「将棋が強い人は、歩の使い方がうまい人」
というのは、よくいわれることである。
オールドファンなら、歩の使い方が巧みで、「小太刀の名手」と呼ばれた丸田祐三九段を思い出すかもしれないが、今でも、それこそ羽生善治九段など、本当に歩で手を作るのが巧みだ。
こないだ放送されたNHK杯準々決勝。
羽生善治九段と出口若武五段の一戦。
最終盤で放たれた▲23歩が、まさに「一歩千金」のさわやかな好打で、 ▲42銀からの詰めろに受けがない。
本譜も△23同金に、▲42桂成まで出口が投了。
加藤治郎名誉九段による、将棋入門書のバイブルだった本が『将棋は歩から』というのだから、どれだけこの駒が上達に直結するのかわかる。
前回は羽生善治九段が、その達人の受けで藤井猛九段がもくろんだ歴史を「消滅」させた将棋を紹介したが(→こちら)、今回はきれいな歩の決め手を。
1995年の王位リーグ。
米長邦雄前名人(当時は名人を失冠して無冠になると、「前名人」と呼ばれたのだ。変だよねえ)と森内俊之七段の一戦。
相掛かりからタテ歩取りという古風な戦型になり、米長らしい激しい踏みこみから激戦に。
むかえたのが、この場面。
先手玉に寄せがありそうだが、後手もかなり迫られていて、うまく決めないとアヤシイ筋も出てくる。
解説によると、たとえば△78桂成、▲同玉、△69金が一番ふつうだが、これには▲42成銀と取る。
△同玉に▲64馬と活用して、△33玉に▲36香と、王手でせまられ嫌な感じ。
また▲42成銀に△同銀は▲55飛と打つ筋で、竜を消してがんばる。
強い人の終盤は、このように一筋縄ではいかないことが多く、私が将棋観戦で一番燃えるのは、こういう「泥沼流」なもがきだ。
しぶとい抵抗を前に、なにかセンスのいい手が必要なところだが、さすがは森内、ここでいい手を用意していた。
「次の一手」みたいな気持ちのいい手なので、よければ考えてみてください。
△77歩と焦点に打つのが手筋で、これで寄り形。
▲同角は△78竜で詰み。
▲同金は△68竜で角がタダ。
▲同銀は△69竜ともぐって、▲79金に△同竜で簡単に詰み。
あざやかな決め手で、指されてみればなるほどだが、実戦でこれをしっかり発見できる森内はやはり強い。
本譜も、ここで米長投了。
と、ここで終われば、これは森内の会心譜ということになるが、実はこの話には、まだ続きがあった。
△77歩の局面で投了したのが、森内には意外だったというのだ。
といっても、先手玉は寄ってるし、投げるしかないのではと問うならば、森内によると、△77歩を▲同金と取る筋があるらしい。
△68竜と、ありがたく角をいただけそうだが、そこで▲86金と桂を取るのが力強い受け。
これで、寄せが見えないと森内は言うのだ。
なるほど。たしかにこうなれば、一撃では決まっていない気もする。
とはいえ、そうなったらなったで森内なら、またいい手を見つけるのだろうが(これが強い人の信頼感)、終わったと思ったところからでも、まだ手はあるものだと感心させられた。
当時、米長は参議院選挙に出馬するかどうか、という話があり、忙しくしていた時期だった。
それもあって、
「緩めてくれたのでしょう」
森内は謙遜したが、もしかしたら、△77歩があまりにさわやかな決め手だったから、それに敬意を表して、きれいな形で投了したのかもしれない。
(阪田三吉と関根金次郎の戦いに続く→こちら)