「どうして、羽生さんはあんなに強いんですか?」。
というのは、将棋ファンなら一度はされたことのある質問であろう。
1985年以降、将棋界は常に羽生善治という存在を中心に回ってきたといっても過言ではなく、世間的に見ればもはや「将棋」という存在そのものが、イコール羽生さんといってもよいほど。
そんな間違いなく、史上最強の棋士ともいえる羽生善治だが、ではなぜにてそれだけ強いのかと問われると、これが存外に答えるのがむずかしい。
羽生将棋のすごさというのは、簡単に語れるものではなく、それは世にあまた出ている「羽生本」でも、はっきりとした模範解答が出てこないことでもよくわかる。
ましてやそれを、将棋にくわしくない人に伝えるとなると相当な難事だが、ここにひとつ「うーむ」とうならされる説を発見したことがあるので、ここに書き記しておきたい。
提唱したのは、同じプロ棋士である森下卓九段。
今なら電王戦での対ツツカナ戦で知られるが、私の世代だと羽生さんと、大舞台で何度もしのぎを削ったライバルのイメージが強い。
相手が相手なので、そこでは痛い目に合うことも多かったが、それでも
「純粋に、棋力だけならナンバーワン」
「森下がタイトル無冠なのは、棋界の七不思議のひとつ」
といわれるほどの人なのである。
そんな、ある意味「羽生を最も知る男」がはじき出した強さの秘密というのが、森下九段の親しい友人である先崎学九段のエッセイで紹介されていた。
まだ若手棋士のころ、二人は親しい友人たちと、いっしょにキャンプに出かけたそうな。
河原でバーベキューを楽しみながら談笑していると、森下九段は突然、手のひらくらいの大きさの石を拾い上げる。
そこで言うことには、
「先崎さん、今からこれを空手チョップでまっぷたつにします」
はあ? なぜいきなり空手チョップ? 困惑する先崎九段にかまわず、森下九段はひとつ深呼吸をすると、
「見ていてください、まっぷたつですよ。エイ!」
裂帛の気合いもろとも、振り下ろされる手刀。
……だが、石はびくともしなかった。痛い、痛いと手を押さえる森下先生。
「ほらほら、こんなでかい石割れるわけないがな」
すかさず先崎九段がつっこむが、森下九段は、
「いや、できます。エイ! エイ!」
顔を真っ赤にして、何度も何度も手刀を叩きこむ。
最初は笑っていた先崎九段だが、おいおい、このままだと骨が折れるんじゃないかと、さすがに心配になってきた。
大丈夫なんかいなと見守っていると、数十回目のアタックで、ようやっと石は見事、真ん中から二つに割れたのであった。
「どうですか、先崎さん」
ひたいの汗をぬぐい、会心の笑顔を見せる森下先生。
「すごいなあ。ようこんな固い石、割れたもんだ」
なかば感心、なかばあきれながら先崎九段が返すと、森下先生はさわやかな笑顔で、
「気合いです」
その右手は、風船のごとく腫れあがっていたそうである。
まあこれで気がすんだかな、そう思った先崎九段だが、なんのなんの。森下先生のショーにはまだ続きがあったのである。
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