「物」とはあらかじめ目的をもった存在であり、「物」は果たすべき役割や原因と結果が決められている以上、「物」を創りだす存在がいるはず。つまり「物」の存在理由は必然性に他ならない。
一方で、「人」とは生まれながらにして目的をもって生まれることはなく、「人」は自らで生きる目的を設けて果たすべき役割と結果を追い求めるもの。つまり、「人」を創りだす存在は、その「人」自らに他ならず。つまり「人」の存在理由は偶然性に他ならない。
ひょっとしたら、何にも支配されず、偶然に存在しているからこそ自由であると考えるのかもしれません。とはいえ、「人」は自由であるがゆえに、生きる目的を自己責任で選択する他なく、その選択した結果に対する不安や怖れが自らをも蝕むものかもしれません。
水面に投じられた小石が引き起こす波紋から木に蔓延る根に至るまで、すべての存在は必然に他ならず。一方で、偶然に訪れる吐き気という身体的な症状は自らの存在そのものをも偶然に存在しているだけではないかということを敢えて、主人公の日記という形を通じて綴ることは実存主義の在り方を実験的に解き明かそうとしているのかもしれません。
初稿 2015/03/11
校正 2020/01/15
写真 木に蔓延る根に至るまで
撮影 2014/02/02(奈良・唐招提寺)
一方で、「人」とは生まれながらにして目的をもって生まれることはなく、「人」は自らで生きる目的を設けて果たすべき役割と結果を追い求めるもの。つまり、「人」を創りだす存在は、その「人」自らに他ならず。つまり「人」の存在理由は偶然性に他ならない。
ひょっとしたら、何にも支配されず、偶然に存在しているからこそ自由であると考えるのかもしれません。とはいえ、「人」は自由であるがゆえに、生きる目的を自己責任で選択する他なく、その選択した結果に対する不安や怖れが自らをも蝕むものかもしれません。
水面に投じられた小石が引き起こす波紋から木に蔓延る根に至るまで、すべての存在は必然に他ならず。一方で、偶然に訪れる吐き気という身体的な症状は自らの存在そのものをも偶然に存在しているだけではないかということを敢えて、主人公の日記という形を通じて綴ることは実存主義の在り方を実験的に解き明かそうとしているのかもしれません。
初稿 2015/03/11
校正 2020/01/15
写真 木に蔓延る根に至るまで
撮影 2014/02/02(奈良・唐招提寺)
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