
英文法になぞらえると、「愛と幻想のファシズム」は《仮定法過去》。つまり、「もし、~であるのならば、~はず」
もし、脈々と受け継がれた狩猟民族としての集合的無意識を覚醒させるのであるのならば、日本を覆う閉塞感を打破することができるはず。言わば、現在の事実と逆を示唆し、在るべき姿を問うているのかもしれません。
一方で、「五分後の世界」は《仮定法過去完了》。つまり、「もし、~であったならば、~はず」
もし、日本が太平洋戦争で降伏していなかったのであれば、存亡の危機的状況が比類なき技術革新をもたらし、世界を凌駕するはず。言わば、過去の事実と逆を示唆し、在るべき姿を問うているのかもしれません。
でも、このふたつの作品は、日本の在るべき姿としての世界観を描いているのではなく、個人の在るべき姿としての自我の形成プロセスを示唆しているような気がします。
初稿 2017/12/13
校正 2020/10/30
写真 暗闇を見上げる平和の像
撮影 2014/02/02(大阪・なんば)
もし、脈々と受け継がれた狩猟民族としての集合的無意識を覚醒させるのであるのならば、日本を覆う閉塞感を打破することができるはず。言わば、現在の事実と逆を示唆し、在るべき姿を問うているのかもしれません。
一方で、「五分後の世界」は《仮定法過去完了》。つまり、「もし、~であったならば、~はず」
もし、日本が太平洋戦争で降伏していなかったのであれば、存亡の危機的状況が比類なき技術革新をもたらし、世界を凌駕するはず。言わば、過去の事実と逆を示唆し、在るべき姿を問うているのかもしれません。
でも、このふたつの作品は、日本の在るべき姿としての世界観を描いているのではなく、個人の在るべき姿としての自我の形成プロセスを示唆しているような気がします。
初稿 2017/12/13
校正 2020/10/30
写真 暗闇を見上げる平和の像
撮影 2014/02/02(大阪・なんば)
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