江戸幕府による切支丹迫害、浦上四番崩れを描いた「女の一生」(第一部 キクの場合)の外伝。「沈黙」に先立ち、沈黙する神の真意を問いかける原石のような短編です。
身体は大きいが肝っ玉が小さく、皆から弱虫と罵られ棄教した喜助。彼が見棄てた信者達が囚われた長州・津和野にたどり着いた訳は、彼が心のなかで聞いた声でした。
「わたしを裏切ってもよかよ。だが、みなのあとを追って行くだけは行きんさい」(p.28)
西欧の東洋侵略を阻むことができなかった「西欧教会の過失とイエスの教えとが何の関係もないことを、身をもって同胞に証明せねばならぬ」(§116「銃と十字架」p.158)というペトロ岐部のような強い信念と自我は、喜助にはなかったと思います。
でも、彼なりに自らの身の丈を再認識して、殉教も辞さぬ信者達への共感と尊重が芽生えたからこそ、ありのままの自分としての自己に巡り逢うことができたのかもしれません。
そんな彼の言葉を耳にした信者の一人が彼に囁いた言葉。
「苦しければころんで、ええんじゃぞ。お前がここに戻ってきただけでゼズスさまは悦んどられる」(p.28)
ひょっとしたら、彼もまた最後の殉教者だったような気がします。
初稿 2021/5/22
写真 光の十字架〜「海の教会」安藤忠雄, 1999.
撮影 2020/6/28(兵庫・淡路夢舞台)
身体は大きいが肝っ玉が小さく、皆から弱虫と罵られ棄教した喜助。彼が見棄てた信者達が囚われた長州・津和野にたどり着いた訳は、彼が心のなかで聞いた声でした。
「わたしを裏切ってもよかよ。だが、みなのあとを追って行くだけは行きんさい」(p.28)
西欧の東洋侵略を阻むことができなかった「西欧教会の過失とイエスの教えとが何の関係もないことを、身をもって同胞に証明せねばならぬ」(§116「銃と十字架」p.158)というペトロ岐部のような強い信念と自我は、喜助にはなかったと思います。
でも、彼なりに自らの身の丈を再認識して、殉教も辞さぬ信者達への共感と尊重が芽生えたからこそ、ありのままの自分としての自己に巡り逢うことができたのかもしれません。
そんな彼の言葉を耳にした信者の一人が彼に囁いた言葉。
「苦しければころんで、ええんじゃぞ。お前がここに戻ってきただけでゼズスさまは悦んどられる」(p.28)
ひょっとしたら、彼もまた最後の殉教者だったような気がします。
初稿 2021/5/22
写真 光の十字架〜「海の教会」安藤忠雄, 1999.
撮影 2020/6/28(兵庫・淡路夢舞台)