藤井聡太七段のタイトル戦登場が、現実のものになってきた。
先日の王将リーグで、前期の王将であった久保利明九段に勝って1敗をキープ。
最終戦の広瀬章人竜王との決戦に勝てば、七番勝負開幕時に「17歳5か月」という史上最年少のタイトル挑戦者。
さらには
「史上最年少タイトルホルダー」
の記録を更新する可能性も見えてくるとなっては、これはもう「第2次藤井フィーバー」が起ることも十分考えられるわけで、将棋ファンとしては目が離せないところなのである。
となると、当然話題に上がるのは、現在の記録保持者がだれかということで、前回は今はなき天王戦の、森下卓九段と阿部隆八段の激戦を紹介したが(→こちら)、今回もなつかしい一局におつきあいください。
「歩のない将棋は負け将棋」
というのは「だよなあ」と、しみじみ実感できる格言である。
将棋にくわしくない人からすると、歩なんて弱い駒など、あってもなくてもそんなには変わらないのでは?
そう感じるかもしれないが、将棋ファンからするとネットなどで実際にプレーする「指す将」はもとより、観戦専門の「観る将」でも、推しの棋士を応援していて、
「ここで歩があれば……」
という局面に山ほど遭遇しているため、「一歩千金」という言葉の重みを、これでもかと思い知らされているのだ。
ときにはそんな場面が、歴史を変えるような大舞台にあらわれることもあり、それが1990年、第56期棋聖戦の第5局。
中原誠棋聖と屋敷伸之五段の一戦だ。
これは屋敷伸之九段が「タイトル獲得の史上最年少記録」を更新した(その前は羽生善治九段による「19歳2か月」での竜王獲得)記念すべき一局。
この記録自体は今でも破られてないという、すばらしいものだが、実のところ達成までに、かなりきわどい場面がいくつかあった。
まず大きな関門だったのが、挑戦者決定戦での塚田泰明八段との一戦。
2期連続挑戦(前期も挑戦者になっているのが、なにげにスゴイ)をねらった屋敷は、塚田の鋭い攻めに土俵際まで追いつめられるも、そこで将棋史上に残るかというほどの大トン死に恵まれてのウルトラ逆転勝ち。
塚田の信じられないポカがなければ、まずここで話は終わってたわけで(くわしくは→こちらから)、その意味では人の運命なんて、必然に見えて実のところ、こういう危うい綱渡りの先にあるものなのだろう。
そうして、むかえた五番勝負。
前期はフルセットまで苦しめられた中原棋聖だが、今回は王者の力を発揮して開幕2連勝を飾る。
あっという間にカド番に追いこまれた屋敷だが、ここから盛り返して2連勝。
タイスコアに押し返し、勝負は2年連続の最終局へ。
先手の屋敷が相掛かりを選択すると、中原は中盤で馬を作って、ゆさぶりをかける。
むかえたこの場面。
先手の屋敷が▲12角と、銀と桂の両取りをかけたところ。
一見、調子が良さそうだが、ここでは後手が優勢という評判で、△16角と打つのがうまい切り返し。
△34の銀にヒモをつけつつ、▲38の金取りになっている攻防の一手。
金が逃げれば、△22金と寄って角が死ぬという算段だ。
以下、▲21角成、△同金、▲17香で、どうなるかといったところ。
いかにも空中戦らしい華麗な応酬で、やはり後手がやれそうにも見えたが、中原はなぜか、この手を指さなかった。
それは、もっと良さげな手が見えたからだが、ここから歴史は急転直下で「史上最年少の屋敷棋聖」に転がりはじめる。
△22金、▲34角成、△65銀が、中原のねらっていた必殺手。
あえて△34の銀を取らせるカッコイイ手順で、見事な飛車と馬の両取りがかかっている。
中原がこれで勝ち、と見たのも理解はできる。
▲65同歩は△34飛で、駒得の後手がハッキリ優勢なのだから。
ところが、ここに罠があった。
中原は次の手を見落としていたのだ。
相手のねらいを逆用する、あざやかな一撃とは……。
▲43馬と飛びこむのが、一手で将棋を決める痛烈なアッパーカット。
どうせ取られるなら、歩とでも刺し違えて……。
といった素人の考えるような手ではない。これですでに、後手は倒れているのだ。
手順を追えば、それがわかる。
後手は△43同玉しかないが、そうやってから▲65歩と取ると、次に▲46飛と回ってくる筋に受けがない。
それはとにかく、後手が歩切れなのが大きい。
もし一歩でもあれば、▲46飛には△44歩と打ってなんでもない。
ところが、そのたった一枚の歩がないため、先手の攻めを止めることができないのだ。
本譜は△33金、▲46飛に△44桂という悲しい受けしかない。
そこで▲35銀と出た局面を見ていただきたい。
ここで△44の合駒が歩ならば、先手から攻めの継続がむずかしく「中原防衛」濃厚。
だが、それが桂馬なばっかりに、逆に先手必勝になっているのだ!
ここからは危なげなく屋敷が押しつぶし、見事に棋聖位を奪取。
「史上最年少タイトルホルダー」の座も同時に獲得した。
この大記録はここで△44に打つ一歩、これがなかったばっかりに生まれたものなのだ。
18歳と6か月での栄冠。
「一歩千金」という言葉が、これほど当てはまるシチュエーションというのも、なかなかないのではあるまいか。
(羽生竜王と佐藤康光「五段」の激戦編に続く→こちら)