パンクとファルスの抱腹絶倒日本文学 坂口安吾『風博士』を読もう!

2018年12月17日 | 
 坂口安吾はもっと評価されてもいい。
 
 というのは、かねてからの強い思いであった。
 
 少し前、お笑い芸人であるピース又吉さんが芥川賞を受賞し、その流れで一時期本屋の店頭に、
 
 
 「又吉さんがおススメする一冊」
 
 みたいなコーナーが、よくもうけられていた。
 
 うちの近所の書店でも太宰治遠藤周作といった古典ともいえるものから、村上龍西加奈子といった現代文学の人気作家まで幅広く紹介されていたが、どうにも消化不良であったもののだ。
 
 だって、オレの好きな坂口安吾が入ってないんやもん!
 
 太宰もよかろう、遠藤だって私の好きな作家である。
 
 だがしかーし! 日本文学といえば『堕落論』『桜の森の満開の下』を擁する安吾先生を。
 
 江戸川乱歩と並んで私の人生に大いなる影響をあたえたアンゴウ先生を忘れるなど、それはもう画竜に点睛を欠きまくりサンダーボルトではないか!
 
 いやいや、お前の趣味は知らんといわれそうだが、そんな声こそ知らんのである。
 
 というわけで、今回は私の敬愛する作家である坂口安吾、その魅力を語ってみたい。
 
 思い起こせば、安吾先生との出会いは、まだ高校生のころであった。
 
 当時からヒマさえあれば本ばかり読んでいる、そのころでさえ絶滅危惧種の読書野郎であった私は、ある日、本屋で刺激的なタイトルの本を手に取ることとなった。
 
 それが坂口安吾の『堕落論』である。
 
 私は基本的にミステリSFといったエンタメものが好きであるが、文学もけっこう好むところがある。
 
 とはいえ、そっちは主に海外物が中心で、プーシキンとかサマセットモームシュテファンツヴァイクヨーゼフロートなんかが好きだったけど、一応日本モノも芥川とか遠藤周作もよく読んでいた。
 
 そんな中、坂口安吾とは国語の授業などでも漱石鴎外などとくらべるとややマイナーであり、イメージとしては
 
 
 「部屋が超ちらかっているメガネのオッチャン」
 
 
 くらいのものしかなかったが(あれは絶対「キャラ設定」のためワザとやってるよなと、友人と邪推したものだ)、あにはからんや、読んでみたらこれが、とんでもなく引きこまれたのである。
 
 私が買ったのは集英社文庫版であり、表題作の『堕落論』以外にも、代表作である『桜の森の満開の下』や『日本文化私観』。
 
 また、自殺した太宰をあつかった『不良少年とキリスト』などが収録されていた。
 
 そのどれもがおもしろかったが、もっとも感嘆したのがデビュー作の『風博士』。
 
 ストーリーはといえば、これが特にはない。そもそも、起承転結的な構成を楽しむものではない。
 
 ではなにがおもしろいのかといえば、その徹底したナンセンス
 
 主人公風博士とライバルである蛸博士との、少女カツラをめぐるドタバタ劇
 
 これが坂口独特のリズミカルな文体により、もう読ませる読ませる。落語というか、めっぽう出来のいい講談を聞いている気分。
 
 私はこの作品に耽溺するあまり、全編を原稿用紙に書き写し、友人知人にもすすめまくったのだが、反応はイマイチであった。
 
 まったく、文学の妙味がわからぬとは蒙昧な凡夫どもめ。中には
 
 
 「読んだけど、オチがバカバカしすぎてしらけた」
 
 
 などといった的外れな感想を述べるヤカラもいた。
 
 バカバカしい! そここそが、『風博士』のもっともすばらしいところだというのに!
 
 バカバカしいものを、テレもせず、変なテーマ情緒などで味付けもせず、そのままどストレートに放ってくるところが、この作品の偉大さである。
 
 バカバカしい、さもあろう。意味が分からない、かもしれぬ。重厚さのかけらもない、しかりしかり。
 
 しかしである、それがもし否定の意味で使ってるのなら、あなたはまったくの筋違いだ。
 
 即刻その頭上に鎮座する鬘をばはぎとり、禿頭を世にさらすことによって反省すべきである。嗚呼、悲しいかな悲しいかな。
 
 『風博士』にピンとこないあなたは、この作品の自己解説ともいうべき『FARCEについて』を開くべきであろう。
 
 この『FARCEについて』もまた、私に大いなる影響をあたえた一作である。
 
 
 「笑いは泪よりも内容の低いもの」
 
 
 という意識が幅を利かす日本において、
 
 
 「芸術の最高形式はファルスである」
 
 
 とぶちあげ、道化ドタバタ滑稽といったものに光を当てる。
 
 私もまた、ファルス、道化、ドタバタ、滑稽、大いに好むところである。「笑い」というと、
 
 
 「そんなふざけてないで、もっと深遠なテーマ性をもって文学と接しなさい」
 
 
 などとほたえる国語の教師や、さかしらな評論家などまったく無粋であると考えていたところに、この
 
 
 「情緒や重厚な文学性など、へーこいてプー」
 
 
 な姿勢には、心底「アニキ、ついていかせてください!」と感涙に打ち震えたものだ。
 
 私の好きな一節をここに引用すると、
 
 
 「ファルスとは、人間のすべてを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである」
 
 
 とし、
 
 
 「ファルスとは、否定をも肯定し、肯定をも肯定し、さらにまた肯定し、結局人間に関する限りの全てを永遠に永劫に永久に肯定肯定肯定して止むまいとするところである」。
 
 
 どうであろうか、この怒涛の「肯定7連発
 
 このリズミカルな連打こそが、坂口ファルスの真骨頂だ。
 
 これにくらべれば日本文学的「美文」など、ただの催眠文章である。
 
 一度読めば、もうハマること間違いなし。諸君! 志賀も川端も投げ捨てて、今すぐ坂口を手に取れ!
 
 
 (続く→こちら
 
 
 

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