「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(→§129)の著者が生物学の道へ進むきっかけになった本だそうです。私も学生時代に買って読んだのですが、約30年振りに再読してみました。
「時は万物を平等に、非情に駆り立てていくと、私たちは考えている。ところがそうではないらしい。ゾウにはゾウの時間、ネズミにはネズミの時間と、それぞれの体のサイズに応じて、違う時間の単位のあることを生物学は教えてくれる」(p.5)
時間は体重の1/4乗に比例するそうですが、私たちは一様な時間の経過に沿って人は成長し、人類もまた進化し続けるはずと思い込んでいるのかもしれません。
そしていつのまにか、自らの存在を絶対化して意識するようになったからこそ、いまでもなお、差別や偏見、格差や争いは無くならないのかもしれません。
「物理や化学は人間の目を通しての自然の解釈なのだから、人間を相対化することはできない。生物学により、はじめてヒトという生き物を相対化して、ヒトの自然の中での位置を知ることができる」(p.221)
生命は自然環境に依存し、その実存するサイズに応じて支配する物理法則が異なることを理解することと同じように、人は自然環境に依存するだけでなく、育った環境に応じて考え方や慣習も異なることを理解することが大切なことのような気がします。
初稿 2021/10/16
写真 相対化して眺めてみること
撮影 2021/10/02(東京・築地本願寺)
発行 1992/08/25 中公新書 1087
「時は万物を平等に、非情に駆り立てていくと、私たちは考えている。ところがそうではないらしい。ゾウにはゾウの時間、ネズミにはネズミの時間と、それぞれの体のサイズに応じて、違う時間の単位のあることを生物学は教えてくれる」(p.5)
時間は体重の1/4乗に比例するそうですが、私たちは一様な時間の経過に沿って人は成長し、人類もまた進化し続けるはずと思い込んでいるのかもしれません。
そしていつのまにか、自らの存在を絶対化して意識するようになったからこそ、いまでもなお、差別や偏見、格差や争いは無くならないのかもしれません。
「物理や化学は人間の目を通しての自然の解釈なのだから、人間を相対化することはできない。生物学により、はじめてヒトという生き物を相対化して、ヒトの自然の中での位置を知ることができる」(p.221)
生命は自然環境に依存し、その実存するサイズに応じて支配する物理法則が異なることを理解することと同じように、人は自然環境に依存するだけでなく、育った環境に応じて考え方や慣習も異なることを理解することが大切なことのような気がします。
初稿 2021/10/16
写真 相対化して眺めてみること
撮影 2021/10/02(東京・築地本願寺)
発行 1992/08/25 中公新書 1087