「手はあるもんやなあ」
というのは、強い人の将棋を見ていると、よく思うことである。
中盤の難所で手詰まりになったり、終盤戦で追い詰められて
「投了しかない」
といったところから、火事場の馬鹿力的な何かでもって、手をつないでいく。
巧みな序盤戦術や、寄せ合いで見せる、あざやかな詰みも楽しいが、次の手が見えないところから、「ひねり出す」手にもまた、将棋の醍醐味がある。
前回は米長邦雄と大山康晴の「大雪の決戦」を紹介したが(→こちら)今回は無から有を生み出す、ひらめきについて。
1989年の棋聖戦。谷川浩司名人と、羽生善治五段の一戦。
相矢倉から、後手の谷川が玉頭から強襲をかけると、羽生も攻めこまれながらも、手に乗って上部脱出を目指していく。
むかえたこの局面。
先手のと金が大きく、また後手からは上部を押さえる駒がないため、これ以上に追っていく手が、ないように思える。
私が後手なら、次に指す手がまったく思い浮かばず、秒に追われて投げてしまうかもしれないところだが、強い人はここから、もう一山あるのだ。
△84角と打つのが、なるほどという手。
王様が逃げると、△51角と飛車を取られてしまうから、▲同玉しかないが、△63竜とカナメのと金をはずされ、先手玉はにわかに危ない。
▲91飛成と香を取るが、△83竜からどんどん押し戻されて、これで入玉での安全勝ちは望めなくなった。
ただ、かなりせまってはいるものの、駒が少ないのが後手の悩みどころ。
その通り、すかさずスピード勝負に切り替えた羽生は、豊富な持ち駒を生かして、ここに豪打を放つ。
▲43角が、カッコイイ一打。
放っておくと、▲32角成からの一手スキ。
△同金も▲31角、△12玉、▲13香、△同桂、▲21銀から詰む。
後手は戦力不足で、先手の玉も右辺が広く、△64香のような手も、ほとんど効果が期待できない。
今度こそ投了かなーとか思いきや、またもや谷川はここで、鬼手をくり出すのだ。
△55金が、「手はあるもんやなー」の第二弾。
王様を下に逃げるのは、今度こそ、危険きわまりない。
▲同玉と取るが、△44金で王手角取り。
▲64玉に△43金引で、見事、自玉に巻きつけられたダイナマイトを解除してしまった。
この手があるなら、▲43角では▲43銀の方が良かったという声もあったが、ここは谷川の手の見え方をほめるべきか。
ただ、羽生もここであわてず、▲61角と打ったのが、これまた感触のよさそうな手。
△83竜を消しながら、▲43角成と金を取る手をねらった攻防手で、猛追されても、あわてないところが、流石である。
今度こそ先手が勝ち切ったように見えたが、後手も△71香と打って楽にさせない(▲同竜は△53角の王手飛車)。
その後も、中段でゴチャゴチャやりあっていたが、先手が少し残していたようで、最後は▲87香と打つのが、ようやっとのトドメで勝ち。
△同竜は先手玉への脅威がなくなり、そこからゆっくり攻めていけば勝ち。
先手はなにかされても、▲73玉からスルスル入ってしまえばいい。
こういうのを見ると、上位者相手の駒落ちで、勝勢を築きながら、そこからなかなか勝ち切れない理由がよくわかる。
こうやって、ゴチャゴチャとイヤな手を駆使され、そのうちに間違ってしまうのだ。
時間もないのに、よう思い浮かぶもんであるなあ。
私にとって「将棋の強い人」は、この谷川のように、
「なんのかの、ひねり出してくる」
という人のことなのであり、それが熱戦の醍醐味とも言えるのだ。
(「受ける青春」中村修の妙技編に続く→こちら)