小さな工場を経営していた老人・スミスの死、彼の孫・少女ネリーの死、そして浮かび上がるスミスの娘でありネリーの母でもあるザリツマンの死という〈世界〉の終わり。
一方で、小さな農場を経営していた義理の父・イフメーネフと娘・ナターシャが和解した結果、彼女と共に人生を歩むことになった〈わたし〉ワーニャのもうひとつの〈世界〉の始まり。
ところで、そのふたつの〈世界〉を結びつけたのは、彼女達をかどわかし、その親をも騙して資産を搾取したワルコフスキー公爵の存在に他ならぬものの、その罪と罰を敢えて問わぬのには、著者の意図があるような気がします。
もしかしたら、〈世界〉は〈わたし〉と〈あなた〉と〈それ以外〉の三人称で構成されているのではと思うことがあります。〈わたし〉であれ、〈あなた〉であれ、〈それ以外〉の人々であれ、虐げた人々と虐げられた人々の〈世界〉が存在するのは何故か?を深く考えさせてくれるのかもしれません。
「なぜ期待できる以上なものを期待したのだろう」(p.254)
初稿 2023/09/01
写真 「女 Woman」朝倉響子, 1970. (cf. α32D)
撮影 2023/01/25(東京・平河町)
一方で、小さな農場を経営していた義理の父・イフメーネフと娘・ナターシャが和解した結果、彼女と共に人生を歩むことになった〈わたし〉ワーニャのもうひとつの〈世界〉の始まり。
ところで、そのふたつの〈世界〉を結びつけたのは、彼女達をかどわかし、その親をも騙して資産を搾取したワルコフスキー公爵の存在に他ならぬものの、その罪と罰を敢えて問わぬのには、著者の意図があるような気がします。
もしかしたら、〈世界〉は〈わたし〉と〈あなた〉と〈それ以外〉の三人称で構成されているのではと思うことがあります。〈わたし〉であれ、〈あなた〉であれ、〈それ以外〉の人々であれ、虐げた人々と虐げられた人々の〈世界〉が存在するのは何故か?を深く考えさせてくれるのかもしれません。
「なぜ期待できる以上なものを期待したのだろう」(p.254)
初稿 2023/09/01
写真 「女 Woman」朝倉響子, 1970. (cf. α32D)
撮影 2023/01/25(東京・平河町)
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