「受ける青春」の蹉跌 羽生善治vs中村修 1986年 新人王戦 その2

2022年12月04日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 1986年新人王戦

 羽生善治四段と、中村修王将との一戦。

 タイトルホルダーと未来のタイトル候補という好カードは、期待にたがわぬ好局となる。

 

 

 

 

 双方、指す手が見えにくい局面で、△95歩と端を突いたのが、中村のセンスを見せた手。

 専門的には「手として有効である一手パス」という、ややこしいものをひねり出さなければならないという、激ムズな中盤戦だったが、そこで見事な「正解」を出したのはさすがであった。

 だが、それに対する羽生の応手が、またすさまじい。

 

 

 

 

 

 ▲95同歩が、「らしいなー」と声をあげたくなる一手。

 といっても、端を突かれたから取っただけで、なにをそんなに感心するのかと思われる方もおられるだろうが、これは感嘆を呼ぶ手であり、同時にものすごく「羽生らしい」手でもある。

 この難解な局面で遅いような、それでいて、あせらされる手を見せられたら、この手番を生かして、なんとか少しでも攻めたくなるのが人情だ。

 そこを、じっと自陣に手を戻す。

 デビューしたての若者が、タイトルホルダー相手に、

 

 「どうぞ、好きに、やっていらっしゃい」

 

 その、ふてぶてしさと、

 

 「パスしたい局面で手を渡してきたなら、こっちも同じような手で返せば敵は困るはず」

 

 という論理性を内包した、実に味わい深い一手なのだ。

 将棋は好きだけど、あまり指すことはないタイプの「観る将」の方に私はよく、

 

 「たまには実戦も、指してみるのもいいですよ」

 

 オススメするのことがあるんだけれど、それはゲームとして面白いのはもちろんだが、それともうひとつ、実際にだれかと指してみると、この▲95同歩のような手の魅力がわかるようになるから。

 これがねえ、自分で指してると、ホントしみじみ理解できる。

 自分が先手だったとして、「格上」の人相手に△95歩みたいな手を指されてですねえ、それを堂々と取るのはムチャクチャに勇気がいるのだ。

 だって、その瞬間になにをされるのか、わかったものではない。絶対、オレの読んでない手が飛んでくるに決まってるんだ。

 そんな疑心暗鬼におちいりながら、なにかあせって単調な攻めの手を指して、あっという間に負けてしまう。もちろん、この局面の中村もそれを誘っている。

 そこを完全に看破し、タイトルを持って勝ちまくっている先輩相手に、

 

 「おう、来いよ、ビビってんのか?」

 

 みたいな態度で▲95同歩と取れるのが信じられない。

 よほど自分の読みに自信があるのか、それとも天才となんとかは紙一重なのか。

 きっと両方なんだろうけど、なんかもう、とにかくシビれる一着なのであり、ぜひこの興奮を「観る将」の人たちにも味わってもらいたいですよ! いやマジで!

 こんなことをされては、さすが温厚な中村王将も怒るというもので、△86歩、▲同歩に△85歩から騎虎の勢いで襲いかかる。

 少し進んで、この局面。

 

 

 

 玉頭で押さえ、2枚のが急所に利いている。

 も取られる形だし、並みならつぶれているところだが、なかなかどうして、先手もくずれない。

 

 

 

 

 

 

 ▲77金寄が、力強い受け。

 を連結させながら、頭を押さえているにアタックをかけ、これで先手陣はなかなか寄らないのだ。飛車の横利きも、なにげに頼もしい。

 △同銀成は味を消してつまらないと、を補充しながら△95銀の転進に、今度こそ攻めるのかと思いきや、そこで▲47歩とまたも催促。

 

 

 

 これがまた、強気というか、なんと言うか。

 こんな受けになってるかどうかわからない手で、ここから一気に寄せられでもしたら、どうするんよ。△86香とか、メチャ怖いやん!

 それでも平気の平左。少し前まで中学生だった少年とは、思えない図太さではないか。

 そして最後に羽生は、すばらしい寄せを披露する。

 

 

 

 図は、中村が、△56馬と寄ったところ。

 中村、羽生ともに秘術をつくした熱戦となり、形勢は超難解

 先手は手番をもらった、この一瞬でラッシュをかけたいが、相手は「受ける青春」中村修のこと。

 そう簡単にはいかないようで、たとえば、▲42とは、自然な△同銀には、▲同成銀、△同金に▲51飛が、馬取り▲31角の両ねらいでうまいが、ここは△同金で取るのがミソ。

 ▲同成銀△同銀に、▲52飛馬銀両取りには、今度は△53銀打で受け切り。

 

 

 

 また、▲54角△31金▲71飛とせまる手も見えるが、これには△86香とされて、受けがなくなる。

 そこで▲31飛成とボロっとを取って、△同玉なら頭金だが、△13玉とかわされて詰みはない。

 

 

 

 

 

 このなんなり手がありそうなところで、スルリと抜け出すのが、「不思議流」「受ける青春」中村修の真骨頂。

 大名人中原誠をはじめ、幾多の棋士がこのイリュージョンに惑わされたものだが、羽生はしっかりと見えていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 ▲43と、と捨てるのが絶妙手

 といっても、攻めのカナメ駒である、▲53と金タダで捨てるなど、まったく意味がわからないが、△同金▲41成銀と入るのが、継続の好手。

 

 

 

 

 を上ずらせて、そのにすりこむ成銀

 といわれても、子供のころの私はまったく意味がわからなかった。

 成駒のような手が一段目に行くのは、利きが弱くなって一番使えないはずなのだが、なんとこれで後手はすでに防戦が困難なのだ。

 先手は次に、▲52飛王手馬取りがあり、△32金と埋めても、やはり▲52飛取りと▲31角があって後手がまいる。

 また後手が、どこかで△86香と攻めてきても、▲同金△同銀▲31角王手銀取りで抜けてしまう。

 おそろしいことに、どうやっても後手が勝てない形になっているのだ。

 「負けなし」と言われる▲53と金を捨て、成銀をわざわざ働かない位置に移動するのが絶妙とは……。

 中村は△42金打と抵抗するが▲51飛と打って、以下、中村の猛攻を冷静に受け止めて勝ち。

 ▲43と、からの寄せは当時絶賛され、またタイトルホルダー相手に競り合いを制したことからも、

 

 「羽生少年、おそるべし」

 

 という評価は、ここに確固たるものとなったのであった。

 

 (羽生の大ポカ編に続く)

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 


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