かつて、大坂が天下の台所として呼ばれた江戸期。その繁栄の礎を築いた豪商・淀屋が土佐堀川に架けたのが起源だそうです。
元来、淀屋は淀川の治水工事を担い、様々な取引市場を設けたうちのひとつが土佐堀川に面した蔵屋敷が百棟を超えたという米取引市場。井原西鶴の「日本永代蔵」にも記されるほどの活況を呈していたそうです。
とはいえ、今はかつての面影は微塵も無いものの、御堂筋に架かる鉄筋コンクリート橋として架け替わっていますが、いまもなお、大阪の中心として活況を呈していることには変わりなく、歴史を改めて紐解いて歩いてみると興味深いものです。
初稿 2013/11/18
校正 2021/02/18
写真 市庁舎と淀屋橋
撮影 2013/08/04(大阪・土佐堀川)
元来、淀屋は淀川の治水工事を担い、様々な取引市場を設けたうちのひとつが土佐堀川に面した蔵屋敷が百棟を超えたという米取引市場。井原西鶴の「日本永代蔵」にも記されるほどの活況を呈していたそうです。
とはいえ、今はかつての面影は微塵も無いものの、御堂筋に架かる鉄筋コンクリート橋として架け替わっていますが、いまもなお、大阪の中心として活況を呈していることには変わりなく、歴史を改めて紐解いて歩いてみると興味深いものです。
初稿 2013/11/18
校正 2021/02/18
写真 市庁舎と淀屋橋
撮影 2013/08/04(大阪・土佐堀川)