ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

年賀状書いてない(汗)

2006-12-31 11:28:25 | Weblog
少し大掃除・・・小掃除をした。台所も掃除機をかけた。大変なことになっていた。部屋を片づけていたら、何処かへ飛び立ってしまったと想っていた「カナリアの羽根」の指輪を見つけた。ゴミの日はもう終わってしまっているので、ゴミ捨ては来年に持ち越し。
年を越すって・・・なんだか少し神聖な気分だ。いつもは気がつくと新年?ってな感じだが、今年は違う。少し心の準備が出来た。
2006年は・・・色んなことがあって・・・いや、記憶力が落ちて?あんまり想い出せない(笑)。「暖簾に腕押し」から始まって、やはり戦いの日々。逃亡も考えたが、「開き直り」もありかな?と立ち向かう。一喜一憂を繰り返し、一期一会の気分で人と接する。天命は知れなかったが、人事は尽くしたような気もするようなしないような。。。まだまだ未熟な自分を感じて、反省しきり。新しい自分がまだ何処かに眠ってるのではなかろうか?旅の準備をしなければ・・・。たくさんの人と出会った。大宮で、池袋で、エジプトで、トルコで。まだまだ足りないな。つまらない事に腹を立てたり、大らかな自分に感心したり。悩みは尽きず、楽天的要素は消えず。天使と悪魔が常に戦争を繰り返してる・・・今年は50勝50敗の五分といったところか。偶然という名の必然を意識することを出来たことは良し。あまり本を読む時間が取れなかったのは悪し。もう少し時間を有効に使う方法があったな・・・。まぁ過ぎたことはいいや(笑)。

一年の終わりというのは、少し神聖な気分がするな。少し眠って、起きて、今年も大宮へカウントダウン・ストリートライブへ出掛けて・・・もうすぐ新しい年がやってくる。

ありがと2

2006-12-31 09:00:24 | Weblog
アニーは本当にたくさんの人に支えてもらいながら歩いてきました。ライブハウスからもらうバックステージパスの数が多すぎて、毎回嫌な顔をされたりして・・・。

まずは言わずとしれたMK・・・アニー創生期からアニーを見届けてくれた生き証人。MKのアドバイスでアニーの方向性が決まったり、セットリストが入れ替わったり・・・そんなことも多々ありました。アニーライブ前の変で不評なノリノリ前説や、時にはソロライブ・・・あれを見ればMKの人柄が分かりますね?

そして、アニーのために尽力してくれたシュウを忘れてはいけません。アニーライブの前や途中でいつも変な芸を披露してくれました。ライブハウス前でチケットの手売りをしてくれたり、お客さんとのコミュニケーションを絶えずはかってくれたり、声を嗄らしてCDを売ってくれたり・・・いつもアニーの事を考えていてくれました。シュウがいるとみほが安心して歌える・・・そんな存在でした。

よく分からない存在no.1は太っちょのオダ。しっしー曰く、あぁ言うタイプの人間は今まで見たことがない・・・だそうです(笑)。たまに姿を見せてはでかい態度で威張り散らし、威張ってるわりにはみんなから叩かれ罵られからかわれ、一服のまずい清涼剤的な存在。数年前のアニーワンマンではつまらないコントもやってくれました。照れ屋で憎めない太っちょです。

そして三人のカメラマン、しげちゃん、かわっち、おさむっち。それぞれがそれぞれらしい切り取り方でアニーのステージやオフステージを写真にしてくれました。何台ものカメラを首からぶら下げて、あっちこっちから、時にはスピーカーの上から、時にはファンに小突かれ突き飛ばされながらも写真を撮っている姿は忘れられません。膨大な数の写真を眺めていると、「アニーの歴史」ここにあり!ってな感じで壮観です。

ビデオを撮ってくれたまさたか、あや、あっき。シュウと一緒に前説で芸をしてくれたポッポ君もいました。

そんな人たちに囲まれて、アニーはここまで歩いて来れました。無給なのに・・・みんな時には仕事を休んで、時には早退して、時には仕事後に急いで駆けつけて、アニーを支えてくれました。そんなみんなの姿を見るたびに、優しさに触れるたびに、「アニーは幸せなバンドだなぁ・・・もっと頑張らないといけないな」としみじみ想ったものです。「いつかみんなにでっかく恩返しを!」が、合い言葉にさえなっていただんだけど・・・果たせず。。。ごめんなさい。
たくさんの想い出が出来たこと、たくさんの笑顔に触れられたこと。かけがえのない時間を共に過ごせたこと・・・それは永遠に消えることはありません。これからもアニーが遺した音楽の中でずっと繋がっていましょうね。

ありったけの感謝を全員に贈ります。どうもありがとう×10000。

アニスタ

2006-12-31 08:17:30 | Weblog
アニースタッフ・・・アニスタ・・・小間使い・・・怒られて待たされて怒られて・・・ライブもろくに見れない・・・もちろん無給・・・過酷な役回りである。
初代アニスタはふーじ。スタッフなど使わずにライブをこなしていたアニーにとって初めてのスタッフらしいスタッフ。経緯は忘れたが、半ば無理矢理スタッフになってきた気がする・・・。ライブの準備、受付、物販、アンケート回収、片づけ・・・山のようにある仕事を一から覚え、「ふーじ、なかなか出来るようになったな」などとみんなで言い始めた頃に辞めてしまった。
二代目はしんすけ。一度スタッフを使ってしまうと、スタッフ無しで動くのが大変になってくる。「しんすけ、やってみるか?」の問いに、「やらせて頂きます、師匠!」と即答。なかなか気が利く男で、テキパキと動き、使えるスタッフだったが、女性問題であえなく辞任。
三代目は飛ばして、四代目はとろちゃん。他のバンドのスタッフをやっていたことがあるってことで採用。しかし、少し内気なところがあり、物販をしていてもずっと下を向いているような感じ。イマイチ打ち解けるのが難しい。彼女が最後に残した言葉は「次のスタッフには優しくしてあげてください」でした(苦笑)。

そして三代目と五代目のスタッフが、現アニスタのじゅんとはるみ。アニー解散によって、長期間の任務を見事に遂行しました。アニーを影で存分に支えてくれた功労者二人です。「不器用日本代表」のような二人ですがアニーへの情熱は誰にも負けないものがありました。怒鳴られることもしばしばありましたが、少しずつ仕事を覚え、最後にはライブハウス側との折衝は全部任せられるくらいになってくれました。どれだけメンバーの負担が減ったことか、言葉では言い表しようがありません。最初から最後までスタッフ顔をすることなく、アニーとアニーの音楽をココロから愛する純粋な気持ちを失わなかったこと・・・それがメンバーとの信頼関係を築けた要因だと想います。ホントに助かりました。

そんなわけで、初代から五代目まで、アニーのために心血を注いでくれたアニスタの面々に、メンバー一同心から感謝します。長い間どうもありがとう。

ありがと

2006-12-31 02:26:44 | Weblog
アニーズガーデンの解散と共に、アニーをここまで育ててくれた?ライブハウス「大宮ハーツ」も一月いっぱいで西川口に移転するそうです。何か運命的なものを感じたりして・・・。アニーの解散が二月だったら、大宮ハーツでは出来なかったわけで・・・。それにしても、懐かしい場所が懐かしい場所から消えてしまうのは悲しい。

ライブが終わってから、家に帰って、しばらく眠らずに色々なことを考えたりしていた。何も考えずにポーっと過ごしたりしていた。

アニーの最後を迎える前にもずっと想っていたことだけど、一つみんなにお礼を言いたい。トラッシュやポスカで知り合ってアニーを好きになってくれた人たちにお礼を言いたい。

「アニーを好きになってくれてありがとう」。
「みほを大切に想ってくれてありがとう」。
「みほを愛してくれてありがとう」。

今回のライブを終えて、みほ本人もみんなの愛や想いを存分に受け取ったと想う。みんなもみほの愛や想いを存分に受け取ったと想う。そんな繰り返しがアニーの歴史であり、アニーの音楽そのものだったんだと想う。

しばらくは、アニーのニューアルバムに詰まった「アニー」を聴きながら色んな想いを感じていたい・・・そんな風に想う。
そして、これから始まる未来の「シナリオ」を、少しずつ描いて行きたい・・・そんな風に想う。



うまい!!


みほ、まこ、長い間お疲れ様でした。しんぐの「意地」にも似た情熱に付き合ってくれてありがとう。あふれるほど感謝します。振り返れば全部が幸せな青春時代です(笑)。お客さんが二人しかいなかった蓮沼海浜公園のライブでさえもね(笑)。

しっしー、凝縮した一年間お疲れ様でした。アニーが最後にキラリと輝けたのはひとえにしっしーのお陰だと想っています。あふれるほど感謝します。この活動を「しっしーギターヒーローへの道」の糧として、これからも頑張りましょうv。

走り続けた日々は、確実に僕らの宝物になっていきます。みんながくれた笑顔と涙をしっかりと抱きしめて、これからも歩き続けて行くのです。