羽生善治九段が王将戦の挑戦者になったとなれば、ここは当然「羽生特集」を組まねばなるまい。
羽生と王将戦と言えば、やはり「七冠王フィーバー」が思い出されるので、「七冠王達成」の一局を取り上げようか。
とは思ったのだが、このときの王将戦七番勝負は谷川浩司王将の不調もあって、内容的には残念なことに、あまり見どころがないものであった。
あらためて並べてみても、4連勝で決着だし、どうもなー。といって、その前年のあと一歩だった「七冠王ロード」はもう書いちゃってるし、どうしたもんか。
と、そこでふと思い出したのが、羽生と言えばたしか「デビュー戦」も王将戦だったはず。
調べてみたら、そうでした。はー、なんか色々と縁がある棋戦なんやねーとか、なつかしくなりながら今回はこの一局と、あとはせっかくなので、いくつかにわけて低段時代の将棋も見ていきたい。
羽生をはじめとするトップ棋士は藤井聡太五冠について、
「あの年齢にして、完成度の高さがすごい」
そう評することが多いが、羽生の若手時代の戦いぶりと、くらべてみるのも一興ではないでしょうか。
デビュー戦というのは、注目を集めるものである。
藤井聡太四段のように開幕29連勝という、はなれわざを見せる人もいれば、囲碁の中邑菫初段のように、注目を集める中敗れて、悔しい思いをする棋士もいる。
1986年の王将戦。
羽生四段は、宮田利男六段と対戦することとなり、これがプロ一戦目。
プロ入り前から「名人候補の逸材」との呼び声の高かった羽生少年だったが、これは将棋界だけでなく、鼻の利くマスコミにも伝わっていたよう。
河口俊彦八段の『対局日誌』によると、『毎日グラフ』『フォーカス』といった一般誌も取材にかけつけたというのだから、その注目度も、なかなかのものだったのである。
将棋は宮田が先手で、相矢倉。
図は先手が▲74銀成としたところ。
端から攻めようという後手だが、歩が少ないのが悩みどころ。
角取りでもあり、ただ逃げてるだけでは▲84成銀とか▲82角成といった「B面攻撃」に悩まされそうだが、ここで羽生がキレのいい攻めを見せる。
△96歩、▲同歩に△98歩と打ったのが宮田が軽視した攻め。
▲同香と取って歩切れの後手に手がなさそうだが、そこで△45歩と、こちらの歩を取る手がある。
▲同桂に△97歩できれいに攻めが続く。
盤上を広く見た、リズミカルで気持ちの良い手順だ。
だが宮田も、かつては王座戦の挑戦者決定戦に出たことのある実力者。
相手の攻めが一段落したところで、▲44歩と取りこみ、△同金に▲24歩と手筋の突き捨て。
△同銀に▲71角と飛車金両取りに打って、△43金引に▲44歩、△42金引、▲26桂、△33銀、▲45桂。
このあたりの宮田の指しまわしは、矢倉戦のお手本のような流れ。
非常に綺麗な手順で、見ていて参考になるところだ。
歩と桂を利かすだけ利かして、△92飛と逃げたところで、▲82角行成ともたれておく。
後手が指せそうだが、勝負はまだ先といったところ。
おもしろい戦いだが、その後、宮田に一矢あって羽生が優勢になるも、先手も必死に食いついてこの局面。
▲41銀が、これまた絶対におぼえておきたい手筋中の手筋。
後手玉は、次に▲32銀成と取って△同金は▲34桂。
▲32銀成に△同玉は、▲43銀から詰みになる。
これには「逆転か」の声も出たそうだが、次の手がしぶとく、そう簡単ではない。
△12玉と寄るのが、しのぎのテクニック。
「米長玉」と呼ばれる形だが、戦いのさなかに、サッと寄るのが玄人の技。
ここまでの手順が、将棋の基本編だとすれば、これは応用編。
今度はアマ有段者クラスが、参考にする手筋である。
これで後手玉に王手がかかりにくくなり、絶対に詰まない「ゼット」の形を作りやすく、かなり、ねばりのある玉形なのだ。
一気の攻めがなくなった宮田は、▲47銀と一回受けるが、羽生は△46馬と取って▲同銀に、△36桂の王手飛車。
▲57玉、△28桂成に▲32銀成、△同金、▲34桂と詰めろが入るが、そこで△33銀と打って盤石。
宮田は▲72飛と打つが、△48銀、▲47玉、△42歩で攻めは届かない。
足の止まった先手は、ここで▲55歩。
空気穴をあけ、なんとか上部脱出をもくろむが、ここでいい手がある。
△45銀と打つのが、さわやかな決め手。
▲同銀には△37飛と打って、▲48玉には△38成桂。
△37飛に▲56玉だと△67飛成と取るのがうまい。
▲同玉に△57金と打てばピッタリ詰み。
デビュー戦で見事な絶妙手を放った羽生は、さすがのスター性だが、ここでおもしろいのは周囲の反応。
△45銀に感嘆した河口八段が、島朗五段(当時24歳)に
「羽生君をどう思う?」
訊いたところ、
「みんなたいしたことない、と言ってますよ」
△45銀への反応も、
「いい手ですけどね。あのくらいは……」
まあ、プロレベルなら指せるでしょうと。
「島研」についてや、のちの独特ともいえる韜晦趣味的発言とくらべると、ずいぶんとトガッていておもしろいが、それだけトップ棋士を意識させているともいえる。
現代だと、こういう発言は下手すると「炎上」を生みかねないが、それでも血気盛んな若手というのは、時代は変わっても、こんなもんかもしれない。
今のキャラクターからは想像しにくい、島のこういうつっぱりを、私はどこかほほえましく感じるのである。
(続く)
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