母は昭和十一年に南満州鉄道に勤めていた祖父の末娘として満州で生まれ、終戦間際のソ連侵攻時には、敢えて男の子の恰好をした姉と自宅の屋根裏で息を潜めて怯えながら、祖父の弟を頼って佐賀に引き揚げてきたそうです。
母は小児喘息を患っていた幼い私を背負って中小路の病院に連れて行く時は、松原川のほとり馬責馬場の実家に寄った後に、よく連れて行ってくれたのが呉服元町・中央マーケットの「ぎょうざ屋」さんでした。
もともと、中央マーケットは満州から引き揚げてきた人々が力をあわせて築いた商店街だそうで、「ぎょうざ屋」さんの味もどことなく満州の風土を受け継いでいたからこそ、母や私にとっての原風景のひとつなのかもしれません。
「母の日のプレゼントなんてもうよかよ」
と電話で話す母も足を患ってからは、佐賀の街に出かけることも久しくなっていました。
そんななか「呉服元町商店街」という写真集に偶然めぐりあったおかげで、年老いた母もひょっとしたら若く幼い頃を思いで深くたどれたような気がします。
初稿 2020/05/17
校正 2022/01/02
写真 中央マーケットのぎょうざ屋さん
校正 2024/01/28
撮影 2023/05/06(佐賀・呉服元町)
母は小児喘息を患っていた幼い私を背負って中小路の病院に連れて行く時は、松原川のほとり馬責馬場の実家に寄った後に、よく連れて行ってくれたのが呉服元町・中央マーケットの「ぎょうざ屋」さんでした。
もともと、中央マーケットは満州から引き揚げてきた人々が力をあわせて築いた商店街だそうで、「ぎょうざ屋」さんの味もどことなく満州の風土を受け継いでいたからこそ、母や私にとっての原風景のひとつなのかもしれません。
「母の日のプレゼントなんてもうよかよ」
と電話で話す母も足を患ってからは、佐賀の街に出かけることも久しくなっていました。
そんななか「呉服元町商店街」という写真集に偶然めぐりあったおかげで、年老いた母もひょっとしたら若く幼い頃を思いで深くたどれたような気がします。
初稿 2020/05/17
校正 2022/01/02
写真 中央マーケットのぎょうざ屋さん
校正 2024/01/28
撮影 2023/05/06(佐賀・呉服元町)