、昔テレビで
「世の男はみんな、全員大したことない。戦場カメラマンなんか、死の危険の中で仕事してるのに、あなたたちは何か命を懸けるようなことをしてるのか」
みたいなことを言ってた女性タレントとかいて、別に命かけてようが、平和な日本に居ようが、
「自分の仕事に誇りをもって、あるいはつらくても、自分や家族のために一所懸命働いている人」
ていうのは全員が「等しく」立派なんでねーの?
とか思う私はどうしても、こういう「勝手なルールで優劣をつける」物言いをトホホに感じてしまうのだ。
そんなの、マダガスカルかどっかに特設リングでも作って、好きにやっててよ。
(続く)
★おまけ
(大槻ケンヂさんの語る「穴埋めマニア&ゴム草履マニア」の話はこちら)
(オーケンによる「昆布ふんどしマニア」についてはこちらからどうぞ)