努力をしない者にリターンはない。
努力をしたものだけにリターンがある。
努力をしない者には、何もない。
努力をしない者とは誰だ?
・・・おれだ。・・・おれなんだよ。
陶芸を始めてから二年半も経つのに、努力もせずにただ漫然とのんべんだらりと過ごしてきた。だから、何もない。すごく悲しい。
いやしかし、気づいて良かった。気づけて良かった。
これからの僕は、そう、努力の人になるのだ。
あぁ、良かったなぁ、努力の人になれて。
嬉しいなぁ、努力の人になれて。
先日、素焼きの窯入れが終わった。
僕は26個の器を窯に入れてもらった。
電動ろくろで作った作品、間に合った。ちょっとは出来るようになった。
まだちょっとしか出来るようになっていないのだから、精進が必要だ。でも、大丈夫。僕は、努力の人になったからね。
素焼きの窯出しが終わると、次は釉薬掛けが待っている。
ここなんだよ、本題は。釉薬掛け。ここなんだよ、まったく努力をして来なかったところは。
二年半、二ヶ月に一度のペースで焼き物を作って来たわけだけど・・・
その度に、誰よりもたくさん器を窯に入れて来たわけだけど・・・
全部の器に釉薬を掛けて焼いて来たわけだけど・・・
僕は、いまだ、釉薬のことを、何も知らない。
初めの頃、あまりに器が多すぎて、最後の方は適当にジャブジャブっと浸けていたら、梶谷さんというおばあちゃんに怒られた。
「たくさん作ると適当になっちゃうでしょ?だからダメなのよ」
・・・だからダメなのよ。・・・だからダメなのよ。・・・
怒られたので、真面目にやろうと思い立ち、色々な釉薬を試してみることにした。
陶芸クラブには40種類くらいの釉薬があるので、次々と掛けてみた。
元来、記録とかが苦手なのかもしれない。さらに記憶力もかなり甘い方なのである。
焼き上がった器を眺める。
・・・何の釉薬を掛けたのか、全然覚えていない。釉薬のことを知らない上に覚えていない。
「これ、なんの釉薬ですかね?」と、自分の器を持って周りの人に聞いて周る始末。
釉薬の濃いも薄いも分からない。
釉薬を混ぜたバケツを持って、「これ、薄いですか?濃いですか?」と聞いて周り、濃いと言われれば薄め、薄いと言われれば濃くする。
誰もいない時なんぞは、もはや勘に頼るしかない。勘と言っても、裏打ちのない勘なので、それはただただ「適当」ということになる。それはもう適当でしかない。
「いやぁ、釉薬が厚過ぎたなぁ」とか「薄過ぎたなぁ」とか思っても、どのくらいで掛けたのかを覚えているわけではないので、全部勘なので、いや、全部適当なので次回に活かせることなど微塵もないという始末。
それが僕の釉薬掛け。・・・そんなことではいけないのである。
真面目にやるのである。なぜならば、僕は努力の人だから。もはや、僕は努力の人でしかないのだから。
やはりここは、やはりここも、頼るのはYouTuber先生なのである。
そんなわけで、夜な夜なYouTubeで釉薬掛けの動画を観ているのであります。
ふむふむ。へぇ。そうなんだぁ。
へぇ、そうなのかぁ。なるほどねぇ。
修業期間の二年半、ほんとに何も勉強して来なかったんだなぁ・・・僕は。
あのさ、iPhoneのフリックでブログを書いているんだけどね。
僕はと打つと、間違えて「ボケは」と入力してしまうことが多々あってね。
その度に、「ボケじゃない!」とつぶやきながら「ボケは」を消して「僕は」に打ち直しているんだよ。
ちなみに三番目の変換候補は「馬鹿は」なんだよ。
ひどくない?
頑張るってば!
おわり。