子どもの頃は父の仕事の関係で、
2~3年ごとに転勤という生活を送っていたのですが
母は新しい地でも、近所の人たちと直ぐに仲良くなり、
ご近所の人を家に招いて、よく自分の作った料理を
ご馳走していたものです。
お茶飲みをしながら、やはり一番の話題は料理。
「あらあ、このお煮付けうまいごど。どうやって作ったのしゃ?」
「だしを入れるタイミングはいつがいいんだべ?」とか・・・
いろいろな食の話題で盛り上がっていたのを
子どもながらに覚えております。
話し好きで料理好きだった母は、お茶のみと言う社交場で
近所の人と情報交換を上手にやっていたお陰で
地元の郷土料理やお漬け物を、地元の人も驚くほど上手に
作っておりました。
お酒が大好きだった父にとって、東北の地を巡る転勤生活は、
それはそれで楽しいものだったのかもしれません。
圧巻なのは、秋田に転勤したときの物置の中
小さな物置の中には、母手作りの漬け物樽が所狭しと
置かれており、食事時ともなると、でるはでるは!
漬け物の載ったお皿が食卓を埋め尽くすほどにも出てきたものです。
今でも懐かしく覚えているのは、「はたはた漬け」
「はたはた漬け」は、秋の産卵時期に獲ったはたはたを
人参や白菜、お米、麹などと一緒に漬ける
秋田を代表とするお漬け物ですが
雪で閉ざされる秋田の地においては
冬期間のタンパク質と野菜を補うという大切な保存食でもあります。
当時、秋田のあまりの寒さに泣きそうになりながら家に帰ると
白い割烹着を着た母は、「お帰り~」の声と共に
勝手戸をあけてすぐに裏の物置に向かい
氷の張る冷たい漬け物桶の中にあかぎれの手を突っ込んで
ぶりぶりのはたはた漬けを家の中にもってきたものです。
持ってきたはたはた漬けをそのままたべるのではなく
丸いストーブの網の上に置き、はたはた漬けを焼いてくれるわけです。
ストーブに当たりながら、焼き目が付くのを待ち
やっと焼け目がついたはたはたをフ~フ~いいながら食べると
中からとろ~りとしたぶりっこ(はたはたの卵)が口の中に広がり
これが又極上の美味しさ。
ぶりぶりと口の中にぶりっこがはじけるのも楽しくて
はたはた漬けをストーブの上で焼いたおやつほど
最高のおやつはなかった気がします。
そして、宮城もここ2.3日やっと外気温が下がり
やっと『白菜漬け』の季節がやってきました。
ここ宮城はしばれるほどの寒さにならないため
どうしても白菜は酸っぱくなりがち。
それで母は毎年
朝起きるのがたいへんになった頃に、
やっと白菜を漬けはじめたものです。
今でも懐かしく思い出すのは、
初冬の日差しの中で白菜を干していた母の姿。
当時はまだ私も若かったので、ただそばで
漬け物を漬ける母の姿をぼ~と見ているだけでしたが
その日は珍しく「ちょっと手伝おうか」と思って
包丁で白菜をばっさりと切ったら・・・
「ありゃ~白菜の切り方もわかんないだっちゃね。
白菜は根元に切り込み入れて
両手で裂いていくと、綺麗に割れるんだよ」
と笑いながら教えてくれた母に
「でも、白菜漬けはお母さんがおいしいの作ってくれるから、
私覚える気もないよ」
と笑って答えたのを覚えております。
そんなわたしに「おしえるどきしかおしえらんないから
すこしでもおぼえたらいいっちゃね」といいながら
白菜を切り始め・・・
そんな母と一緒に仲良く白菜を切ったのが・・・
母との最後の思い出となってしまいました。
それから1年後・・・・
庭で白菜を干している母の姿を見ることは
とうとうありませんでした。
あの日から
あっという間に25年の歳月が流れ
今年も訪れる白菜漬けの季節。
初冬の日差しの中
母の言葉を思い出しながら
白菜に切り込みを入れている
55歳の私がおります。
最新の画像[もっと見る]
いしころとまとさん!!もう私を泣かせないで~!!
涙が止まらなくなってしまったよ~・・・・
優しいお母様の話しぶりが又温かくて~私は東北に住んでた事ないから~東北弁のあの言い回しって寒さの中で特に心にしみる温かさが有りますね~
感動しながら、白い割烹着姿のお母様を思い浮かべてました~
一緒に少しの間だけでも白菜の切り方を教わって良かったですね~♪
お料理好きで、頭良くて~皆引き継ぎましたね~いしころとまとさんが~
心温まって、でも涙が頬を伝わりながら、今日は泣いてしまいました~
母親って最高ですよね~
東北弁、私は色々と混ざっていて
何処の県の言葉か自分でもわからなくなってますのよ。
今の時期になると、どうしても割烹着をして、漬け物をつけていた母の姿が思い出されます。
くるくるいつも忙しそうに働いてましたね。
私の頭の中にいる母はまだ若い母で・・・
いつまでも若い母です。
一緒に白菜を切った思い出が
今では一番大切な思い出になってしまいました。
母の姿をみて、
わたしも漬け物漬けるようになったのかな~~
あらんりきちろさんは、とっても繊細な方と
思っておりましたが、、、
泣いてくれてありがとうね。
わたしも寒くなってくると
母にあいたくなって時々泣きたくなることありますよ。
あらんりきちろさんは長生きしなくちゃね。
家族みんなにお誕生日祝ってもらって
みんながあらんりきちろさんを大好き。
ご家族の中心になっている人は
どんどん長生きしなくちゃね。
老いた母をいたわる歌ですよね。
私は母がお茶のみをしていたように、人付き合いをする方とはおもってもいなかったのです。
でも、結局はお料理教室と称して、みなさんと楽しく過ごすことが生き甲斐の一つになってきてます。
もうすこしで母の亡くなった年になるんですよ。
月日の経つのは速いですが・・・
きっと母も今の私の姿を見ながらにこにこしている気が
しておりますよ。
いしころとまとさんのお嬢さんにも一杯母の愛を注いであげてくださいませ。
でも、お母様、いしころさんを誇りに思っていらっしゃると思います。
焼いたはたはた漬け、とーーっても美味しそうですね!
いしころさんの白菜漬けも心がこもっていて美味しいに違いありません。
私の母は家事が嫌い、料理も下手でしたので
自分でお弁当作って高校は行きました
ぬかずけはつけすぎですっぱいのを食べたのを思いだします。
今年も白菜がうまくまいて2個収穫しました。
あと6個ぐらいあるかな
少しずつ浅ずけにして食べようかと思ってます。
やっぱり家庭菜園はいいね。
スーパーでも白菜安く売ってけど自分で作ったのは大事にするしね。
娘は最近やっと料理に目覚めたようです。
昭和の風雲児勘九郎さんは、死ぬなんて考えられない
ひとでしたのにね。。。昨日朝から主人と
なんだか寂しい思いをしておりました。
漬けものは寒いと美味しくできるんですよ。
こちらでは白菜漬けても2週間ほどで酸っぱくなっちゃいます。
氷が張った桶からとりだした白菜は・・・ほんと!おいしいんですよ。
末っ子でしたから、母からはいっぱいの愛情をいただいた
気がしますよ。
自分でお弁当つくっていったとは!
パールさんお偉いです!私は高校生のときには
ラーメンと目玉焼きしか作ることできなかったですよ。
白菜、私も収穫しなくちゃ!
収穫しなくちゃと思っていると
頂き物の白菜が、届くんですよ~