言葉にはあらかじめ意味が在るからこそ、人が言葉を選んでいると思いがちですが、その人が置かれた環境や状況において、実は言葉がその人に語らせているのかもしれません。
「彼は何かしら奇妙な神秘的なものがあるような気がして、目に見えぬ何ものかの力と符号の存在を感じるのだった」(上巻 p.133)
ところで、膨大な言葉の数々には"それがそうである"という意味もあれば、"それがそうではない"という意味もあり、ひょっとしたら、言葉が人に語らせているからこそ、正しいこととそうではないことが共存しているのかもしれません。
「きみの内部には、こんなけがらわしさやいやらしさが、まるで正反対の数々の神聖な感情と、いったいどうしていっしよに宿っていられるのだ?」(下巻 p.83)
空想であれ、観念であれ、理論であれ、そして天国であれ、地獄であっても、それらはすべて存在するのではなく、言葉によって生成されたものであると考えると、その言葉に従って行動した結果のひとつが「罪と罰」というテーマなのかもしれません。
初稿 2023/12/22
写真「地獄の門」オーギュスト・ロダン, 1930-1933.
撮影 2012/08/24(東京・国立西洋美術館)
「彼は何かしら奇妙な神秘的なものがあるような気がして、目に見えぬ何ものかの力と符号の存在を感じるのだった」(上巻 p.133)
ところで、膨大な言葉の数々には"それがそうである"という意味もあれば、"それがそうではない"という意味もあり、ひょっとしたら、言葉が人に語らせているからこそ、正しいこととそうではないことが共存しているのかもしれません。
「きみの内部には、こんなけがらわしさやいやらしさが、まるで正反対の数々の神聖な感情と、いったいどうしていっしよに宿っていられるのだ?」(下巻 p.83)
空想であれ、観念であれ、理論であれ、そして天国であれ、地獄であっても、それらはすべて存在するのではなく、言葉によって生成されたものであると考えると、その言葉に従って行動した結果のひとつが「罪と罰」というテーマなのかもしれません。
初稿 2023/12/22
写真「地獄の門」オーギュスト・ロダン, 1930-1933.
撮影 2012/08/24(東京・国立西洋美術館)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます