ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

剣豪はお風呂に入らない。

2016-07-13 12:26:35 | Weblog


もうちょいだけ宮本武蔵。

彦島にあるファミマのおばちゃんに、「巌流島が見たいんだけど、どこから見えるんですか?」と聞くと、「でしまつ」に行けば見えるという。でも、大して見えないよという。門司に行った方が良く見えるという。

よし、でしまつへ行ってみよう。

でしまつへ行った。でしまつとは、弟子待と書く。
もしかしたら、武蔵の弟子の伊織くんが、ここで武蔵の帰りを待っていたのかもしれないなどと思いながら歩く。

小さな小さな手書きの看板がある。
「巌流島眺望所こちら」

海沿いを歩いているのに、海が見えない。なぜか?
そこは、大手石油会社の社有地で、金網が張り巡らされており、太陽光のパネルなんぞが山ほど設置されているからである。
つまり、たぶん、武蔵が戦った巌流島など、さしたる価値がないと・・・そんな風に感じる。

小高い丘へ登る。道は泥。靴の裏にごっそりと泥がつく。

九州門司の山々が見える。街並みが見える。本州と九州を繋ぐ関門橋が遠くに見える。
関門海峡、彦島寄りにポッカリと浮かぶ島が見える。ファミマのおばちゃんは「よく見えない」と言ったけど、巌流島が良く見える。

「武蔵が戦ったのはあの島のどの辺なんだろう?」と、ぼんやりと巌流島を眺める。

武蔵が名人か名人じゃないか、それはわからない。

武蔵が好きか嫌いかと問われるなら、好きだと答える。

どちらかというと、巌流島の決闘以降の、武蔵の人生の悲哀が、僕は好きである。

おわり。

絶対に負けない剣豪。

2016-07-13 12:06:43 | Weblog
引き続き宮本武蔵。

日本人なら誰でもしっている宮本武蔵なのに、海外でもちょっとは有名な宮本武蔵なのに・・・宮本武蔵について書かれている本というのは、驚くほどに少ない。
なぜか?というのは前に書いた。資料が少ないからである。
少ない資料をフル活用して吉川英治が面白すぎる「武蔵」を書いてしまった。それが日本中に、いや全世界に広まってしまった。もはや、武蔵のイメージ像は出来上がってしまった。ここに来て、「本当の宮本武蔵」などという事実に基づいた宮本武蔵像は要らないのである。邪魔なのである。どちらかというと、そちらの方が異説になってしまうのである。馬鹿野郎扱いをされるのである。

冲方丁の「水戸光圀」という本の中に、晩年の宮本武蔵が登場する。
その武蔵がひどくかっこいい。悲哀を含み、ひどくかっこいい。
そこで武蔵に興味を持った。「武蔵」っていうのは、どんな人だ?

色々と探った結果、史実に基づいていると思われた冲方丁の本の中に出て来た宮本武蔵も、小説上のアレンジだと知りショックを受けるのである。

本当の武蔵は・・・どんなだったんだ?

まぁ、いい。

ここからが本題。

宮本武蔵についての数少ない史実。それは、巌流島の決闘。佐々木小次郎との決闘である。これは史実である。

昨日、下関を訪れた。

巌流島は、下関にある。下関の彦島の隣にポッカリと浮いているのが舟島、またの名を巌流島という。

見たいなぁ、武蔵が戦った場所。と思うのである。こりゃぁ、見に行くしかないのである。巌流島上陸クルーズなんてのもあるけれど、別に上陸なんてしなくてもいいのである。見たいのである。そこに武蔵が確かに生きたという足跡がある。

つづく。

剣豪ここにあり。

2016-07-13 11:42:07 | Weblog


宮本武蔵は名人か否か。宮本武蔵非名人説というものが根強くある。

宮本武蔵が名人であると、今の世に広めたのは吉川英治であると思われる。昭和の初めに「宮本武蔵」を刊行した。
吉川英治の宮本武蔵を原作に描かれているのが、現在も週刊モーニングで連載されている井上雄彦の漫画「バガボンド」である。

吉川英治の宮本武蔵。なるほどに面白い。面白すぎるほどに面白い。がしかし、面白すぎるほどに話が出来過ぎでなのである。つまり、脚色するにもほどがあるのである。
「やるなぁ、吉川英治」といった感が強すぎる。つまり、本当の宮本武蔵ってのは、いったいどんな風だったんだ?となるのである。
つまり、吉川英治の宮本武蔵は、吉川英治が作り上げた小説の中の宮本武蔵であって、まったくもって実在した宮本武蔵ではなさそうだ、と感ずるのである。

でもって、当の吉川英治が言っている。
「宮本武蔵を書くに当たって、史実と確信出来る文章など、10行ほどしかない」

昭和の初め、菊池寛と直木三十五が武蔵名人説と非名人説で対立した。直木三十五が吉川英治に尋ねた。「お主はどっちじゃ?」。吉川英治は答えた。「武蔵名人説かなぁ」。直木三十五は怒った。「なんじゃと!?ならば、武蔵が名人だったという説明をしてみんしゃい。世間に発表してみんしゃい」。
という経緯で書かれたのが宮本武蔵なのである。

でもって、吉川英治が正直に「ほぼほぼ脚色」と認めてしまっているわけであって、つまり、それは、武蔵が名人だったという証拠にはならない。

なぜ、そんなことになるのか?
答は簡単である。
武蔵は、とっても昔の人だから。とっても昔の一般人だから。剣豪という名の一般人だから。確固たる資料などない。

つづく。

いかなる戦争も・・・ダメだと思います。

2016-07-13 00:42:01 | Weblog


呉での買い物を無事に済ませて、呉名物の冷やし中華風冷麺を食べて、「さぁ、帰るっかな」とね。

うーん、このまま帰るってのもなんだよなぁ。とね。

じゃあ、どうするっかなぁ。とね。

で、昨日の夜は宇部に泊まった。

宇部に向かう途中で徳山に寄った。正確には宇部に行くつもりはなく、徳山からフェリーに乗って国東へ行ってみようかな?と思って、徳山に寄った。

徳山のフェリーターミナルで時刻表を見たら、松山行きのフェリーが出るのは4時間後で、4時間後のフェリーに乗ったら、国東に着くのは23時になってしまい、知らない街に真っ暗闇の23時に着くのはちょっと困るなぁと思い、フェリーに乗るのはやめた。

徳山のフェリーターミナルの外に、回天の実物大模型が飾ってあった。

回天って知ってる?

太平洋戦争で旧日本軍が開発した人間魚雷。
脱出装置のない魚雷に兵士が乗り、潜望鏡で敵艦の位置を見て突っ込む。命中率2パーセント。
空中の特攻は零戦。海中の特攻は回天。

戦争という狂気が生んだ、悲しすぎる残酷な兵器なのである。
その回天特攻部隊の基地が、徳山の大津島というところにあった。だから、徳山港に回天が飾ってある。

その回天の実物大の模型。実際、回天は巨大である。これに人間が乗り込んで敵艦に突っ込むと・・・想像しただけで身の毛がよだつ。

その回天の模型のすぐそばにポスターが貼ってあり、そこにはこう書かれてあった。

「自衛官募集!」

これは、ブラックジョークかなんかなのだろうか?

僕はね、言葉を失ったよ。まじで。

それが、徳山での出来事。