前回の渡辺明との竜王戦に続いて、今回も佐藤康光の剛腕特集。
「助からないと思っても助かっている」
というのは、大山康晴十五世名人が、好んで扇子などに揮毫した言葉である。
「受けの達人」と呼ばれた大山名人らしいが、これが攻め方からすれば、
「寄ったと思っても、まだまだねばられている」
ということになり、こういうときは勝てるという期待があるぶん、よけいに「届いてないか……」とガックリくるものだ。
2002年の第50期王座戦。
羽生善治王座(竜王・棋王)への挑戦権は、佐藤康光棋聖と藤井猛九段との間で争われた。
先手になった藤井が「藤井システム」を登板させると、佐藤もそれを正面から迎え撃つ。
端から戦いがはじまり、「ガジガジ流」の特攻を居飛車側もギリギリの眉間で受けるという、きわどい戦いに。
むかえたこの局面。
先手が、▲14香と打ったところ。
後手の金銀4枚が手つかずなのに、早くも詰めろがかかっている。
この手を見て
「あれ? これって受けあるの?」
と思った方も多いのではないか。
そう、後手玉は逃げる場所がないというか、▲12と、や▲23と、というシンプルな詰み筋が受けにくい。
こうなると、後手陣の金銀が逃走経路や、飛車の横利きをさえぎる無用の長物。
これが「システム」の破壊力でアマ級位者クラスの将棋なら、あと数手で投了となっても、おかしくないのではあるまいか。
どっこい、強い人の将棋は、そんな簡単には終わらないのである。
△22金と寄って、まだ先手の攻めは決まっていない。
これが唯一無二のしのぎで、こうなると飛車やカナ駒の援軍がない先手側が、むしろ頼りなく見えてくるから不思議なものだ。
以下、▲23と、△12歩、▲13歩、△同歩、▲同香成、△同金、▲同と、△12歩。
ギリギリすぎるという受けで、とても生きた心地はしないが、攻め手からすると、あと一伸びがないようにも見える。
足が止まったらおしまいの藤井は、▲23桂と「ハンマー猛」の打撃力を駆使するが、△21玉、▲31桂成、△同玉、▲23と、△15角。
この角出が、なかなかの手で、飛車の横利きを開通させながら、△37角成をねらう好感触。
一方の先手側は、切っ先をかわされているというか、
「4枚の攻めは切れないが、3枚の攻めは切れる」
との格言を地で行く形に見え、この後、後手玉を左辺に逃がすと、まったく手段がなくなってしまう。
なら先手が負けかといえば手はあるもので、ここで振り飛車の手筋がある。
▲64歩と突き捨てるのが、きわどく攻めを継続する軽手。
相居飛車なら▲24歩や▲35歩や▲15歩などを、いいタイミングで突くのが相手を迷わせるように、振り飛車もどこで、この歩を発動させるかが腕の見せ所。
△同銀は▲44歩が激痛だから△同歩と取るしかないが、▲62歩がまた手筋の軽妙手。
これも△同飛しかないが、▲63銀とたたきこんで、左右挟撃の形ができた。
取れば頭金で詰みだから、△82飛だが、▲62歩とガッチリ錠をおろして、左辺を封鎖する。
さあ、ここである。
先手はそのまま、教科書に載せたくなるような筋の良い攻めで、なんとか切れ筋をしのぐことができた。
いやそれどころか、と金と銀で、左右を押さえられた後手玉に逃げ場がなくなっている。
次に、▲32金の頭金を防ぐのが困難なうえに、△37角成と飛びこんでも先手玉に詰みはない。
では、後手玉に、しのぎはあるのか。
私など自分で指すと「受け将棋」(というか策なく駒組しているうちに先行されるだけなんだけどね)なので、初めて並べたときは、
「こんなん△41角でピッタリでしょ!」
なんて「オレつえー」な気分に一瞬なったものだが、これには▲52銀不成と飛びこんでくる手があって、△同角は頭金で詰み。
銀不成に△23角とと金を払うのは。▲43銀成と金を取られる。
ならばと▲52銀不成に△42玉とムリクリ頭金を受けても▲41銀成と角を取られて、まだまだ攻めが続くのだ。
いやホントに、受けは大変というか、
「助からないと思っても助かっている……と思いきや、なんなりと手はあるもので、結局はゴチャゴチャ喰いつかれているうちに寄せられてしまう」
いざ実戦となるとこれが現実で、こんなもん、もうやってられるかという話だ。
では後手が負けなのかといえば、実はこれまたそうではないから、話はややこしい。
絶体絶命にしか見えないが、信じられないことに、ここでは後手が受け切りなのだ。
△41玉と寄るのが、ふたたび唯一無二の好手。
以下、▲32金には△51玉。
▲52金には△31玉とかわして、それ以上の攻めがない。
なんだか、サーカスの玉乗りみたいな身のこなしだが、これで文字通り紙一重で受かっているという佐藤棋聖の読みが、すばらしい。
以下、▲61歩成に△21香と打って、とうとう先手の攻めは切れ筋に。
本当に、あと一押しに見えるだけに、藤井にとっては無念だったろう。
▲32金、△同飛、▲51と、△31玉、▲32金、△同玉以下、後手勝ちで王座への挑戦権を獲得。
タイトロープ上で、つま先立ちをするような、本当にギリのギリで特攻をいなし、これぞまさに大山流の
「助からないと思っても助かっている」
見事なものだが、いくら読み筋だとはいえ毎回こんな将棋ばかりだと、なんだか寿命が縮まりそうだなあ。
(2002年、王座戦5番勝負の第1局の模様はこちら)
(羽生善治を粉砕した佐藤の踏みこみはこちら)
(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)